第186話

オルトヴェイン先生の講義ですっかり疲れ果ててヘロヘロになりながら、ユリウスさんの研究室に向かう。

コンコンとノックし、扉を開ける。

「わ! なんですか、これ!」

夏休みが始まる前とは様変わりし、ユリウスさんの研究室は物、物、物であふれていた。

紅茶が用意されていた戸棚の前には、見慣れぬポットが置かれ、一人掛のソファーの周りには何かわからないものが山積みに、そして浮遊紙に似たものが部屋の中をふよふよ漂う。

物の山からスッと手が伸びて、浮かんでいた浮遊紙を掴んだ。

「だめか。やはり目的地設定が難しいな。じゃあ……」

私の存在を無視して、というよりも気づかずぶつぶつとしゃべっているのは、この部屋の主のユリウスさんだ。

「テルー? やっと帰ってきたー。片づけ手伝ってくれー」

ソファよりもさらに奥に積みあがっていた山から私に声をかけたのは、ジュードさん。

私に気が付いていないユリウスさんは放っておいて、物の山をかき分けながらジュードさんの所まで進む。

「ジュードさん、なんですかこの大量の物」

「ユリウスが作った魔道具」

そう言って見せてくれた水筒は、どこでも魔力を込めるだけで水が飲めるという魔道具だという。

「冒険者必須の道具になりそうだな」と笑いながら、魔力を込めると水がとめどなくあふれ出す。

こぼれる前に魔力を止め、そこからジュードさんは水を飲む。

「でも、急になんでこんなに?」と問えば、何でも付与の練習なんだという。

夏休みに入る直前、ユリウスさんは火、水、風、地の魔法陣を初級魔法くらいなら使えるようになっていた。

だから、夏休みに入る前に魔法陣の描き方や古代語についてさわり程度教えていた。

ジュードさんが言うには、ユリウスさんはこの夏休みの間付与の練習をしまくり、単純に水を出すだけ、火を出すだけと言った簡単な魔道具なら作れるようになったのだそう。

そ、それでこの道具の山。

見回すと、ありとあらゆる素材のものがあった。

よく見れば山の中にきらりと光る小さな宝石もあって、驚く。

小さなくず石でも宝石は宝石だ。安くはない。

ユリウスさん研究一筋だと思っていたけれど、研究の為ならお金にも無頓着なのか。


ふー。

片づけるにしても、どれが何かわからないと手のつけようがない。

「ユリウスさん! 研究は一時中断です!」

私の大声で、再び浮遊紙を飛ばしていたユリウスさんはやっと私に気づき、魔法陣について教えてくれと詰め寄った。

まずは片づけてからだとユリウスさんの訴えを却下したのは良いが、結局この日部屋がきれいになることはなかった。

というのも、研究室にあるのはユリウスさんのオリジナル魔導具なので、一つずつ物を取り出し「これは何?」とユリウスさんに聞かねばならず、そう聞いたら最後ユリウスさんはこう答える。

「それは勝手に湯を沸かしてくれるポットなのだが、水がわいても火がついたままなので失敗品だ。沸騰したら勝手に火が消えるようにするにはどうすればいいと思う?」

そうなると、私もポットの裏に描かれた魔法陣をチェックすることになり、「ここにこんな条件を付け加えたらどうでしょう」と魔法陣を書き換えて実験する。

一度の書き換えで上手くいくことは稀で、魔法陣の詳しい描き方をユリウスさんに教えつつ、ユリウスさんとあーだこーだと話し合いながら、修正していく。

そういうことを夏休みの間にユリウスさんが作った魔導具の一つ一つにしていたため、時間がかかって片付けどころではなかったのだ。

ちなみにまだ付与魔法にたどり着いていないジュードさんは、実験が失敗するたびに水浸しになった床を拭いたり、火が燃え移りそうになった本を退避させたりせねばならなかった。


いくつかの魔導具を完成させると、もうとっくに昼ご飯の時間は過ぎていた。

いつの間にかジュードさんが買ってきてくれていたパンとテレンスさんの研究室にある甘麹を飲んで、物だらけの研究室で一息つく。

前から思っていたが、ユリウスさんは魔法の素養が高いなぁ。

聖魔法使いということで、火、水、風、地のすべての属性をバランスよく使えることも習得が速い要因かもしれない。

帰省した時、兄様や父様と一緒に魔法陣の特訓をしたけれど、火魔法使いの二人は水魔法にかなり苦戦していた。

それに比べて魔力の少ない母様は、すべて初級魔法しか使えないが、すぐに火魔法も水魔法も、もちろん風魔法も地魔法も使えるようになった。

ユリウスさんは聖魔法使いであり、魔力も多い。

すごい魔法使いになりそうだ。


ふと天井を見ると、未だに部屋の中をぐるぐる回っている浮遊紙があった。

「ユリウスさん、あれはなんです?」

「授業に浮遊紙ってあっただろう。あれを自分で作ってみた。だが、あれはまだ未完成だ。浮遊紙のように魔力コントロールで紙を動かすのではなく、自分で思った場所に飛んでいく仕様にしたいのだが……。難しいな。何かいい案ないか」

自分の思った場所に飛ばすかぁ……。

あ、でも、指定した場所ならできるのでは?

手近にあった紙を二つに切り分け、魔法陣を二つ描く。

「飛ばすのとちょっと違うんですが、この魔法陣が使えるかもしれません」

描いたのは、文箱メッセージボックスに描いている魔法陣だ。

「これは……なんだ」

「こっちの魔法陣とあっちの魔法陣の間だけで物を移動させる魔法陣です。ほら、ここの部分見てください。これが飛んでいく場所の条件指定になっているんですよ。だから、ユリウスさんの浮遊紙にこの条件付け加えたらどうでしょう」

説明しながら、手近な紙を魔法陣の上に乗せ、魔法陣間を移動させてみる。

「テルー。これは……なんなんだ」

ユリウスさんが今度は指をさしながら、再び同じ質問をしてくる。

何をそんなに知りたいのだと、彼が指さすものに目を向ければ、それはこの魔法陣に描かれているマークだった。

魔法陣を描くためには、魔法属性を表すマークと古代語で条件を書き記さねばならない。

さっきの水が沸く水筒なら水のマークを、湯沸かしポットなら火のマークを、浮遊紙なら風のマークを。

結界なら、火、水、風、地のすべての属性のマークを記してつなげなければならない。

そして、ユリウスさんが指さすマークはその四属性のどれでもない。

「多分、転移……かな?」

最初に文箱メッセージボックスを作ったのが随分前なので忘れていた。

私も最初驚いたんだった。

何かわからないはずなのに、あの頃の自分にはすごく難しい魔法だったはずなのに。

何故か私はそれが転移を示すのだと理解したし、すぐに使えるようになったのだ。

ということはやっぱり、ライブラリアンは転移ができるということなのだろうか。

ユリウスさんにはこのマークについて解説している本がないことを説明したうえで、すんなり使えるようになった自分の経験を話す。

また、ほかにこのマークを使った魔法陣を見たことがないことも。

「やっぱりライブラリアンのスキルって転移なんでしょうか」

そう問いかけたが、ユリウスさんはややあって慎重に口を開いた。

「いや、そんなことよりも。火でも水でも風や地でもないマークがあるということは、我々が知らなかった第五の属性があるということじゃないか」

え?

確かに、そう……かも。

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