シジミ先生の夏休み・木

 週末、電車を乗り継ぎ、純と北門は埼玉県久羽宇市施来町に到着した。斎場へと向かう道中、純は雑談でもするつもりで何気なく北門に話しかけた。

「でも北門さん、昔は絶対土日に仕事なんか入れなかったのに、変わりましたね。もう家族サービスはいいんですか」

「ああ。出ていった相手にサービスも何もないからな」

 北門はなんでもないことのように言ったが、純にとってそれはわりあい衝撃を受ける事実であった。

「離婚してたんですか。いつの間に……」

 いつだっていいだろそんなもん、と北門はそっけない。

「いや、いつだっていいことはないと思うんですけどね」

「おまえこそ息子はいいのか」

 すぐに話を変える北門の、あまり触れてくれるな、という意思表示に気づかないほど若くはない。ぼくんとこはだってもう大学生ですよ、と純は答え、そこで道の先に斎場の入口が見えてきたため話は終わった。

 斎場の敷地内には火葬棟をはじめとしていくつかの建物が並んでいる。そのうちのひとつ、二階建ての一軒家じみた見た目をした式場が純の親戚の葬儀に使われているようだった。

「それじゃちょっと香典だけお渡ししてきますから、適当な場所で待っていていただければ」

 喪服のネクタイをやや直しつつそう言う純に、北門は「おう」と短く応えて敷地の隅の喫煙所へとまっすぐに歩いていった。

 式場はごく小規模な葬儀のために設計されているらしく、小さくまとまって機能的だ。受付で記帳をして香典を渡し、ちょうど控室から出てきた遺族と思しき人物——母方の親戚ではあるのだろうけれども、自分にとって具体的にどういった続柄にあたるのかを純は知らない——に簡単な挨拶を済ませる。

 こうしてとりあえずの役目を果たした純は早々と式場を後にし、北門の元へ向かった。箱型の小さな喫煙所は全面がガラス張りになっており、狭い空間に立ち込める煙がよく見える。北門はひとりふたりいる他の喫煙者と何かを喋っているようだったが、近づいてくる純の姿を見つけてすぐに外へ出てきた。

「早かったな。いやあ、にしても、ずいぶん大変な事故だったんだってな」

 火事はやっぱり怖いよなあ、と肩をすくめるそぶりをしてみせる北門だったが、純の反応はかんばしくない。

「ええと、なんのことです?」

「え? おまえの親戚のことだろ」

「ああ……火事だったんですか? ぼく、事故だとは聞いてますけど、詳しいことは知らないんですよ」

 純の返事を聞き、北門は呆れた顔になる。

「なんだそれ。適当だな、おまえは。おまえみたいなのが教授で大丈夫なのかね、あの大学は」

 別に職場は関係ないでしょうよ、とふてくされたように言う純を「まあまあ」とあしらい、北門は先ほど喫煙所で聞いたという事故の詳細を話し出した。

 半月前、この町の名所である火穂地蔵堂にて夏祭りが行われたのだそうだ。市内でも最大規模の催しで、わざわざ遠くから訪れる客もいるほどの人気ぶりらしい。感染症流行の影響で昨年、一昨年、一昨々年と三年間開催されていなかったこともあり、今回はいつにも増して盛況で、祭の最後を締めくくる『火穂の儀』にも大勢が詰めかけていた。その日はよく晴れていて祭には絶好の日和だったが、夕方頃から少し風が出始めたのだという。そして、『火穂の儀』を行っている最中に強風が吹き、焚かれていた火が煽られて傍にあった櫓に燃え移ったのだ。純の親戚を含む見物客ふたりと『火穂の儀』を取り仕切っていた地蔵堂の堂守の計三人が巻き込まれて死亡し、櫓の周りにいた数十人が重軽傷を負った。消防や警察による現場検証の結果、風の影響に加え、櫓の組まれていた場所が火を焚く位置と近すぎたことも火災の原因のひとつであったと判明し、祭が長期にわたって開催中止となっていたことで設営ノウハウの継承ができなかったためだろうと結論づけられたのであった。

 まったくとんでもないこともあるもんだよな、と顔をしかめる北門に同調して純も眉をひそめ「怖いですねえ」などと応える。

「本当にな。で、その地蔵堂、ここのすぐ近くらしいぞ」

「えっ、行くんですか?」

「俺がなんのためにおまえについてきたか忘れたのか? このまま帰って何か書けるんなら行かなくってもいいけどよ」

「いや、まあ、それはそうですけど……どうなんでしょう」

 純は気が進まない様子で「そもそも入れるんですかね」と疑問を口にするが、北門は「安心しろ」と笑い、昨日ちょうど立ち入り制限が解除されたそうだと告げた。

 火葬棟の長い煙突からたなびく煙が青空に流れ込み、薄く溶け出していく。すたすたと歩き始めた北門の後を渋々ついていきながら、焼死でも火葬されるんですねえ、と純がつぶやくと、ひとこと「当たり前だろ」とだけ返ってきた。

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