魔法使い

西悠歌

第1話

 「紗耶さやちゃん、大丈夫だよ。落ち着いて。」

「おねえさん、だれ?」

「私?私はねえ、魔法使いだよ。だから、紗耶ちゃんの未来もわかっちゃう。」

「ええっ、すごいね。…じゃあ、さやのことたすけてくれる?」

「もちろん。紗耶ちゃんの幸せは私の幸せだよ。」

「ありがとう、まほうつかいさん!」



 私には小さい頃、困った時に助けてくれる魔法使いがいた。

魔法の杖は持っていなかったし、呪文を唱えたことも一度もなかった。

顔はよく思い出せないけれど、見たことがないのに何故か見慣れたような顔だったことは覚えている。

私が何かに迷っている時や困っている時はいつもやって来て、アドバイスを送ってくれた。

優しくてどこか不思議な彼女は、私にとって間違いなく魔法使いだった。



そんな魔法使いは、小学校に入る頃にいなくなってしまった。

最後に助けてもらった日のことを、私ははっきりと覚えている。


 その日は目が痛いほどの晴天だった。

私は朝から機嫌よく、1日中空を眺めていた。手を伸ばせば掴めそうなわた雲が流れていくのを、ずっと笑顔で見つめていた。

「きれいだなあ。すぐそこにあるみたい。」

公園の原っぱで寝っ転がって、そんなことを呟いていた記憶がある。


午後になると、私は家の屋上にいた。

やっぱり空を見上げていて、突き抜けるような青空から目が離せなくなっていた。


その時唐突に思った。綺麗な街を歩くみたいに、綺麗な水を泳ぐように。


『綺麗な空なら気持ちよく飛べるかもしれない。』


私は普通の人間だ。だから空は飛べない。

そんなことは分かっていた。


だけど、不思議なことっていうのは、いつも突然訪れる。

魔法使いの存在もあって、そんなことを本気で信じていた。そして、きっと今がその時だとも。


私は綺麗な空を見つめながら、空の飛び方を考えた。バタバタ羽ばたくよりは、滑るみたいに優雅に飛びたい。でも、歩いたり走ったりできたらきっと楽しいだろうな。


しばらく考えた末、私は倉庫からほうきを持ってきた。理由は、大好きなお話に出てくる魔法少女がほうきに乗って飛び回っているから。


屋上の机の上に立ってほうきに乗ってみると、なんだか本当に空を飛べるような気がしてきた。

空に浮かべたら、まずは雲を掴んでみよう。きっと柔らかいんだろうなあ。


期待に胸を膨らませたその時、声が聞こえた。


「駄目だよ紗耶ちゃん。人間に空は飛べない。」


「え?」


魔法使いの声。いつも優しくて私を守ってくれる、魔法使いの声。


「紗耶ちゃんに空は飛べないよ。だから駄目。危ないから降りておいで。」

このとき感じたのは怒りとか悲しみじゃなかったと思う。それより多分、寂しさ。


「なんでそんなこというの?さや、できるよ。ほうきでそらとんで、くものうえであそぶんだもん。」

今までとは違う。魔法使いは私の味方じゃない。私のことを分かってくれない。


「どうしてわかってくれないの。」


必死だった。綺麗な空を見た特別な気分なんかとっくに消え去っていて、ただ自分のことを認めてもらいたかった。


「紗耶ちゃん、高い所から落ちたらどうなる?」

いきなり魔法使いが言った。屋上の床に真っすぐ立って、私の目を覗き込んでいる。


「しんじゃう。」


「そう。紗耶ちゃんがそこから飛んだら、落っこちて大変なことになる。」

「でも、さやはおちないよ。」

魔法使いは少し微笑んで、それから続けた。

「ううん、落ちるかもしれない。飛べると思ってても、失敗しちゃうかもしれない。」


「だからだめなの?」

「そう。紗耶ちゃんは、自分のことを守ってあげないといけない。危ないことはやっちゃいけないんだよ。」


でも、と駄々をこね続ける私に魔法使いは言った。


「挑戦するな、とは言わない。でも、何に挑戦するかはよく考えて。大丈夫、紗耶ちゃんならできるよ。」

「さやならできる。」


丸め込まれた、とは思わなかった。魔法使いが本気でそう言っていることがわかったから。


「そう、えらいえらい。」

魔法使いは私の頭をなでた。お母さんと違って慣れない手つきで、でも優しくなでてくれた。

溶けてしまいそうな夕焼けの下、空は飛べなかったけれど夢みたいな時間だった。


屋上から下りてほうきをそっともとに戻した。

魔法使いが微笑んでくれたような気がした。



 それを最後に、魔法使いが現れることはなくなった。


私は困ったことがあっても、自分で解決するようになった。今まで魔法使いがくれたアドバイスを思い出して、どう当てはめれば今使えるかを考えるようになった。


それが体に染み付いてくるにつれ、魔法使いの記憶はだんだん薄れていった。もう、存在以外に覚えていることはほとんど無い。


ただ、最近夢を見る。


夢の中で私は魔法使い。

泣きそうな顔で困っている小さな私に、私は声を掛ける。

「紗耶ちゃん、大丈夫だよ。落ち着いて。」

「おねえさん、だれ?」

私は彼女の顔を思い出す。彼女は、そう。

「私は、魔法使いだよ。」

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魔法使い 西悠歌 @nishiyuuka

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