空が焦げるまで

クニシマ

久羽宇市のむかしばなし『火穂地蔵』 - 久羽宇市役所ホームページ

 埼玉県久羽宇くわう施来せき町にある火穂ほのほ地蔵堂では、毎年夏になると大勢の人でにぎわい様々な出店が並ぶ『火穂まつり』が催されます。この『火穂まつり』の終わりには木造りの人形を浄火によって焚きあげる『火穂の儀』を行うことが伝統となっていますが、それには悲しいゆえんがあるのです。

 むかしむかし、施来町がまだ施来村と呼ばれていたころ、火穂地蔵堂のあたりは罪人の処刑を行う場所でした。あるとき、そこに若い娘がひとり引き立てられてきました。娘はとても重い罪を犯したのです。

 娘は遠い村から施来村の名主様のお屋敷へ奉公に出てきていました。ふるさとで大変な病にふせっている母のためでした。娘は一生懸命に働き、お屋敷の人々にもかわいがられていました。しかしあるとき、ふるさとから母の病が重くなってあぶないというしらせが届いたのです。娘は悲しみ、家へ帰してほしいと名主様に頼みました。しかし、名主様はどうしてかそれをゆるしませんでした。娘は必死になって何度も頼み込みましたが、名主様が首を縦に振ることはありませんでした。どうしても母のもとへ帰りたかった娘は、悩み考えた末、なんとお屋敷に火をつけてしまいました。風の強い日のことでした。火はすぐに村じゅうに広がり、並ぶ家々も、稲の穂がつき始めた田んぼも、そのほとんどが焼けてしまいました。誰が火をつけたのかはすぐに村の皆が知るところとなり、そうして娘は罪人として捕らえられたのでした。

 処刑が行われる前、娘は抱えていた事情を語りました。それを聞いた人々は娘をかわいそうに思いましたが、罪の重さは変わりません。火つけの罪は火あぶりの刑と決まっています。娘は火あぶりになりました。

 それから時が過ぎ、人々が娘のことをだんだんと忘れ始めたころ、ある家が火事になり、そこに暮らしていた村人がひとり焼け死んでしまいました。その日はちょうど娘が火あぶりにされてから一年が経った日だったのでした。村人たちはたまたまだろうと気にしませんでしたが、その翌年、翌々年も、同じ日に村人がひとり火事で焼け死んだのです。これはきっと娘の祟りだ、と村人たちはおそれ、娘が処刑された場所にお堂を建ててお地蔵様をおまつりしました。そうやって一年に一度、娘の命日に、木で造った人形を村人の代わりとして燃やし、娘の魂を供養することにしたのでした。

 現在、『火穂まつり』は楽しい祭として広く知られており、町内外からたくさんの人々が訪れます。ぜひ祭の終わりまでいらっしゃってください。そしてわずかでも哀れな娘に思いを馳せてくだされば幸いです。

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