みかんの恩返し

クロノヒョウ

第1話



「はるか、オハヨ」


「あ、おはよう……」


「何? どした? みかんなんか持って」


 机の前でみかんをひとつ手に持って立ったままのはるか。


「ん……机の中に入ってて」


「えっ、みかんが?」


「うん」


「やだ、ちょっとマジで?」


「うん」


「ねえちょっと! はるかの机にみかん入れたの誰~?」


「知らね」

「さあ」


 クラスのみんなは首をかしげるだけだった。


「誰がこんなことやったんだろうね」


「あ、もしかして」


「何? はるか心当たりでもあるの?」


「ん、夏休みのことなんだけどさ、近所のコンビニの横でみかん箱に捨てられてた子猫を見つけたんだ」


「えっ、てか現実にあるんだ。猫がみかん箱に捨てられてるって」


「そうそう。それでさ、そのコンビニの店員さんとそれがきっかけで仲良くなってその子猫の様子をしばらく一緒に見てたんだ」


「は? ちょっと何それ。私聞いてないんだけど、どういうこと?」


「大したことじゃないよ、毎日朝と夜にみかんの様子を見に行って。あ、二人でみかんって名前つけて」


「ふーん」


「で、そのコンビニでキャットフード買って箱の中に入れたりして」


「ほお」


「一週間くらい経ってみかねた店員さんが引き取ってくれることになったの」


「その店員さんって男? 女?」


「男の人だよ。大学生。自分はアパートだからってわざわざ実家に連れて帰ってくれたんだ。優しいよね」


「ちょっとはるか、まさかその人と付き合ってるとか言うんじゃないでしょうね」


「まさかぁ。大学生が高校生なんか相手にしないでしょう」


「ふーん。怪しい」


「怪しくないよ。確かにカッコいい人だけど、今はコンビニで顔を合わせたら挨拶するくらい」


「で、この机の中のみかんは?」


「……みかんの恩返し的な?」


「恩返しするならはるかじゃなくてその大学生にじゃない?」


「……だよね」


 結局そのみかんは誰が何のためにはるかの机の中に入れたのかわからないままだった。


 だがさすがにそれが一ヶ月も続いたとなるとはるかも困惑した様子だった。


「みかんちゃん……」

「あ、みかんの人……」


 はるかはクラスではみかんちゃんと呼ばれるようになり他のクラスの生徒からもみかんの人と噂されるようになっていた。


「はるか、気にしなくていいよ」


「うん、まあ仕方ないよね。学校の七不思議みたいなもんでしょ。今の私は」


「もうすぐ春休みなんだし、二年になってクラス替えすればみんな忘れてくれるでしょ」


「だといいんだけどね」


 口ではそう言ったもののこれ以上後ろ指を指されたくはなかった。


 こうなったら明日にでも朝早く学校に行って犯人を見つけてやろうと意を決していた日の放課後、校門を出て帰ろうとしていた時だった。


「山本さん……」


「はい」


 後ろから名前を呼ばれて振り向いた。


 そこに立っていたのは隣のクラスの安藤という男だった。


 安藤は剣道部で陽キャでカッコよくて人気者だったため、はるかも顔と名前くらいは知っていた。


 そんな安藤がはるかに向かって突然思いきり頭を下げた。


「ごめん!」


「へっ?」


 下校中の生徒たちが安藤とはるかに注目する。


「ちょっと、安藤くん?」


 安藤は顔を上げると周りの視線に気付いたのかハッとしてはるかの手をつかんで足早に歩き出した。


「ちょっと……」


 あまりにも突然で安藤の手を振り払うことも出来ず、はるかはただ引っ張られるまま安藤の後ろをついていった。


「ごめん、山本さん」


 角を曲がり学校の裏手にくると安藤はようやく立ち止まってはるかの手を離した。 


「本当にごめん! みかん入れたの俺なんだ」


「えっ!?」


「えっと、田舎のばあちゃんからみかんが送られてきてさ。あのみかん『はるか』って名前のみかんなんだ。それでつい」


「そう……なんだ」


「そしたら山本さん、クラスでみかんちゃんって呼ばれていじめられてるって聞いて、俺ひどいことしちゃったんじゃないかって」


「いや、いじめられはしてないけど」


「本当に? でも嫌な思いさせたよね。ごめん」


「……もういいよ。あのみかん、すごく美味しかったし」


 日に日にたまっていくみかんをはるかは家に持ち帰って食べてみることにしたのだ。


 見た目が普通のみかんと少し違っていたもののとても甘くて美味しいみかんだったため、はるかは毎日そのみかんを喜んで食べていた。


「食べてくれたの? はるかってすっげえうまいんだよな。甘くてさ」


「うん、甘かった」


「よかったぁ~」


 自分の目の前で表情がころころ変わる安藤を見ていると、はるかは安藤が人気者な理由がよくわかった気がしていた。


 安藤から優しさとあたたかさが伝わってくる。


「そっか、安藤くんだったんだ……」


 一ヶ月ほど続いた毎日のみかん攻撃の犯人がわかったはるかはやっと胸の中がすっきりして気が抜けていた。


 と同時に安藤が自分の名前を知っていてくれたことにびっくりもしていたし嬉しかった。


 いつも廊下で安藤の姿を見かけると必ず目が合うような気がしていた。


 自分の思い過ごしだろうからそれがきっかけで安藤のことを意識し出したということは誰にも言っていない。


「でも、どうしてわざわざ机の中に?」


「えっと、いや、本当は俺も直接渡そうと思ってたんだけどさ。山本さんと同じ名前のみかん、甘くて美味しいよって」


「うん」


「いざ教室に入ったらなんかいきなりみかんなんかもらったら困るかなとかいろいろ考えちゃって」


「あは、それで机の中に?」


「そう。俺毎日朝練で早いからさ。誰もいないうちに」


「そうだったんだ。私てっきりみかんの恩返しとか思っちゃって、恥ずかし……」


「みかんの恩返し?」


「そんなことあり得ないのにね。あ、前にね、みかんって子猫にエサをあげてて」


「知ってる」


「は?」


「俺、夏休みに友だちん家の帰りにあのコンビニに寄ったんだ。そしたら山本さんがすっげえ楽しそうに笑いながらみかんと遊んでた」


「ええっ……そう、だったんだ」


「二学期になって山本さんが隣のクラスだって知って。それから山本さんのことが気になり出して、はるかって名前だって知って俺勝手に運命感じたっていうか、おれの好きなみかんははるかだし」


「あは、偶然、だね」


「何度も話しかけようと思ってたんだけどなかなかきっかけつかめなくてさ。そしたらちょうどまたばあちゃんからはるかが送られてきて、これだって思ったんだけど。本当にごめん」


「そんな、もう謝らなくて大丈夫だよ。みかん、ありがとう」


「……うん」


 みかんのような甘酸っぱい空気が二人を包み込んでいた。


「謝りついでにもうひとつ、いい?」


「えっ、なに?」


 安藤は制服のポケットからスマホを取り出すとその画面をはるかに見せた。


「みかん、うちにいるよ」


「……嘘!?」


 その画面には確かに見覚えのある子猫のみかんが写っていた。


「あのコンビニで働いてるの、うちの兄貴」


「はぁ!?」


「大学が近いからあの近所で一人暮らししてる」


「マジで!?」


「マジマジ。兄貴も山本さんのこと褒めてたよ。はるかちゃんは優しくて可愛いって」


「ちょ……っと」


「だからみかんとみかんのおかげで山本さんと話せたから、これはある意味みかんの恩返しかもな」


「……ふふ。本当だ。そうかもね」


「あ、みかんに会いにおいでよ」


「えっ、いいの?」


「もちろんだよ。なんだったら今からでもうちくる?」


「え、いや、安藤くん、部活は?」


「うわ! 俺部活忘れてた! ヤバッ」


「あはっ」


 安藤は慌てながらスマホをしまい歩き出そうとしていた。


「ねえ、日曜日あけといてよ。みかんもあと少し残ってるし」


「うん。みかんとみかんに会いにいく」


「うん、てか、俺には?」


「……安藤くんにも」


「……うん。俺、みかんもみかんもはるかも大好きだから!」


 安藤はそう言うとすぐに振り返り走り出した。


「あ……」


 はるかは走っていく安藤の背中を見つめていた。


 ひとり取り残されたはるかは自分の胸がドキドキしていることに気がついた。


 今さらだが顔が火照って熱かった。


 きっと真っ赤になっているだろう自分の顔。


 恥ずかしさと驚きではるかの鼓動も走り続けていた。


 本当にみかんの恩返しなのかもしれない。


 みかんに出会わなければ安藤とこうやって話すこともなかっただろう。


 みかんちゃんなんて呼ばれなかったらあのまま安藤は話しかけてこなかったかもしれない。


 日曜日が待ち遠しかった。


 早くみかんに会ってお礼が言いたい。


 そう思っていると安藤が振り返った。


 はるかは大きく手を振った。


 そのまま二人はお互いが見えなくなるまで笑顔で手を振り続けていた。



            完






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