第42話 密約
サスティナブル王国人にとっては「北部遊牧民族」とひとくくりだが、西と東では部族が全く違う。お互いの交流もほとんど無い。しかし、両部族の勢力圏が接する位置にあり、従って両部族から狙われてきたのがロウヒー領だった。
よって、分家や子飼いの「子貴族」の私兵を合わせると、絶えることのない実戦で育ってきた騎馬隊は1万を誇る。その規模と、実戦経験だけで言えば公爵家騎士団ですらはるかに凌駕し、サスティナブル王国一を誇る。
しかしながら実戦経験が豊富だということは「侵略されやすい土地である」と言うことと同義である。騎馬隊は、ほとんど全てを休みなく防衛のために投入せざるを得ない。
ただでさえロウヒー家にとっては、騎馬民族対策は常に頭を痛めてきた問題だ。狙われそうな街々の防衛を考えると、最低でも5千を点々と貼り付けて備えておく必要がある。となれば、何をどう手を尽くしても、いずれ討伐にやってくる王国軍との対決に使える軍勢は5千、無理しても8千ほどしかないことになる。
巨大な戦力を持ちながら、使えないという矛盾が悩ましいが、どうにもならない現実だった。ところが、ここに劇的な解決策を持ってきた人物が現れたのだ。
「ハン殿。そのお話の証拠となるようなモノは見せてもらえるのかな?」
「これを」
男が出した小さな木の箱。不思議な文様だ。小さな四角が斜めに連なっていて、それでいて後から色を塗ったわけでも無さそうなのに、クッキリとした色遣いをしている。こんな模様があるなんて知らなかった。
「箱を開けてみてください」
手に取った小さな箱は開け口が分からない。一体どこがどのように開くのか?
『ん? こういう箱をどこかで見た記憶が……』
微かな記憶を呼び起こそうとした。
「ちょっとした細工ですよ」
小柄な男はニコニコと人の良さげな表情を見せている。
「さいく? 細工! そうだ! 見たことがあると思ったら、確かミヒャエル妃が嫁入り道具としてお持ちになった箱だ。確かハコノ細工と申したか? 開け方が分からないようになっている不思議な箱だ」
「さすがですね。なるほどミヒャエル殿下がお持ちになったのですね。おっしゃる通り、これはガバイヤ王国が建国以来の秘伝として伝えている細工箱です。木ですから、破壊することはできますが、開け方を知らなければ相当苦労するでしょうね」
そこまで一気に言うとハンは、角の模様を指先でほんの少しだけズラすと、すぐ横の模様を続けて小さく動かした。小さな動きで始まって、なんと20回以上もの動作をしたあげくパカリと箱が開いた。
「こちらです。と言っても、この箱自体が証明のようなモノですが」
箱の裏側にあるのは、小さな木細工でできたドラゴンの文様である。
ガバイヤ王国の象徴だ。
「なるほど。確かに、貴殿が交渉役であると言うのは間違いなさそうだな」
箱を壊せば中の文様も自動的に壊れてしまう。開け方を知っている者だけが、これを見せられるシカケだとジャンは理解した。
「これで信じていただけましたかな?」
「ふむ。信じよう。というよりも、率直に言って信じるしかないと言うのが我々の立場だがな。正直に言えば、このまま滅亡するしかないのだろう」
ここで苦笑してみせるのもジャンの芸のウチである。相手には「弱っている」ように見せかけた方が良い場合もあるのを知っているのだ。
一方で、ガバイヤ王国からの使者であると名乗ったハン・パネェは、余裕のある表情をしているが、実は必死であった。10年以上もかけてアマンダ王国で焚きつけた「ローディング」の混乱が、思いも寄らぬ早さで鎮火されてしまったのだ。それどころかサスティナブル王国の軍門に降ってしまうという、ありえない展開だ。
これでは、まるでハンのお陰で、サスティナブル王国はアマンダ王国を手に入れたと思われてしまうではないか。
本国では、今ごろ「ハンの失敗」としてコキ下ろしが始まっているはずだ。手ぶらで帰りでもしたら死罪は間違いない。悪くすると一家、いや「一族抹消」の刑すらありうる大失態とされてしまう可能性がある。
今年予定している侵攻になんとか間に合わせて、サスティナブル王国の西側をかき回さなければならないのだ。
二人の立場は、追い詰められているという点では同じだが、ハンは虚勢を張り、ジャンは「死んだふり」をしているという点で、実は見かけとは逆の現象が起きるのである。
ハンは、ここで、もう一枚のカードをオープンした。
「私はこちらに来る前に、北部遊牧民族で西側をナワバリとするタタン族の長であるトトクリウトと話を付けてあります。連中が言うには貢ぎ物さえ十分に差し出すなら協定を結んでも良いと。もちろん、貢ぎ物次第とは言われていますが、豊かなサスティナブル王国であれば、無理ではない範囲かと思いますぞ」
「なるほど」
したり顔をしているが、実は驚愕すべき情報だ。かつて北部遊牧民族となんらかの取り引きができた国は無いのだ。もしもこの男が、協定を結べたというのなら、それだけでも価値があった。
「これが、そのリストというわけですな?」
そこにあるのは、カネよりもモノという感じのリストだ。北部遊牧民族は基本的には「生産活動」をしない。家畜から得られる自給自足以外は、純粋に「奪う」ことによってのみ生活を豊かにする。
よって、そこにあるリストは膨大な「物資」の要求書だ。相当にふっかけているのであろう。10万人規模の街が1年で生産できるほどの多様で多量の「モノ」が並べられている。
「これなら、なんとかなるやしれんな。なんとなれば、西にある街を二つくらい差し出しても良い。こちらの兵を下げるから勝手に奪えと言う形なら、約束できるぞ」
見捨てられた町にとっては悲惨なことになるが、ロウヒー侯爵家全体として見ればその方が損失は圧倒的に少なくなる。
「なるほど。それなら名分が立つというわけですな」
略奪された街からは税を取りたてられなくなるが、住民が全滅するわけでもない。しばらく、二つの街からの税が大きく減ること以外、大きなデメリットを感じないジャンだ。
略奪の時には、モノと一緒に多数の女性達も連れて行かれるだろうが、それによって領全体が滅びるわけでも無いと計算している。
「ふむ。しかしなぁ……」
弱ったふりをしつつ曖昧な返事をするとハンは、さらに次のカードを切ってきた。
「半年間、王国軍を引きつけていただけるなら、その貢ぎ物相当どころか。その倍を、後ほど差し出しましょう。もちろん、王都の攻略に成功なさったら、ガバイヤ王国としては直ちに貴公をサスティナブル王国の代表であることを承認する使者も立てます」
「しかし、そうなると、ガバイヤ王国の取り分が少なくなりはしないのかね?」
あえて渋って見せているジャンである。
「サスティナブル王国が超大国から普通の国に成り下がってくれるだけでも我が国は大いに利益になります。ついでに、シュメルガー、カインザー、それとシュモーラー辺りまでは、こちらの領土としてもらいます。そうなれば事実上、大陸の三分の一の覇者となれる。それでも見返りが小さいとお思いですかな?」
「ふむ。ウチは黙っていれば滅ぼされるだけだ。大逆の追討令がいつ出されるのか時間の問題だしな。失うモノはないといえば、ない」
さらに次のカードは何を出してくるのか、内心でほくほくしながら、それでも消極的な賛成という体をとるジャン。
「なに、本気で王都を落とす必要も無いのです。精強な1万の騎馬隊でお国の西側を引っかき回せしていただくだけで十分なのです。神出鬼没な騎馬隊には王国も手を焼くのが目に見えていましょう。それでも、万が一、この領都・カクが落とされるようなら我が国への亡命も受け入れますぞ」
「ふむ」
内心で、シメタ! である。「亡命受け入れ」というカードこそが欲しかったのだ。数年、西側をかき回すことはできるだろうが、しょせん騎馬隊である。王都を落とすことなど不可能であろうというのがジャンの本心である。
騎馬隊にとって、街の攻略戦は基本的には難しいことくらいはロウヒー家の当主として知り抜いている。
だから、自分と家族が亡命できるのであれば、それが一番大事な条件である。
「勝負は時の運ともありますからな。負けるとは思ってないが、万が一の場合のルートや待遇をもう少し詰めていただきたい。とはいえ、北部遊牧民族の話は承知した。それさえ確定したら、我が精強なる騎馬隊で、まずは王都郊外まで進出して心胆を寒からしめるとしよう。以後は遊撃戦としてあちこちに火種を作る。それでよろしいな?」
「十分です」
ハン・パネェは、笑顔で恭しく頭を下げ、ジャンが応じた。
虚勢と死んだふりの「握手」において、どちらがより多くを得たのか、わかるのは、もっと先のことであろう。
ジャンには「王都を落とすのは無理でも、王都近郊を襲っておけば、連中もパニックになるに違いないぞ」と思い浮かべる場所があったのだ。
広々とした草原が広がり、騎馬隊の大軍が縦横に動き回るのに十分な地形を持ちつつ、王都からすぐの場所だ。
「例の邪魔な小せがれも、ここにならおびき寄せられるに違いないからな」
ジャンが、広げた地図で見つめるのは「ヨク」という場所であった。
今だ本格的な築城をしたとは聞いてない。となれば野戦築城の砦レベルだろう。その程度であれば「取れる」と思えた。
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作者より
パネェを覚えていますか? そうです。ローディングを起こさせるために、10年以上も掛けて働いた工作員でした。ハンという名前から分かるとおり、実は北部遊牧民族出身です。一族の力を使ってアマンダ王国から北に逃げたところで「ローディング」のその後を知りました。このままでは帰れません。と言うことで、必死になって考え出したのが、ロウヒー家との秘密協定です。
作中に出てきたハコのイメージは箱根細工・秘密箱と呼ばれる物です。
https://youtu.be/9u-Jd-Jgilo?si=vEcGQpSIj1j3p9iw
実物をご覧になったことが無い方は、こちらをご覧いただくとお分かりいただけます。
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