第56話 壊滅

 テムジン山に「地獄」が出現した一週間前のこと。


 シベの北 200キロ


 この場所「トク荒野」とは、東西に100キロ 南北に5キロほどの広大な平地である。元々は「古チクマ川」がサスティナブル王国では「西部山岳地帯」と呼ばれる山々から運んだ肥沃な平地であったはずが、遙か上流で流れが変わったため、いつしか農業に適さず、巨木も生えない土地となってしまった。


 つまりは遊牧民達にとっては、使い勝手も良い上に羊たちに食べさせる草も豊かな場所である上に、馬を走らせるに邪魔なあれこれもないという言う、我が家のように落ち着ける場所だ。


 大胆にも、土グモ達定住民が決戦を挑んでくるつもりであることを見つけたのはアルクイだった。


「やれやれ。なめられたもんだな」


 バルクイは、首を振りながらニヤついた。の数に不足はない。


「連中は土グモだ。馬の連中を引っ掛けたら、あとはいつもの通りで良いだろう」

「アルの作戦はいつも上手く行くからな。それでいこう。後はオレにまかせとけ」

「連中の横にある丘の陰だな。あそこなら連中からは見えまい」

「距離もちょうどだ。それで良いぞ。んじゃ、アル、行ってくるぞ」


 細かい話などいらない。


 バルクイがパッと立ち上がると、すぐに騎乗した。そのまま出るつもりらしい。


「オヤジ達を待たなくて良いんだな?」


 アルクイが念を押す。


「馬はオレ達の半分くらいだろ? って言っても、土グモがいくら馬に乗っても、どうせ関係ねぇだろ」

「まあ、おまえの言うのは尤もなんだが、これも戦だ。万一がないようにな」

「任せておきなって。あ、でも、おまえから見て何かありそうだったら頼むぞ」

「分かっている。狼煙と骨 ※で合図するから」

「頼りにしてるぜ、アル。よし! 出るぞ!」


 一族郎党の若手を中心に集めた「襲撃部隊」は、バルクイ達の部族から千を数える。

 

 そこに集まってきたのは、同族達だ。馬たちに食べさせる草の関係で一定の距離を開けて野営をする分、集まりだしてから少々時間が掛かるのはいつものこと。


 チャガンお得意の、互いの指笛で意思疎通を図るやり方。


 全てが集まると、今や8千を超える。各部族長は、バルクイの指揮にも慣れたところだ。


「今日は遊ばせてもらうぜ」


 とりあえず5千を連れていくことにして、アルクイの本営に置く予備隊や補給に3千を当てる。


 それで十分だろう。


 遠く、ゴミくずのように見える「敵」に向かって一斉に動き出したのである。



・・・・・・・・・・・


 聖騎士団の長は、義勇軍全体の長でもある。


 ハーレン・ロジスは誰に聞かせるまでも無くポツリと言った。


「こちらは一万いるとは言え、苦戦は免れないだろう」


 チラリと横を見ると、手に手に、槍を持ち身構えているが、見るからに拙い。信仰心を支えにしている分だけ命がけだ。大崩れをしないのが救いだが、実際のところ、騎馬を相手に相打ちすら難しいだろう。


 枢機卿達からは「皆殺しで構かまわぬ」と厳しく言われていた。


 戦を前にした大言壮語ではない。なぜなら、同じ口が、すぐに続けてこう言ったのだ。


「ここで死ねば殉教者となれるのだ。いっそ、その方がしあわせであろう。だから、一兵残さず、殺すことをためらうな。代わりに、どれだけ相手を殺せたか。それだけが主の考えるべきことぞ?」


 23年間、僧兵から勤め上げ、教会付属の聖騎士団に成り上がった身だ。司祭様達の言葉に逆らうことなど考えたこともない。


 だが、味方を皆殺しにしても勝ってこい、などという作戦はもはや作戦とは呼べないのだ。


 かと言って、自分達の戦力で戦闘民族とも呼べる遊牧民達をどうにかできるとも思ってなかった。


「ともかく、会戦の形を取っての接近戦だな。騎馬同士の乱戦に持ちこんで、歩兵で囲めばなんとかなるはずだ」


 相手は「寝ている時間以外は、全部馬の上ですませる」と揶揄される連中だ。乗馬技術は、こちらが及ぶわけが無い。しかし、連中は鎧を着けない分だけ、まともに打ち合えばこちらにも分があるはずだというのが作戦である。


「ハーレン様、連中が来ます! 数、およそ5千」

「よし、騎馬、出るぞ。歩兵は相手の騎馬が止まったら死ぬ気で囲め、命を惜しむな!」


 その言葉は、数名の伝達騎馬が叫びながら通達されていく。


 ハーレンの知る、どんな軍隊よりも高い士気を頼りにして「行け! 連中と乱戦に持ちこむぞ!」と命じた。


 一斉に動く騎馬隊は、歩兵の目の前まで来た敵に一直線で突入しようとした。


 ところが、自分達の倍以上もいる敵は、流れるような動きで一斉に回転して、歩兵を右に、かすめるようにして流れていくではないか。


「わっ」

「矢だ!」

「矢を射てくるぞ!」


 怒号とも悲鳴とも付かない声が涌き起こったのは、敵は歩兵の目の前でターンしていきながら、次々と矢を射かけていくからだ。


「馬上射か。さすがだ」


 敵を褒めている場合ではないが、あまりにも鮮やかすぎる動きだ。


 ただでさえ騎上で矢を射るのは高度な技だ。不安定な馬上で、両手で弓矢を構えるからだ。馬の制御に手綱は使えない。


 軽装弓兵なら、その練習をするが、これほどの速度で続けて矢を放つことなどできない。しかも、敵は、集団で突撃した状態から一斉に回転しつつ矢を射てくるのだ。


 馬が乗り手の意志を完全に理解し、動きを一体化できないと、こんなことは不可能だ。


 いついかなる時でも、馬上のどんな体勢からでも矢を放てること。これこそが遊牧民族が最強である秘密でもあった。


 重装歩兵であれば、全身を隠す盾も用意できるが、志願兵の装備はおしなべて悪い。お鍋のフタのような楕円の盾を持っていれば上出来、多くの兵は盾など持っていないのである。


 次々と歩兵に被害が出、倒れるものが続出している。


 しかし、高い士気が歩兵達を耐えさせていた。


 そこにぶつかっていく、味方騎士団。


 と思いきや、一斉に敵が逃げ出していくではないか。


「奇跡だ」


 騎馬同士の戦いでは後ろを取った方が圧倒的に有利なのである。


 今にも敵最後尾を捕らえる、そう思ったときだった。


 敵は一斉に、振り返って弓を射てきたのパルティアンショットである。


「馬鹿な! 逃げ弓だと?」


 馬に乗ったまま身体を捻って「後ろを射る」というのは、あまりにも高度な技だ。


 それをいとも軽々と敵騎馬隊の過半が一斉に行ったのだ。


 その瞬間、戦場の空気は怒号と悲鳴によって満たされたのだった。


 敵に追いつく瞬間、騎兵は槍を構えるものなのだ。その場合、防御など完全に忘れているのが普通なのだ。


 そこに向かって至近距離からの一斉射である。


 一射、二射、三射……


 引き返せ! 


 そんな声が上がったときには、既に半分以上の騎馬が主を喪っていたのである。


 しかも、生き残った騎馬隊が逃げようとすると、すかさず一斉回転してきた敵は、横腹を食い破るように直撃してくる。


 なんとしても、一太刀浴びせて相打ちに持ちこもうと気丈にも槍を構えた瞬間、またしても敵は直前でターンしつつ矢を斉射して離脱していった。


 次々と新手が現れ、ターンしながら矢を浴びせていくのだ。


 千騎に対して3千騎ほどが、次々と矢を浴びせれば、なすすべも無い。必死に敵に近づこうとすれば、敵後続からいち早く狙われることになるだけ。



 同じくらいの集団が別の角度でも同じようにして矢を打ち込んでくる。


 たまらずに分岐して逃げれば、今度は個別撃破の弓攻撃。


 徹底的に「槍を交える」瞬間を作らせないのだ。


 もちろん、歩兵が応援しようにも騎馬の移動速度に敵うわけが無い。


 茫然と「聖騎士団」が倒れていく姿を、歩兵達は泣く思いで見つめるしかなかったのである。


 開戦から、グレーヌ教団ご自慢の「聖騎士団」が消滅するまでに1時間も掛からなかった。


 しかし、歩兵達の地獄はそれから始まった。


 けっして近づいて来ない騎馬からの弓攻撃。もちろん、味方にも弓矢を持つものもいたが、見つかれば、集中して矢が降ってくるのだ。懸命に撃ち返しても、敵の矢が三度、四度と降り注げば、すぐに反撃の矢は見えなくなった。


 ハーレンは、歩兵達の後ろから懸命に鼓舞した。


「堪えるんだ。ヤツらだって持ち歩ける矢の数は限度がある。矢筒に残った矢の残りはけっして多くないぞ!」


 どこかに混ざっているベテラン兵も「あと少しだ。連中が持っている矢は、もう残ってないぞ」と周囲に呼びかけた。


 実際、鞍に付けた矢筒の中には数本しかないのが見える。


 まして、信仰心によって戦場にやってきた者達である。腕に刺さろうと、脚に刺さろうと、自分が動ける間は、けっして戦うのを辞めるつもりはない。


 いつか止む。この矢は、持っている矢が無くなれば止む。そうしたら!


 しかし、いつまでも、矢の雨は止むことが無かった。志願兵達は最初は気付かなかったが、側の丘をグルッと回ってくると、矢が回復してしまうのだ。


 いつまでも矢が止まぬことを身をもって知り、見回せば、周囲の者達がほとんど倒れた姿を見て「絶望」が生まれた。


「こんなもの戦いでは無い! オレ達は狩られる動物か!」


 そんな言葉を叫んだものは確かにいた。その通りであった。


 バルクイにとっての戦いとは、最初に聖騎士団の騎馬を「釣った」時点で終わっているのである。敵騎馬にこちらを追いかけさせておいての「パルティアンショット」を浴びせ、敵を追い込んでの弓攻撃。


 既にあの時点で「戦い」は終わっていた。後は、抵抗できない獲物を撃ち続けるという点で、鹿狩りとなんの違いも無いのだ。


 否。


「鹿は案外と動くので、当てるのにチィと骨だがね、土グモは、ジッとしている分、楽でしょうがねぇな」


 獲物達が、満身創痍になって、まともに戦えなくなってから、さらに念を入れての「取り囲み射ち」を3射。


 トドメは、過去に敵から奪った甲冑に身を包んだ重装歩兵300騎による、蹂躙である。


 しかし、その時には、もうバルクイは、この戦場に興味を無くしていたのだ。敵に無傷の者は一人もいなかった。あちこちに矢が刺さりながら、辛うじて動ける敵でも100人残ってなかったであろう。

 

「おい、アルよ。コイツらどうする?」

「そうだな。勇敢な連中もいなかったことだし、次の街を開かせるのに使うとしようか」

「なるほど、あれをやるんだな?」


 ニヤリとしたバルクイは、連れてきた「降伏兵」達に命じて、遺体を運ばせろと命じたのである。


 シベの街は、目の前であった。



※骨笛 羊の首の第二頸椎の中央をくりぬいて笛にしたもの。甲高い音が出て、遠方まで音が届きやすい。北方に住むカンムリコンドルという大型鳥の鳴き声に似ているとされている。




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作者より

 基本的に遊牧民族の戦闘スタイルは「軽騎兵による弓」が主力になるようです。そのため、遊牧民族との戦いをすることになった農耕民族は、会戦方式を避けて、いかに接近戦に持ちこむかというのが一つのポイントだったそうです。

 馬に乗りながら矢を放つ「騎射」という技術は、洋の東西を問わずに難しい技術とされています。中でも、真後ろに射るのは、最上級の困難さだそうです。実戦で、これができたのって、遊牧民族以外だと、鎌倉時代の武士の一部だけだ、という話を読んだことがあります。ただし、それが本当かどうかは確かめてないです。要するに、騎馬民族以外には、考えられない戦術により、グレーヌ教の軍団は壊滅したと言うことをお伝えしました。

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