第28話 影の論理

「つまりはそのジャックという男――モリスと対立する勢力の有力者の懐に潜り込めばいいんだな?」


 夕刻。ニューヨークの街中。


 ルインが五十二階建ての摩天楼を見上げて言う。


 目的の人物――元大統領にして、野党の最有力候補は光二とルインとの会食を了承した。


 建前としてはあくまで正規の外交ではなく、夫婦での個人的な晩餐会への参加となる。


「そういうことだ。ちなみに、ジャックはあのホワイトハウスの周りでイキってた陰謀論者たちが崇拝している人物でもある」


「ポピュリストにして煽動者か。まともな人間ではなさそうだ」


「まあ、俺たちが言えた義理でもないけどな」


「ふっ。違いない」


 光二とルインは腕組みし、歩みを進める。


「……」


 そんな二人を先導するのは、秘書役の園田。


 いつものおしゃべりはなりをひそめているが、陽気な笑顔はそのままだ。


 ホテルの中へと入り、ジャック側のスタッフと合流。


 彼の案内でエレベーターに乗る。


 辿り着いた最上階の部屋。


 紅い絨毯が敷かれたその先にある肘掛け椅子に、ジャックが鎮座していた。


 光二たちが入室すると、彼はやおら立ち上がる。


 二メートル近い高身長の、恰幅の良い白人男性。ブランドモノのオーダースーツを着こなしている。


 その隣にはジャックの妻。


 すまし顔の美人な白人で、こちらも高級ブランドで全身をかためている。


 なんでも元ファッションモデルらしいが、モリスのパートナーとは対照的に、いかにも『イケすかない金髪トロフィーワイフ』感がある。


 もちろん、ジャックの隣ではボディガードが常に周囲に目を光らせていることは言うまでもない。


「コージ。よく来てくれた。ジャックだ」


 ジャックは一歩進み出て、光二に握手を求めてくる。


「こんにちは。お会いできて光栄です。ジャック」


 光二は堂々とその握手に応ずる。


 ジャックが強めの握力でマウントをとってくるが、光二はほどほどに握り返した。


 もし光二がガチると相手の手がミンチになってしまうので、結構加減がめんどくさい。


「ハーイ。ルインさん。動画よりも実物の方がずっとキレイね」


「いえいえ、あなたには敵いません」


「そう言ってもらえて嬉しいわ。大金をつぎ込んでるから」


 隣のルインがジャック夫人と握手を交わす。


「さあ、堅苦しいことは抜きにして食事にしよう。好きなだけ食べてくれ。世界一の食べ物を」


 ジャックはそう言って、近くの大理石のテーブルから、ハンバーガーとダイエットコークを手に取った。


「いただきます」


 ハンバーガーの包み紙を開ける。


 光二はジャンクフードが嫌いではない。


 でも、部屋の全てが高級品なのに食べ物だけがチープで、どこかアンバランスな感じだ。


「それで、どうだい、コージ。シンデレラとは上手く踊れたか?」


 ゴルフや野球などのアイスブレイクトークを終えてから、ジャックはそう切り出してきた。


 シンデレラとはモリスのあだ名である。


 彼女の支持者からすれば、『ガラスの天井女性差別を破り、踏み越えて大統領になった』から肯定的な意味を持つあだ名ということになるのだが、反対勢力は『魔法マスメディアが作り上げた虚像のヒロイン』と揶揄する意図で用いる。


 ジャックの場合はもちろん、後者の意味で使っているのだろう。


「ぼちぼちですかね。モリスさんは私より妻の方にご執心のようで」


「HaHaHa。せいぜいあの女狐プッシーキャットに寝取られないように気を付けたまえ」


 ジャックが嘲笑を浮かべて言う。


 光二は彼との会談内容を特に決めてはいない。


 そんな時間も人的余裕もなかったし、そもそも今のジャックにはアメリカの国家事業をどうこうする権力もない。


 じゃあ、お互いに何の得があるのかという話になるが、ジャック側の思惑としては、光二とルインを出向かせた・・・・・時点で、プライドと他候補への優位性を示せるからそれで良しといったところなのだろう。


 そして、光二たち側のメリットは、もしアメリカの政権がひっくり返った時の保険をかけるための顔つなぎ――だとジャックは思っていることだろう。


 事実、日本の前の首相が昔、大統領選に臨む前には泡沫候補だったジャックにいち早く接触して信任を得た前例もある。


「それで、ミセスルイン。お会いしたら是非伺いたいと思っていたのだけれど、あなた何百年も生きているって本当なの?」


 ジャック夫人はジャンクフードには手をつけず、口紅を直しながら言う。


「本当ですよ。失礼ながら、この国の歴史よりも長くメシとクソをさせて頂いています」


「まあ! それはすごいわね。どうやったらそんな若々しさを保てるか教えて欲しいわ」


 ジャック夫人は今日初めて興味ありげな声色になった。


「エルフと人間には寿命の違いがありますが、老化を止める魔法なら我が夫が得意ですよ」


「そうなの? カボチャの馬車を出すよりも、ずっと素敵な魔法じゃない。おいくら出せば施術して頂けるのかしら」


「いやあ、一応、秘術ですからね。お金でどうにかなるものでは」


 光二ははにかんではぐらかす。


「なるほど。金で買えない、か。ならば、ミセスルイン。兵器には興味があるかい? どうせあのシンデレラは平和主義とやらで兵器の輸出は渋っただろう」


「交渉の詳細は申し上げかねますが、そのお話には大いに興味がありますね。特に大きくて太くて速いやつには」


 ルインはそう言って、コーラに突っ込んだストローを口で弄ぶ。


「そうだろう。男も女もデカいブツが嫌いな奴はいない! 特にデカいブツに関しては日本人では満足させられないからな」


 ジャックは二個目のハンバーガーに手を伸ばしながら言う。


「失敬な! 何事にも例外はありますよ」


 光二は語気荒く言うと、スーツのベルトを外し、パンツを下げて下半身を露出した。


「オーマイゴッド。ウインナーかと思ったら、意外と下半身はカリフォルニアロールなのね」


 ジャック夫人が口を押えて呟く。


「ふっ、残念、それは私のおいなりさんだ――とでも言えばいいのか? 我が夫よ。いつまでこの茶番を続けるんだ? 私が中身のない貴族どもの見るとすぐに首を斬りたくなる性分だと知っているだろう」


 ルインが薄い笑みを浮かべて光二の股間を見てくる。


「いや、すまん。結構ハンバーガーが美味くてさ。久々に食うとはまるよな。――でも、その様子だと、どうやらこっちはちゃんと催眠魔法が効いたようだな」


 光二はパンツを上げながら言う。


 ルインがメシとクソなどと言い出したあたりから催眠が効いていることには気が付いていた。


「ああ。このジャックという男の精神力は強い。ともすればモリスよりもな。しかし、柔軟さにかける。硬いだけのダイヤモンドを砕くのは容易い。とはいえ、自然回復は早いだろうからさっさと済ませた方がよかろう」


「じゃあ、やっちまうか。頼むぞ」


 光二はそう言って、近くにいた園田の肩を叩いた。


 すると、園田――もどきが突如、ツルンと二つに裂ける。


 その塊がさらに二つに割れ、四つのペラペラ園田になった。


 やがて、その顔と服が溶けて、細長いのっぺらぼう――オカルトで言う所の『スレンダーマン』みたいな見た目になる。


 その平面のっぺらぼうの内の三枚が、棒立ちのジャック夫妻とボディガードの懐に潜り込む。無論、比喩ではなく、物理的に。


「ひとまずこれで一つ布石は打てたか。影人形ドッペルゲンガーが上手くアメリカ人として振舞えるかは不安ではあるが」


 ルインはジャックたちを一瞥する。


 影人形は乗っ取ったジャックたちの身体の感触を確かめるように、ぎこちなくストレッチを始めた。


「まあ、大丈夫じゃね? ジャックは元々奇行が多い人物だから、ある程度の違和感は許容されるはずだ」


 ジャックはアメリカにとってのジョーカー。


 情報収集や攪乱に使えることはもちろん、上手くやればアメリカ大統領の地位にすら手が届くかもしれない有用な駒だ。


 モリスを信用していない訳ではないが、それでも強大なアメリカと対等になろうとするなら、切れるカードが多いに越したことはないのだ。


「ならいいがな。ふっ、それにしてもジャックを信奉している民衆は哀れだな。肝心の頭領がモンスターに乗っ取られているとも知らずに」


「いや、案外、あいつらが真相を知ったら喜ぶかもよ。各国の首脳がロボットやゴム人間と入れ替わっているっているなんて、その手の陰謀論の定番だしな」


 光二は冗談めかして言う。


「なるほど。それならば、私たちは親切者だな。馬鹿の妄想を現実に変えてやるのだから」


 ルインが皮肉っぽく言う。


「そうだな。じゃあ、用も済んだしさっさと帰ろうぜ。現実になってはならない妄想もあるしな」


 光二はそう呟いて、残ったペラ一の影人形を見る。


「ああ。そういえば、この世界では影人形と複製元の人間が出会うと死ぬという伝説があるんだったか?」


 ルインが思い出したように呟く。


「おいおい、まさか通じるとは思わなかったわ。その内、俺より地球に詳しくなってそうだな」


 光二はルインの情報収集能力の高さに舌を巻く。


 『ドッペルゲンガーと本人が出会うと死ぬ』という都市伝説。ルインがそんなレベルの知識まで網羅しているなら、いずれ光二のフォローなど必要としなくなってしまうかもしれない。


(まあ、今頃、本物の園田はホテルで爆睡しているんだけどな)


 本人の望み通り一日自由時間をくれてやり、ガイドもつけてやって、街中を観光がてら好きなだけジャンクなアメリカ飯を暴飲暴食させてやった結果である。


 一応、保険できっちり睡眠魔法もかけてあるので、明日の朝までは目覚めないはずだ。


「そう私を買いかぶるな。偶然だ。パルソミアで実在するものが、地球では空想上の存在として表現されているケースが多々あるだろう? それが興味深くてな」


「そういうことにしておくか――ってことで、お前、さっさっと三次元に戻ってくれ」


「……」


 ペラペラ園田こと闇人形は無言で頷くと、余ったハンバーガーの山を指さす。

 どうやら、分裂で消耗したエネルギーの補充を必要としているらしい。


「おう。どんどん食え。お代わりもいいぞ」


 光二は鷹揚に頷く。


 すると、闇人形は万歳の格好をして、ハンバーガーとコーラの山にダイブした。さらに口と腹と尻――全身をグネグネと蠢動させ、たちまち身体を膨らませていく。


 やがてそれも終わり、光二たちは、にこやかに手を振るジャック一味に見送られつつ、何事もなかったような顔でホテルを後にした。

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