都会を泳ぐ魚

緒桜花ノ(おざくらはなの)

第1話

「魚が都会を泳いでいるみたいね」


そう言ったのは、彼女だった。


もう、1年前の話になる。


僕と彼女の1年前の関係は、カメラマンとモデルだったが、


今は恋人同士になっていた。


今の彼女はもはや、余命幾ばくもない。


彼女の家族の願いから、抗がん剤で命をつないでいる。


日に日にファインダーに映る、彼女の長い髪はすっかりと抜け落ち、ふっくらとした頬は痩せこけていった。


それでも、彼女の笑顔だけは、変わる事が無かった。


いつものように病室に行くと、


彼女は窓の外を眺めていた。


彼女は僕に気付くと、にこりと笑いかけ、ゆっくりとした足取りで窓に近づき、


両手を広げてこう言った。


「写真、撮って。」


「今日は何のポーズ?」


「ふふ、私、鳥みたいでしょ。」


青々と澄み渡った空に、彼女の白い服が映えていた。


ファインダーの視界から窓枠を外し、空と彼女だけにピントを合わせる。


「本当だ、鳥みたいだ」


その時ふと、1年前、彼女と水族館に行った時の事を思い出した。


その水族館はビルの最上階にあり、壁はガラス張りで、


水槽から覗いても都会が見渡せるような構造になっていた。


「魚が都会を泳いでいるみたいね」


「本当だ」


ピントを絞ると、


まるで都会を泳いでいるような、魚。


「ね、そんな風に見えるよね。」


でもそれは、ファインダーの中の世界。


現実に魚が泳いでいるのは、狭い水槽。


魚は、



その狭い世界で生きるしかない。


広い世界に出る術もなく、


力尽き、命が果てるまで、


ただただ、


人の手で生かされる。


自由に広がる世界を見続ける事しか出来ず、


ただただ、


生き続けるしかないのだ。



それから、数か月が経って、彼女は、かき消えるような小さな声で言った。


「・・・今まで・・・・撮った・・・・写真・・・見せて・・」


彼女はもう、立ち上がる事も出来なくなっていた。


彼女は写真を見ると、痩せこけた顔で、小さく笑った。


「・・・・ふふ・・・私・・・・飛んでる・・」


それは、彼女が太陽に向かって羽ばたいているような、あの写真。


「・・・そうだね」


そう答えると、突然、涙があふれてきた。


「・・・・・・写真・・・・・・あり・・・・が・・と・・・・う・・」



力なく延ばされた彼女の左手、


でもそれは、


僕に届く事は無かった。


彼女を撮った最後の写真は、


僕の部屋に飾ってある。


彼女がいつでも飛び立てるように、


窓際に。


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都会を泳ぐ魚 緒桜花ノ(おざくらはなの) @aoba618

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