第17話 3日間、支えよ
命からがら、リマオ軍務大臣が王宮に着いたのは夜になってからだった。
時に味方すら疑う用心深い性格が幸いした。一刻も早く王宮を目指すのではなく、あえて隠れていたのだ。
王都までの最短距離を避け、騎馬の入れぬ林間の中で見つけた藪に日が沈むまで潜み、動かないようにしているのには忍耐心が必要だ。だが、生き残ろうという執念が、それを支えていた。
事実、その後も油断なく周りを見ていると、日暮れまでに2回もサスティナブル帝国のものだと思える捜索兵を見かけた。どうやら逃亡ルートは察知されていたらしいと知った。
『味方が裏切って喋ったのか? いや、俺が使う予定のルートは誰にも喋ってないはずだ』
参謀長のキャラカにも、親切ごかしに「お前の頭脳は大事だ。先に王都に戻れ」と優しく言って、王都までの最短ルートは教えてやった。
敵から見たら予測しにくいここを見回りに来る敵だ。キャラカは確実に掴まっているはずだ。
『キャラカですら、オレの逃げる場所は知らないんだ。となると敵の捜索隊によほど運の良いヤツがいるとでも? それとも、やはり裏切り者が潜んでいたのか?』
しかし、使うルートを誰にも教えてないのに裏切りもクソもない。おそらく、凄まじい偶然の結果に違いないと自分を納得させた。
『まさか敵の脱出ルートを予測できる人間なんてのがいたら、そいつは人知を超えてしまっているってことになるからな』
そんな風な「智のバケモノ」がこの世に存在したら、何度、この先戦っても勝てるわけがない。
『まあ、そんなヤツがいるっていうのはお伽噺だ』
ともかく、今は文字通り雌伏の時である。草むらの中で、ありったけの草を被っている。お陰で捜索隊に発見されずにすんだ。けれども、どこかに毒虫でも混ざっていたのだろう。顔も体も全身が痛痒くて掻きむしったが、身体を冷やすこともできない。
しかし、ここは我慢だ。そもそも地方の弱小子爵の身で大臣にまで上り詰めたのも、あっちに諂い、こっちに媚び、下げたくない頭をどこにでも下げて見せたお陰なのだ。
自分に才能がないのを一番良く知っているのはリマオ自身なのである。
『オレの持ち味は、警戒心と我慢、そしていざとなったらプライドを捨てられるってことなんだからな』
将軍や大臣を示す記章も持ち物も全てを投げ捨て、逃げ際に持ち出した下級士官の帽子だけを被っている状態である。
ともあれ、慎重第一に動いた結果、辛うじて王宮にたどり着いたのである。既に深夜になっていた。
「私だ」
「止まれ! 何やつ! 王宮にただで入れると思うな!」
番兵が槍を突きつけ、たちまち10数人に取り囲まれる。
「馬鹿者! 私が分からないとは何事だ!」
「お前みたいな汚い知り合いなんていえねぇぞ」
番兵が嘲笑う。
「お前達、正気か? 大臣である私がわからんというのか?」
「大臣?」
「私の顔が分からんのか!」
激怒するリマオだが、実は毒虫に刺されたせいで、顔中が腫れ上がっていたのだ。しかも下級士官の帽子を被り、汚いシャツだけのオッサンである。
信じてもらえなくて当然だった。
そこから、途轍もなく意味のない、長いやりとりの結果、大臣付の小姓を務めた男が急遽呼び出され、なんとかことなきを得たのは深夜になってからだった。
ともかく、身なりを整えると、とっくに寝ている時間の王が呼び出してきたのである。
『さすがに、王も、敗戦をご存知か。さて、作戦のミスをどうなすりつけるかだぞ。いや、それよりも、籠城の手はずを整えねば』
リマオが見たところ、敵は攻城戦を戦えるだけの人数も装備もない。籠城した上で、国中の貴族に背後を叩かせれば、十分に勝てると踏んだのだ。
その口上を考えつつ、王の下へと向かった。どうやら玉座の間ではなく、会議室で行われるらしい。
『ということは、王の胸の内は降伏か、脱出か、それとも抗戦かというあたりか』
降伏だけはさせてなるものかと思うのは当然である。
この場合、軍関係の主立つものは首をはねられるのが通常のこと。戦争により一国が降伏した例というものは歴史上存在しないが、サスティナブル帝国側から見て、王の一族を活かしておくはずがない。国王は良くて毒杯を与えられ、悪ければ見せしめの処刑が行われる。 もちろん、係累は皆殺しになるのが当然だろう。
『そのあたりを訴えて、何とか籠城に持ちこめば良い。王も死にたくはあるまいぞ』
しかし、会議室において国王の顔を見た瞬間、まさに「最悪の決意」をしてしまったのだと直感した。
あまりにも爽やかで穏やかな顔をしていたのである。
全てを諦めてしまった顔だ。
当然のように、敗軍の将への叱責などなくて「ご苦労であった」といたわるひと言である。
だからこそ、リマオは詫びることよりも、言い訳よりも先に叫ばねばならなかったのだ。
「陛下! 諦めるのはまだ早すぎますぞ! 敵には兵がなく、兵器もなく、輜重もありませんでした! ここで、持ちこたえさえすれば我らの勝ちなのです。どうぞ、お気持ちをお保ちください!」
臣下としては最大限に無礼な物言いである。だが、メハメットⅣ世は、疲れたような表情で「無理だな」と応えたのである。
「ヤツらが王城を落とせるわけもなく、諦めるどころか、我が貴族達で囲めば敵の皇帝とやらも人質にできますぞ! 陛下、どうぞご再考をお願いします」
ご再考も何も、メハメットⅣ世は一切の結論を言葉にしてないのだが、リマオはその表情から結論を読み取ってしまっているのである。
「すまんな。そちの希望は答えてやれんのだ。のぉ?」
そこに現れたのは、病で引退したはずの前内務大臣バッキンであった。
「我が国はもう戦えない。降伏するしかないのだ」
「貴様か! 陛下にあることないことを吹き込んだのは!」
「我が国には兵糧もない、兵もいないんだぞ? 戦いようがあるまい。なんだったら、卿が槍を持って一人で戦うのかね?」
「な、なんだと! ここは王城だぞ! 守兵をかき集め、近隣の貴族どもを呼び集めれば、まだ数千はすぐに集まる。それだけでも敵を寄せ付けないはずだぞ」
「近隣の貴族が、集まってくれると良いのだがね」
「なんだと?」
バッキンは手に持った何通もの書状を見せつけるようにして机の上にバラバラと落とした。
「中身はみんな同じだ。当主、急病にてこの度の出兵はしばらくご猶予を、だとさ。我々が負ける姿を遠くから見ているつもりだよ。誰もここにはこないだろう」
「なんだと……」
「とは言え、そちの言い分も一部は入れるぞ。このままだと陛下のお命が危ないからな。形だけでも抵抗はする」
「かたち、だけ?」
「そうだ。敵の攻撃を数回はね除けて見せてから、和睦の使者を出す。そこで陛下の隠居を認めるという条件を飲ませるのだよ」
バッキンの表情には「それ以外の条件は付けないのだ」と書いてあった。
ワナワナと口元を震わすリマオ軍務大臣に対して、メハメットⅣ世は立ち上がって、改めて「勅命じゃ」と申し渡す姿勢を取った。
反射的に受令の姿勢を取ってしまうリマオである。
「命ずる。現有戦力を用いて3日間敵の攻勢を支えよ。そなたの全力でじゃ。失敗したら死罪、一族の領地も財産も、そして命も全てが没収となる。ただし、それをするのは、きっと我ではないだろうがな」
皮肉な笑いを浮かべてメハメットⅣ世は言った。
「最後の最後くらいは、軍を司る大臣として仕事をせい。失敗しても成功してもそちは死罪であろうが、成功したら家族だけは助かるように予も努力することは約束してやれるぞ?」
リマオ軍務大臣にとっては最悪の内容が、最高に優しい言葉で告げられたのであった。
こうして、ガバイヤ王国の最後の3日間が始まったのである。
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作者より
アスパルの会戦が大敗北に終わったという情報は既に王宮に届いておりました。すぐさま国王は唯一の「非戦派」であったバッキンを呼び出して相談をしたわけです。その結果、降伏をすることは仕方ないとしても「国体維持」だけは譲れないということになりました。もちろん、座して攻略されるのを待っているワケではなく、有力な貴族を使って「攻略に来た敵の背後を突いてほしい」という内容を貴族達に相談しています。
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