第2話 バタフライ

 ロウヒー家騎士団の朝は早い。


 日の出の前には既に全員が起きて動き始めている。


 ベテラン達の機嫌が良かった。


 朝一番に、各自のロッカーに洗濯物がからだ。しかし、一応洗濯場に行ってみると「万国旗」である。


「あ~あ、いつも通り、洗濯してから出てったんだな」

「思った以上に良いヤツらだったわけか」


 洗濯物をする間、誰も見に来ないことに気付いていれば、4時間ほどは逃げる時間が稼げると早く気付けよと、ベテラン達はずっと思っていた。


「いやいや。こうしておけば時間が稼げるって思ったのかもよ」

「オレ達が絶対に見に来ないってのを知らないはずはないだろ」

「あいつらの頭で、そんな高級なことを考えられるわけねぇーかもなぁ」

「まあ、いつのまにか騎士団に混ざっちまうくらいお人好しだからな」

「頭のいーヤツが、羊肉のステーキに釣られて、オレ達の演習に付いてくるワケねーよ」


 違いねぇと誰かが応じると、男達はどっと笑った。


「ま、いずれにしても、よーやくってことだな。良かったぜ」

 

 遠征軍の敗報以来、騎士団のパトロールも演習も南の土地ばかりを選んでいた。どう逃げれば王都にたどり着けるのか二人に土地勘を付けるためだ。


 演習自体も実戦的で厳しいものにした。途中で遊牧民族に出会わないとも限らない。逃げるには乗馬を始めあらゆる技術を身につけさせる必要があったのだ


 初老の域に達した副団長のジョイは、とっくにわかっていたし、あきらめてもいた。


「国に反乱を起こしたことになる。いくらオレ達でも勝てるわけが無い。オレ達は全員死ぬ」


 事態を掌握した初期の頃から、若様にわけの分からないまま連れてこられた二人の若者だけは逃がしてやりたかった。


 けれども若様が連れてきた人間だけに難しいという面がある。


 どれほどこっそりとであっても「早く、ここを見限って逃げ出せ」と言うことはできない。「最後まで守り抜く」のは騎士団の建前ではあるが、たとえ建前であっても、いや建前だからこそ守るのもまた騎士団のプライドなのだ。


 だから、口が裂けても「どうせウチらは負け戦で死ぬか、処刑されて死ぬかしかない。お前達は早く逃げて生きのびろ」だなんて言葉を出せるわけがなかった。


 ベテラン達はみな同じ思いを共有した。アウンの呼吸で「早く逃げろ」と舞台を整えてきたのだ。それなのに、肝心の本人がグズグズとしていて、ずいぶんと気を揉んでいた。


 孫と同じ年齢の二人は「良い子過ぎる」というのがその評価だ。


「ま~ったくよぉ、全然、オレ達を利用してねぇーじゃん」


 隊舎の片隅に、演習などに持っていく保存可能な堅焼きパンの置き場を新設してやったのに、そこから持ち出した形跡も無い。一番新しい鞍だって、二人の馬がつながれている馬房の手前に置いておいた。それなのに、連中が持っていったのは、いつも使ってきたヤツだった。


 あげくは、丁寧に洗濯までしてからの脱走だ。


「まったくよぉ、ふざけてやがる。これじゃあ、捕まえてくれといっているようなモンだろ、バカ野郎め」


 隊舎から振り仰げば、ようやく朝陽が昇ってきたところだ。


 オレンジ色の光りがまぶしく感じる。良い朝だ。こんな朝陽を、あと何回見られるのかと考えてしまうと、ついつい、余計なお世話がしたくなる。


 仕方ない。あと一仕事してやろうと判断すると、たちまち大声を出した。


「ディック、ゼブ、ロイ」


 三人のベテラン中隊長を呼んだ。


「「「はい」」」

「ボンのがする。おまえ達は三手に別れて総員を出撃させよ。急ぐぞ。人員分けは適当で良い。緊急出動の帰隊は明日の夕刻とする」

「「「ハッ! 直ちに、緊急出動を掛けます」」」


 こうすると、特定の人物がどこの隊で出撃したのか、あるいは「いなかった」のか全部隊が戻ってくるまでわからなくなるのも仕方ないことだ。


 慌ただしく出発していく部下達を見送るジョイ。


「さて、緊急出動の報告は、誰に出せば良いんだ? 家令だったらクーパーよりもヴィンチの方がマシだな。それとも、まさかヤリ部屋に押しかけるってわけにもいかねぇか」


 苦い顔で独りごちたのであった。


・・・・・・・・・・・


 ヤリーヤリの邸部屋である。


 巨大なベッドの上でミガッテは、喘いでいた。肉が付いた腹を大きく上下させて、息が絶え絶えの状態である。


 少年の精力は無尽蔵ではあっても、体力はないのが問題らしい。


 その点、技術も卓越し、男女の違いもあるおかげで、ヤリーは元気だった。


 もちろん、男性を満足させるためにたゆたう風情は見せてはいるが、本当は、今すぐ起き上がって、ダンスを踊れるくらいの元気さが残っていた。


「ミガッテさまぁ、ステキぃ。壊れちゃうかと思いましたぁ」


 甘ったるい囁き声は、ヤリーの武器でもある。


「おぉ、そうか? へへへ。オレって上達した?」

「すっごいですぅ。ヤリー、こんなの初めてぇ」


 ワザと舌っ足らずな話し方をするのは、教え込まれた技術だ。男は、色っぽさと頭の悪さは、イコールだと思っているモノだ。


 その油断につけ込めば、男をコントロールするのは容易いはずだった。


 ロウヒー家の領地まで逃げてきてからは、いかに逃げ出すかばかりを考えていたが「滅びの美学」に酔いしれているかのように、ジャン侯爵は、コントロール不能になった。


 当主が討ち死にしたという知らせを聞いて「チャンス」と思ったところに、今度は「坊ちゃん」である。


 しかし、考えようによっては、性への憧れのある少年の方が自分のコントロールが強くなるはずだと前向きに考えて、全力で挑戦した。


 結果として「また」だった。息子でも、ヤリーは失敗してしまったのだ。


 性に溺れすぎてしまったのもあるが、むしろ、滅びの現実化という凄まじい事態にメンタルがやられてしまったらしい。


 古来、ショックを受けた男が女の身体にのめり込むのは珍しいことでは無かった。


 以来、寝食を忘れてヤリーの部屋に居座ってしまった。何をどう言い聞かせても、逃げるでも無く、残りの戦力を率いて迎え撃つでも無く、何もしようとしなかったのだ。


『これじゃ、私が逃げることもできないわ』


 こんなところで心中などまっぴらだ、というのが本音である。


 女の魅力だけを研ぎ澄ませたように見えて、実はヤリーは学問もできる。語学だって大陸共通語のちょっとしたナマリや単語の違いで、相手の出身まで当てられるほど堪能である。ホントは馬にだって乗れる。


 しかし、当主亡き今、領を背負わなければならないはずの若様が、ベッドで24時間ひっついているのでは、どうやっても逃げ出す方法が見つからなかった。


 いっそ、あちこちに隠し持っている毒を飲ませてとまで思ったほどだが、1日に何度もメイド達が代わりばんこに入ってくる邸の中で、若様を殺して稼げる時間はせいぜい3時間だ。


 若様が死ねば、自分が疑われるのは当然のこと。領地にいる騎士団が全力で追いかけてくることを考えると、暗殺は悪手なのが明らかだ。


 せめて、騎士団が丸一日どこかに出動してくれれば、逃げる方法だってあるのにと悔しくてたまらない。


 もうすぐ討伐隊もやって来る。


 回数ばかりが増えていく若様は、その都度激しく消耗する割に、眠りが浅いから「寝ている間に」が不可能なのだ。


 八方塞がりだった。


 そんな時に起きたことだった。


 家令クーパーがベッドサイドまで来ての緊急報告だ。当然、ヤリーはシーツをまとっただけの姿で横にいるが、いないものとして扱われている。


 こんなことが何度もあったので、いかにも「やった直後」のベッドサイドで報告するのもだいぶ慣れてきたのであろう。


 クーパーは若き領主様だけに視線を合わせて、硬い声で報告した。


「ジョイからの報告がありました。ボンの北方に不穏な動きあり。騎士団は総力を上げて、三手に別れて強行偵察をおこなうとのことです」

「わかった。わかった。良きに計らえ。どうせ、オレには何もできないんだからな」


 ミガッテは、ウルサそうに答えてからシャワーをしに出て行ってしまった。ヤリー邸付の3人のメイドは、全員がご主人様に付いていくのは当然のこと。


 残されたクーパーに向かって、ヤリーは妖艶なウィンクをして見せて、ほんのわずかばかりシーツをズラしたのだ。


 慌てて目を背け「失礼を」と出て行ってしまった。


 クーパーが玄関を出たのをしっかりと確認した後で、ヤリーは裸のまま、小さなビンを取り出すと、その無味無臭の液体をメイド達用の水瓶にそっと垂らしたのだ。


 風呂場の様子をうかがいながら、ヤリーは荷造りを始めたのであった。


 


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

えっと、ヤッバイ君とモレソ君の動きが、こんな影響を与えていました。

けっこう、騎士団の人達は良い人達だったんです。

当然ながら、家令や家宰は大逆罪の連座対象です。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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