第26話

「テルミス様の護身術を担当しますゼポットじゃ。

もう引退した老いぼれじゃが、まだまだ若い騎士にも負けておらんよ。

しっかり強く育てるので心配無用じゃ。

これからよろしく。」

「ゼポット様。よろしくお願いします。」

「じゃあ早速やるかの。

今年の目標は聞いたか?」

「はい。走って逃げられるよう体力増強といざという時に声を上げられるようにすることだと伺っています。」

「そうじゃ。

だから今日わしはお嬢様を追いかけ、捕まえる。

捕まった!と思ったら、「助けて!」と叫ぶのがお嬢様の役割じゃ。

捕まるまでは、必死に逃げる。わかったかな?」

「…?は、はい。それだけ…?でしょうか?」

「あぁ。それだけじゃ。今から100数えたら追いかけるでな、訓練所内ならどこへ行ってもいいから逃げなさい。

さぁ、はじめ!」

これなら簡単じゃない?と思いつつ、逃げる。

逃げると言っても私は無限に体力があるわけでもないし、どこかに身を隠すのがいいだろう。

どこか…ないかな?

「40、41、42、43…」

あ、あの木の裏なんてどうだろう。

青々葉が茂り幹の太さもしっかりある木の後ろに身を潜める。

「96、97、98、99、100

さて、お嬢様今行きますぞ」

そう言った瞬間、ゼポット様はギロッとこちらを射抜いた。

み、みつ、みつかった!

に、逃げなきゃ…と思うのに、足がすくむ。

手が震える。

ゼポット様は走るでもなく、悠々と歩いてまっすぐこちらに向かってくる。

今逃げなければいけないのはわかっている。

わかっているけれど動けないのだ。

こわい…こわい、こわい、こわい。

ついに私の前まできた。

「捕まえた。」と手を握られる。

それでも私は動けない。

助けてって言わないと…言わないと…

涙が迫り上がってくるが動けないし、声も出ない。

「た、たすけて…」って言ったつもりだったのに、耳から聞こえるのはハクハクと息が出る音だけで。

こ、こわい、たすけて、逃げたいと思うのに何もできない。

その時パチンと音がした。

ゼポット様が顔の前で手を叩いたのだ。

「訓練とはいえ、怖い思いさせてすまんかった。

あっちにお茶の準備をしておる。

ちょっと話をしようかの」

怖すぎて立てなかった私を、ゼポット様が抱えて連れて行ってくれる。

怖くて逃げたいような重圧がふっと無くなり、安心してゼポット様にぎゅーっと掴まってしまう。

あぁ。怖かった…

訓練所の端には、温かいミルクティーとケーキが用意してあった。

「落ち着いたかの。

話せるか?

お嬢様に課したのは、逃げること、捕まったら声を上げることじゃったが、どうだった?」

「ゼ、ゼポット様が100数えてすぐに、こちらを向きました。

その瞬間から、怖くて逃げ出したくて、それでも体がピクリとも動きませんでした。

近づいて来られるほどに怖くて、逃げなければと思うのに動けず、ついに捕まってしまっても、たすけてと叫ばねばと思っても声が出ませんでした。

すみません。」

「謝らなくていい。

わしはそうなるじゃろうと思っておったでな。

護身術というと、仕込んでいた短剣や自らの手や足を使って相手を迎撃する術というのが一般的に知られておる。

それも間違いではない。

じゃが、お嬢様のように今まで訓練をしてない御令嬢はそもそも習得にすごく時間がかかるし、何より相手の殺気を受けただけで動けなくなってしまうものじゃ。

せっかく習得しても本番で使えなければ意味がないじゃろう?

だからまずわしはお嬢様にこの怖さの中でも動けるようになって欲しいのじゃ。

相手を打ち倒さなくても構わない。

まずは危険な状況に慣れ、その時にどうしたらいいか考えられ、動けるようになって欲しい。

それができるようになったら逃げるための訓練をしよう。

危険な時大事なのは、相手を倒すことじゃない。

逃げて逃げて、生き延びることじゃからな。」

「は、はい。

…私にもできるでしょうか」

「大丈夫じゃ。そのためにわしがおるのじゃ。」

甘いケーキとミルクティーで落ち着きを取り戻した私はそのあと3回ほど同じように追いかけっこした。

ちなみに最初にした追いかけっこでは、レベル5くらいの殺気(ゼポット様曰く)を放ったらしい。

レベル5は私にはまだまだ怖すぎるので残りの3回はレベル1にしてもらった。

1回目は、怖かったけれど辛うじて足が動き、近づくゼポットから1回逃げられた。

けれどそのあと距離がさらに近づくと怖くて動けなくなり、すぐ捕まった。

たすけてと言おうとしたがやっぱり声は出なかった。

2回目も同様。

3回目にようやく捕まった時に震えながら「た、たす、け、て」と声に出して言えた。

近くにいても聞こえるか聞こえないかわからないくらい小さい声だったけれど…

それでもゼポット様は「よくやった!」と褒めてくれた。

嬉しい。

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