無職の吾輩が人生リセットを支援した件

無虚無虚

第1話『底辺くんと堕ちた勇者たち』

 今朝から小雨が降っている。この季節には珍しい。いつもなら山腹にある無職寺は、山から吹き下ろす空っ風で土埃が絶えない。敷地に水を撒くのが日課だが、今日はその手間がいらない。それはそれで有り難いのだが、居候の無職の吾輩はやる事が無くなってしまう。それはそれで少々侘しい。

 軒下で前世界から持ってきた『吾輩は猫である』を読んでいたのだが、雨が強くなって雨だれが本にかかりそうになったので、本を閉じて懐にしまう。吾輩は電子書籍派だったが、たまには紙の本が読みたくなることもあった。そういうときは図書館から本を借りていた。この『吾輩は猫である』もそうだったが、返す前に異世界に召喚されてしまったので、不可抗力で借りパクしてしまった。電子書籍のリーダーはバッテリーが切れたので、今はこれしか読むものがない。教科書もあるが、異世界に来てまで読みたいとは思わない。

 かような事を考えていると、さっそく天罰が下ったのか、一人の男が寺の門をくぐってやってくる。その出で立ちから察すると、勇者か冒険者の崩れのようだ。かつては高価であったろう武具をまとっているが、それらは酷使され、手入れもされず、見すぼらしい姿に成り果てている。

「おい、無職寺はここでいいのか?」

 男は間近まで来ると、吾輩に問いかけた。よく見ると、かつての級友であった。

「おお、鈴木か。久しいな」

「おまえは誰だ?」

 男は少々面食らったようだ。吾輩の面を忘れたようだ。しかし鈴木を責めるのは酷というものであろう。別れたのは五年以上前のことである。五年以上前の級友の顔と名前を一人残らず覚えているような御仁は、滅多にいるものではない。

「俺だよ。佐藤だよ」

「佐藤? それだけじゃ判らん。下の名前は?」

まさる

 鈴木は合点がいったようだ。勝手に頷いている。

「ああ、底辺くんか」

『底辺くん』とは偉い言われ様だが、これには理由がある。五年ほど前、吾輩は高校の級友たちとこの世界に召還された。よくあるクラス丸ごと召還というやつだ。当時の吾輩は、クラス内カーストが最下位の苛められっ子であった。それゆえこのようなあだ名で呼ばれていた。

 吾輩らが召還されたとき、お約束通り神様は一人ひとりにチートを授けた。カーストの高い者は好きなチートを選び、さっさと目当ての世界へと旅立って行った。底辺の吾輩の順番は最後となり、チートは一つしか残っていなかった。そのチートとは『無職』であった。

 チートは特権であると同時に、呪いでもある。『無職』の呪いにより吾輩は五年間定職に就けず、無職のまま異世界で過ごしてきた。その代わり神様直営寺院の無職寺で居候をさせてもらっている。もちろん居候をさせてもらっているのであるから、寺の手伝いをしている。といっても忙しいわけではない。無職寺には滅多に人が訪ねてこない。事実、人に会うのは三ヵ月ぶりである。

「しかしよく分かったな」

 鈴木は汚れた金髪をかき上げた。容姿は完全に白人になっている。チートと一緒に異世界に相応しい容貌も貰っていたのだ。

「雰囲気で判る。鈴木はこっちの世界では何て名乗っているんだ?」

「ケインだ。勇者ケイン」

 自分で勇者と名乗るとは、些か恥ずかしい奴になったようだ。

「ケインか。武勇伝はここまで届いているぞ」

「そうか?」

「魔王を倒して大国の姫君を娶ったと聞いているが……」

 吾輩はそこで言葉を区切った。

「そんな格好でここに来たということは、相当困っているようだな」

 鈴木は肩を落とした。

「その通りだ。神様に本当に困ったときはここに来いと言われたのを思い出してな。藁にもすがる思いで来たんだ」

「ふむ、実は神様の手伝いで、ここの受付の仕事をしているんだ。話を聞かせてくれないか。救済対象になるかもしれない」

「いや、実は追われているんだ。もうすぐ……」

 言われてみると外が騒がしい。

「大丈夫だ。この寺には異世界出身者しか入って来れない」

「本当か?」

「本当だよ。ここは異世界出身者たちの駆け込み寺だからな。それより何があったか聞かせてくれ。力になれるかもしれない」

 そう言って吾輩はノートを取り出した。


 ケインこと鈴木から聞き出した話を要約するとこうなる。

 鈴木は魔王を倒し姫君と結婚した後、国土の一部を領地として貰って貴族になった。ところがここから鈴木の転落人生が始まる。若いのに勇者だの救国の英雄だのとチヤホヤされればどうなるか? 当然だが増長する。ただでさえ成り上がり者で古参の貴族たちから目をつけられているのに、生意気な言動を繰り返して周囲の人間の反感を買い、ハーレムを目指して美女を漁り、おまけにギャンブルにのめり込む。気がつけば多額の借金と浪費三昧の愛人たちを抱えてボッチ状態。頼れる人間はおらず、金策のために領民に重税を課したり、飽きた愛人を奴隷商に売ったり、借金を踏み倒すなどの悪行三昧。悪政に困り果てた領民たちが、無礼打ちになるのを覚悟で王様に直訴。これを知った王様は激怒して、姫君とは離縁、貴族の地位は剥奪、領地は召上げられ、極悪人として指名手配される。官憲や賞金稼ぎたちから命からがら逃げ延びて、なんとかここに到着する。

 見事だ。見事なダメ人間ぷりだ。キング・オブ・クズ人間の称号をあげたい。

「それは大変だったな」

 吾輩は同情するふりをする。本心では自業自得だと思っている。

「救済対象になると思うよ」

「その救済対象って何だ?」

「詳しくはこれを見てくれ」

 吾輩は鈴木に申請用紙を渡した。鈴木はそれを受け取ると、マジマジと読んだ。

「個人破産申請書?」

「破産じゃない、破綻だよ。転生者または転移者が人生を破綻させちゃった場合の救済手段だ。チートを貰う前の状態に戻って、人生をやり直すことが出来る」

 濁っていたケイン鈴木の目が急にキラキラいやギラギラしだした。

「本当か? 本当に人生リセットが出来るのか!」

「申請が通ればね。どうする……」

 鈴木は既に申請書に記入を始めていた。本当に困っているようだ。

「書けたぞ!」

 鈴木が声をあげるのとほぼ同時に、一組の男女が寺の中に入ってきた。二人とも手に武器を持ち、凄まじい形相で鈴木に駆け寄ってくる。どうやら追手らしい。

「げっ! クルツにマリー?」

「ケイン、観念しろ!」

「私のために、人柱になりなさい!」

 おやおや、今度の客は田中と高橋ではないか。これは同窓会でも始まるのか? いや、その様な訳がない。会話の内容から察するに、この二人は追手らしい。しかし『人柱』とは穏やかではない。何やらややこしい事情がありそうだ。首を突っこみたくはないが、如何せん居候の身故、この程度の面倒は引き受けねば肩身が狭い。

「おい、追手は入って来れないんじゃなかったのか?」

「異世界出身者以外は入って来れないと言ったんだ。田中、高橋、久しぶりだな」

「「アンタ、誰?」」

 田中と高橋の質問がハモった。やはり吾輩を覚えていないようだ。期待はしていなかったが、少々寂しい。

「底辺くんだよ」

 鈴木がそう言うと、二人は一瞬きょとんとしたが、すぐに頷いた。吾輩を思い出したらしい。鈴木の説明が適切であったことは認めざるを得ないが、このような言われ方は不本意である。

「なんで底辺が……いや、そんなことはどうでもいい」

 吾輩は呼び捨てか? どうでもいいのか? いやまあ、分かってはいたが。

「ケイン、アナタの首を取って帰らないと、私の首が危ないのよ!」

 やはり物騒な発言だ。しかしこいつらは四人パーティーを組んで旅立ったはずだが?

「何で仲間割れをしているんだ? この寺のなかは戦闘禁止だぞ」

 だが後から来た二人は吾輩の言葉を聞いていなかった。クルツ田中は腰から剣を抜いた……が、剣は大昔の手品の様に花束になってしまった。

「何だこりゃ?」

「だから言ったろう。戦闘禁止だって」

「誰がそんなことを決めた!?」

 吾輩に怒るな。

「神様だよ」

 マリー高橋はというと、呪文を唱えている。

「攻撃魔法は自分に跳ね返ってくるぞ」

 だが吾輩の忠告は無駄に終わった。高橋は炎に包まれる。火炎魔法を使ったらしい。吾輩は天を見て、助けるまでもないと思った。吾輩の予想通り、雨が炎を消してくれた。

「何でこんな目に遭うのよ!」

「人の話を聞かないからだ」

 二人とも戦闘が出来ないことは分かったであろう。三人まとめて来てくれれば手間が省けるものを……いやいや、居候なのだからこの程度の手間を惜しんではばちが当たる。

「田中も高橋も相当ヤバイみたいだな。事情を説明してくれ。力になれるかもしれない」


 二人の話を要約するとこうなる。

 田中は魔王討伐の後、王様から貰った報奨金で悠々自適ニートの生活を送ろうと考えていたところ、商人から必ず儲かるという出資話を持ち掛けられ、うっかり信用してしまい、気がついたら無一文になっていた。高橋は勇者のパーティーの一員ということで、一時は社交界で殿方からチヤホヤされて逆ハー気分に浸っていたが、時が経つと周囲から人が離れ、寂しさを紛らわすためにホストクラブに通うようになり、気がついたらやはり無一文になっていた。二人とも再び一攫千金を狙って、鈴木の首に掛けられた賞金に目をつけた、と。

 鈴木ほどではないが、これまた見事なダメ人間だ。ここで吾輩は鈴木たちが四人パーティーだったことを、再び思い出した。

「加藤はどうした?」

「あいつは死んだよ」

 吾輩は鈴木の言葉に驚いたが、ショックは受けなかった。実は級友の訃報を聞くのはこれが初めてではなかった。

「魔王を倒した後、あいつは民間軍事会社を作ると言い出した」

「民間軍事会社?」

「簡単に言えば傭兵団だ」

「傭兵団? そう言えば加藤は軍事ミリオタだったな」

 鈴木は頷いた。

「魔王討伐中も、あいつは度々騎士団長に自分に部隊の指揮を任せてくれと頼んでいた」

「そりゃ無理だろう。軍事ミリオタと言っても、本職プロから見ればただの素人アマだぞ」

「その通りだ。でもあいつはどうしても自分で部隊を指揮したかったらしい」

「それで自前の傭兵団を作ろうとしたわけか。その後はどうなった?」

「その準備だと言って国境の紛争地帯に一人で行った」

「一人で? 無謀だな。それで死んだのか?」

「ああ、反政府ゲリラに捕まって、身代金を要求された」

「ゲリラは誰に身代金を要求したんだ? この世界には家族はいないぞ」

「俺のところに手紙が届いた」

「俺も」

「私も」

 鈴木だけでなく、田中と高橋も手紙を受け取ったのか。吾輩は敢えて地雷を踏むことにした。

「身代金が払われなかったから、殺されたのか」

「そうだ」

「何故みんなは身代金を払ってやらなかったんだ?」

 三人は一瞬硬直した。

「お、俺が払わなくても、誰かが払うと思ったんだ」

 鈴木、見苦しいな。

「俺もだ」

「私も」

「なるほど、不幸な偶然が重なったわけか」

「そうだ。偶然だ」

「偶然だよな」

「偶然よね」

 三人ともダメ人間確定だな。吾輩はそう確信したが、最終判断を下すのは吾輩ではない。吾輩はルール通り田中と高橋にも自己破綻制度を説明した。予想通り二人とも目をギラギラさせて食い付いた。その二人の目の前で、吾輩は二通の申請用紙を取り出した。

「救済を希望するのなら、この申請用紙に記入して……」

 吾輩が最後まで言い終える前に、田中と高橋は申請用紙をひったくって、一心不乱で記入を始めた。


 吾輩は三通の申請用紙に目を通した。

「記入ミスは無いな。じゃあハロラに提出だ」

「「「ハロラ?」」」

 かつてパーティーを組んでいただけあって、三人の質問が綺麗にハモった。

「ハローライフの略称だ。新しい転生先を紹介してくれる役所だ」

 そう返事をすると、吾輩は寺の正面の引き戸を開放した。

 三人は少々驚いたようだ。日本の寺なら本堂があるはずだが、現れたのは役所の受付カウンターだった。カウンターは無人だった。

「ニケ様」

 吾輩は奥に声をかけた。

「なんだ?」

 だみ声が返ってくる。

「破綻申請です。三名です」

 奥の見えない所で、何やらモゾモゾと動く気配がする。まもなくニケ様がやってくる。巨体を揺すって二本足で歩く様は、『ずんずんずん』という擬音がぴったりだ。

「ね、ね、猫!」

 鈴木が驚いている。

「三毛猫だ」

 田中も驚いている。

「化け猫……」

 高橋は絶句している。そんな三人にかまわず、ニケ様はよいしょと受付カウンターの向こう側の椅子に腰掛ける。身長二メートル超の巨体に抗議して、椅子がギシギシと嫌な音を立てる。

「申請書は?」

「ここに」

 ニケ様は吾輩から申請書を受け取ると、記入欄を確認した。そして机の引き出しから朱肉を取り出すと、右前足の肉球でポンポンと叩き、三通の申請書に次々と拇印を押す。

「これで人生がリセットされるんですか?」

 鈴木が期待を込めてニケ様に訊いたが、ニケ様の返事はそっけなかった。

「まだだ。受付の印を押しただけだ。これから審査を行う」

 ややがっかりの鈴木。その隣で田中と高橋がニケ様を見ながら、ひそひそ話している。

「猫だから語尾に『ニャ』とか『ニャー』とか付けないのかな?」

「付けても可愛くないわよ。猫耳じゃなくて、化け猫だもの」

 なんと罰当たりな。ニケ様が右前足を手拭いで拭きながら、吾輩をギロリと睨む。とばっちりだが所詮は居候の身、吾輩は逆らわず二人に注意する。

「言葉使いに注意しろ。ニケ様は神使だぞ。神様の使いだぞ。機嫌を損ねたら審査で不利になるぞ」

 田中と高橋は黙った。物分かりがよくて助かる。遠藤と佐川のときは──止めよう。思い出したくない。居候とはいえ、(遺体ですらない)かつて人間だったモノを片づける仕事はやりたくない。

 ニケ様の外見にだまされてはいけない。ネコ科は猛獣が多いのだ。残酷なのは天使だけではない、神使も残酷になれるのだ。

「では新たな転生先を斡旋する。まずは鈴木七郎」

「は、早いっすね」

「AIを導入しているからな」

「AIですか!?」

「そうでもしないと転移者や転生者が多すぎて、さばききれんのだ。そこの円の中に立て。嫌ならここで人生を続けるか?」

 鈴木は大慌てで、床に書かれた円の中に駆け込む。

 ニケ様はカウンターの下からマイクを取ると、マイクにささやいた。

「カークよりエンタープライズへ、転送!」

 鈴木が光に包まれ……光とともに消えた。

 吾輩は袖を引っ張られる。見ると高橋が引っ張ていた。

「アレ、何?」

 高橋で視線でニケ様を指す。

「よく分らんが、様式美だそうだ」

「次、田中将司」

 こうして田中も高橋も、新しい世界へ旅立った……どんな世界か知らないけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る