第57話 シベ・消滅
シベの街では、逃げ出そうとする動きは確かにあった。
しかし、元の住民が3千人ほどの街に教会関係者が5千人も入っている。
その大半は枢機卿という立場に付随する人々であったが、信仰心の厚いことにかけては、並ぶものもない者達である。
とは言え、いつだって例外はある。司教レベルであれば別だが、下働きの者達の中には、信仰心よりも「働き口」として見ている者達は確実にいた。
特に技術系のものほど、その傾向が強い。
それは、調理や洗濯、身の回りの各種修理を引き受ける者達だ。
「やべっ、逃げるしかねぇ」
そんな言葉を囁き合って、いち早く逃げ出そうとしたものはいた。しかし、そういう時こそ「白ネズミに混じった黒ネズミ」はクッキリと見分けられてしまうものだろう。
北方遊牧民族からの降伏勧告を受けてから1時間も経たぬウチに、20人ほどが粛正されると、あっと言う間に静かな街へと戻ったのだ。あくまでも表面上ではあるが。
枢機卿会議を行っている街一番の建物(元は富商の住宅であったところを接収した)では、激烈な議論が行われていたのである。
細かな話を取り上げるまでも無く、あらゆる言い訳を並べて「降伏を」を主張するのが大半である。しかし、エブリー・イーチが例の密約を持ち出したときに言われたエルメスの言葉を告げたときから、流れが変わった。
「魔王は、こう申したのです『北方と妥協や密約でも結ぶ人間が出た場合は、国教どころか、必ず地方司祭以上を全員処刑し、シードを徹底的に破壊する』と。キヤツは必ずやるでしょう」
シーンとなった。口々に魔王を非難する言葉が乱れ飛んだが、今までのやり口を見ている限り、これが脅しであるはずがないと思う程度の頭は全員が持っている。
さもなければ、枢機卿にまで上り詰めることはできないのだから。
重苦しい沈黙が支配した時、突然、ほほほほ、と怪鳥ように甲高い笑い声が響いた。
「な!」
「ウェルパン殿!」
「どうなさった?」
やれやれ、と言った風情で首を振りつつ、立ち上がったウェルパン2世は「諸君、何を狼狽えているのだね? こんなこと分かっていたではないか」と、緊迫した空気を破るかのような妖艶な笑みで人々を見渡したのである。
エブリーは「分かっていた?」と辛うじて声を出したのは、密約を取り付けた責任感のようなものだろう。
「私はみなさんに言いましたよね? もう一度申し上げましょうか?」
ウェルパン2世は、満面の笑みでありながら、今度は、説教の時のような重々しい声で、こう告げたのである。
「グレーヌの歴史において、教団の大きな前進の前には必ず、我々の神を信じる心が試される場面が起きてきましたとね。そして、それを考えておかないと我々は大きく道を誤ることになるとも言いました。お忘れですかな?」
全員が、その言葉を覚えていた。しかし、かと言って、1万の軍勢が全滅させられた相手に、まともに戦えるわけが無い。この街に残っている戦力など、各枢機卿の護衛程度だ。全部を集めても1000人もいないはずだ。
「何を恐れているのです? 我々はグレーヌの神にお仕えする身。この世で命を失えば、魂は神の世界へとお導きいただけるのですよ? その後に残るモノにイタズラされたからと言って、何が困るのでしょう?」
その瞬間「全滅前提かよ」と他の枢機卿達は思ったが、まさか言葉には出せない。
「しかし、街の者達もおりますぞ」
第2教区のトマス・ワラジーは、ホンの一瞬瞑目してから、そう言った。ほとんどの人間はグレーヌ教徒だが、信仰心の厚い薄いがあるのは現実なのである。
信仰心の薄いモノに「神のために死ね」が通じるかどうかが、難しい。
「神の前に、我々はこの命を捧げましょう」
「全員で戦えとでもおっしゃるのですか! それこそが無理と言うもの!」
悠然と「全員殉教」を言葉にしたウェルパン2世に、第1教区のエブリー・イーチは、薄くなった銀髪を頻りにかき上げながら噛みついた。
「我々は宗教者です。戦いは本分では無い。しかし、神の前に命を捧げることは出来、そして、枢機卿全員が率先して命を捧げるなどということは、グレーヌ教設立以来、最大の出来事となるでしょう。それこそが、この後の大いなる前進の糧となるに違いありませんな」
第3教区のシュワール・マゼランは禿頭を右手でペシペシと叩きながら言った。
「恐縮です、ウェルパンどの。この金柑頭にもわかるように、お話しいただけませんかな?」
「簡単です。降伏はできぬ。したがって徹底抗戦を命じます。しかしながら、我らは民のためにいち早く、この身を神に捧げましょう」
「それはいったい……」
「教会の周りに薪を集めさせましょう。我らはそこに籠もり聖句を唱えながら神に召されるのです。希望する者も富めるも、貧しきも、老いも、幼きも、全て受け入れます。若き男達にのみ、最後まで戦うように命じます」
キッパリと言い切ったウェルパン2世は「おのおの方、ゆめゆめご反対なさらんな?」とダメを押したのである。
これまで略奪してきた街々の人間を一斉に壁に登らせたのは「いつものやり方」であった。
シベの街は昼までに占拠されたのである。
生き残った者は、記録されていなかった。事実上、シベの街は、この日、地図から消滅したのであった。
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作者より
街を襲うのは騎馬にとっては面倒なことなので、奴隷化した人々を「死に兵」として使うのが常です。
シベ程度の街だと、持ちこたえるのは不可能でした。
なお、枢機卿と一緒に殉教を選んだ人々は意外に多く、数百人が教会の中で燃え、その回りでは悲惨な自死が広がったようです。
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