第10話 戦艦大和に積まれた燃料は、本当に片道分のみだったのか?

 本当は戦艦大和について紹介しようと思ったのですが、専門家が書いた書籍が山ほど流通している上に、ネットにも情報が溢れかえっているので、今回は少し別の視点から戦艦大和を解説します。


 それは「戦艦大和が特攻する際に積まれていた燃料は片道分のみだったのか、あるいは往復分だったのか?」という問題です。


 大和が多数の駆逐艦を率いて沖縄戦へと特攻する際、燃料をどのぐらい積んでいたのかは、専門家の間でも意見が割れています。


 往復分は積んであったという意見もあれば片道分のみだったという意見もあり、さらに元乗組員の間でも意見が割れているため、現在に至るまであやふやな状態が続いています。


 そこで私が注目したのが、ある二つの証言です。


(一部要約、抜粋しています)


 元乗組員の八杉さん

 戦艦大和には往復分の燃料が積まれていたと記憶しています。


 元乗組員の北川さん

 戦艦大和の両舷に横付けした駆逐艦が、大和に搭載された燃料を分けてもらっていた。

 その際、駆逐艦の乗組員が、「大和は片道燃料でいいから、油を分けてもらっているんだ」と言っていた。


 この二つの証言がどちらも事実だったと仮定して、戦艦大和の燃料事情がどうなっていたのか予想します。


 この場合、二つのパターンが想像できます。


 1、戦艦大和には元々、沖縄と本土を往復できるほどの燃料が積んであったが、駆逐艦の燃料を確保するために移され、最終的に片道燃料になった。


 2、戦艦大和には事前に駆逐艦へ移したせいで半日分の燃料しか残っていなかったが、出港までの数日間で再び燃料を入れ直した。


 個人的には、1の方があり得ると思います。


 なぜなら、元乗組員の八杉さん(海軍に志願し、かなりの好成績で入隊したエリート)は、戦艦大和が沈んだあと別の船に配属してもらうことを希望したのですが、その時の上官かそれに準ずる人物に「動かせる船なんてあるもんか、重油だって無いんだ」と言われ、陸戦隊に配属されたからです。


 上官の「重油が無い」という表現が多少大袈裟だったとしても、下士官、士官クラスの軍人がそう言うぐらいに日本の燃料事情は絶望的でした。


 そんな状況を考えると、後から燃料を入れ直された可能性は低いと思います。


 結論として、戦艦大和は片道燃料で特攻した可能性が極めて高いです。


 何より、そもそも戦艦大和は沖縄で座礁させて固定砲台として運用する予定だったので、帰還する燃料は必要ありませんでした。


 ですが、その辺の詳しいことを解説すると時間がかかってしまうので、それはまた次の機会に回させていただきます。




 参考文献


 https://www.sankei.com/article/20140702-C74RL72O7RKNTKCO3CI4MTHBAQ/

『戦艦大和「片道燃料」の真実…艦長の会話を聞き、大和の最期を見た元測距儀兵の証言(下)』

 産経新聞


『戦艦大和最後の乗組員の遺言』

 八杉康夫


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兵器について語る話 曇空 鈍縒 @sora2021

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