第30話 幕間 その頃の日本

 聖女フルーリャの一日は早い。


 勇者様の邸宅の庭に建てられた教会。


 その一室を占めるフルーリャは、日の出前に起き出し、沐浴を済ませて朝のお祈りを済ませる。


 朝食はユニコーンの乳粥を一杯のみ。


 食後のハーブティーをたしなみながら、パルソミア各地の教会の支部長からあがってきた報告を吟味し、必要な指示を出す。


 その後は、本来ならば聖堂での謁見の時間となり、病や怪我に苦しむ敬虔な信者たちに癒しの秘跡を与えて回るのだが、日本という異世界に来てからは開店休業状態である。


 というのも、勇者様からなるべく地球人との接触を控えるように言われているからだ。


 なんでも勇者様曰く、この世界ではパルソミアよりも情報の拡散や消費が早く、フルーリャがあまり露出するとすぐに陳腐化してしまうのだという。


 要は聖者がみだりに姿を現すと、希少感がなくなり、神聖性が薄れるということなのだろう。


 何かと制約が多い聖女という立場を息苦しく思うこともある。


 しかし、あの国家元首を僭称するダークエルフというおぞましい亜人と常に交わらなくていけない勇者様の日々の苦悩に比べれば、些末な悩みだ。


 フルーリャからすれば、ダークエルフと夫婦になるなど、ゴブリンとつがいになれと言われているも同然であり、その苦しみは想像を絶するものがある。


(どのような場所でも、フルーリャは勇者様のためにできることをやるだけです)


 フルーリャは聖堂の祭壇の後ろの椅子に静かに腰かけて、配下の聖騎士たちの仕事を見守る。


 聖騎士たちはこの世界の箱型の情報収集の魔道具――ノートパソコンを熱心に覗いている。


 地球ではパルソミアのように物理的に外をパトロールできないので、その代替手段を模索した結果だ。


「報告! アカウント『さるぼぼ』による反勇者的発言を確認! 『総理の嘘くさい笑顔が生理的に受け付けない』との由。ご聖断を拝聴!」


 聖騎士の一人が威勢よくそう報告してくる。


「愚かな羽虫ですねー。民に不安を与えないために、辛くても苦しくても常に笑顔を浮かべ続けるのがいかに尊く大変なことか、理解しないとは。勇者様の偉大さを身をもって知ることができるように、さるぼぼには『人目のある所では常に笑顔でないとお腹を壊す呪い』を課します。手ぬるいですが、まずは警告ですっ」


 民草に粗相があっても、こちらから積極的攻撃を仕掛けてはいけないと、勇者様からはきつく言い含められている。


 例外は自衛のための反撃のみだ。


 フルーリャは良い子であるので、勇者様の言いつけを破るようなことは絶対にない。


 言葉には多かれ少なかれ魔力が宿るもの。一般的な地球人の保有魔力は限りなく少ないが、それでもゼロではないのだ。すなわち、公の場で呪言を吐くということは、立派な勇者様への魔法攻撃と言ってよい。


 それはただちに勇者様と一心同体であるフルーリャに対する攻撃も同義であり、害意に反撃するのは当然自衛の範疇であった。


 端的に言えば、『攻撃していいのは、攻撃される覚悟がある者だけ』ということ。


 子どもでも分かる簡単な理屈である。


「承知! 『不愛想には腹痛を!』」


「「「「腹痛を!」」」」


 騎士たちが唱和し、合体魔法を詠唱する。


(私も随分丸くなったものですね)


 昔ならば勇者様の悪口を言う者など問答無用で聖伐死刑確定であったが、いと慈悲深き勇者様は民草が血を流すのを嫌う。なので、口惜しいが段階を踏んで対処しているのだ。


「報告! アカウント『へちま』による反勇者的発言を確認! 『総理が食料乞食してドヤ顔とかこの国終わってるだろ。今まで食料自給率を上げられなかった失政の責任を取れ』との由!」


「報告! アカウント『ムクツケツアルコアトル』による反勇者的発言を確認! 『御主人様に媚びるために難民受け入れとか……。売国奴もいい加減にしてくれ』との由!」


「アカウント『へちま』に『日本産以外の食物を食べられなくなる呪い』を、アカウント『ムクツケツアルコアトル』に『野良猫と人格交換の呪い』を、解除条件は『今までの恵まれた境遇への感謝と不平不満ばかりの人生への反省を三日三晩抱き続けること』とします」


 フルーリャは聖騎士たちの報告を同時に聞き分け、テキパキと不心得者共に罰を与えていく。


(はあ、どこにいても背教者は蠅のように湧きますね……)


 心の中で嘆息する。


 もちろん、フルーリャは勇者様のご威光がすでにほとんどの国民に届いていることを把握している。


 出版ギルド――この世界でいうところのマスメディアが勇者様に心服しているのは当然で、喜ばしいことだ。


 しかし、この世界にはパルソミアと違い、酒場の与太話までが全国民に可視化されるインターネットという道具がある。


 特にインターネットのSNSでは、個人の放言が思わぬ支持を集めることがあるので、油断できない。聖典が警告するところの、偽預言者がそこら中にいるようなものだ。


 地球には『蟻の穴から堤も崩れる』ということわざがあるという。


 フルーリャは一匹の蟻すら許さない。


 勇者様への信仰は完全無欠でなくてはならないから。


「報告! アカウント『漁港JKさかなちゃん@総理推し』の投稿画像、#開運総理写真 トレンド入り!」


 聖騎士の一人がノートパソコンをこちらに向けてくる。


「例の篤信者ですね。今日もいい写真です」


 思わず笑みがこぼれる。


 公式動画――勇者様の従者の園田とかいう女がアップロードした動画の切り取り写真である。そう言ってしまうとありがちだが、この投稿者は目の付け所がいい。


 多くの者が、ドラゴンを肩に乗せた勇者様や、女神像を復元する勇者様など、見栄えの良い分かりやすい活躍シーンに着目する中、彼女の写真は異質であった。『出詰まりをおこした自販機に苦笑する勇者様』、『ホームレスの口笛にハモる勇者様』などなど。敢えて何気ない日常のシーンを選んでいる。


 これは愛を持って勇者様を観察していないと出てこない着眼点だ。


(彼女のように地球にも勇者様の素晴らしさの本質を理解できる心ある人間もいるのが救いですか)


「毎度ながら素晴らしい信仰心です。祝福を授けましょう。彼女個人はこの前に祝福したので――そうですね。今日は彼女の居住区の周りの海に豊漁の祝福を」


 フルーリャは手を組んで祈りを捧げる。


「『篤信! 豊漁! 大釣果!』」


 聖騎士たちが剣を掲げた。


「報告! 内閣支持率世論調査発表! 内閣支持率89%!」


「前回よりさらに5%アップしましたが、まだ十人に一人も背教者がいるとは虫唾が走りますねー。ですが、布教は地道な活動の積み重ねです。この調子で正しき教えを広めていきましょう!」


 フルーリャたちの地道な活動により、勇者様への信仰は徐々に高まっている。


 フルーリャは現在のネット警邏活動を公には明らかにしてないが、民草にも『総理を推すと幸せになれる』という噂は流れているらしい。


 信賞必罰。ゴブリンでも理解できる飴と鞭で、勇者様への信仰を魂に刻み込むのがフルーリャの仕事だ。


(そして、いつかは勇者様とフルーリャだけの王道楽土をこの地に……)


 勇者様がパルソミアであのダークエルフ汚物と結婚する屈辱にまみれなければいけなかったのは、偏に軍事力を得るためだ。


 だが、フルーリャの調査ではこの世界にはパルソミアに匹敵する、いや、それ以上の軍事力が存在する。その兵器は大規模魔法に負けず劣らず凶悪で、一撃で都市を壊滅できるような強力な爆弾を何百発も貯蔵しているとか。


 つまり、それらの兵器を勇者様が牛耳れば、あのダークエルフに軍事的に媚びる必要がなくなり、不本意な婚姻を破棄できる可能性がある

 そうなれば、ルインゴブリンを駆逐し、勇者様が唯一神として君臨する世界帝国を築くことも決して夢物語ではない。その暁には、フルーリャは聖女の役を辞し、第一のペットとして勇者様の隣で眠りにつく。それが、無欲なフルーリャのささやかな願いだ。その目的を達成するためには、勇者様の信者はいくらいても足りない。


(まだまだ先は長いですが、千里の道も一歩から、ですねー)


 フルーリャは髪紐を結び直す。


 その後、聖騎士団の崇高なる戦いは夜が更けるまで続いた。

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