第12話 逃げるが「価値」
コス・カーライはゲール王太子と宮殿の奥で、ゆったりと出発の時を待っていた。今までなら出発の前の慌ただしさに、食事もろくに取れないほどだった。
「あ~紅茶が美味い」
王宮で出される紅茶もお菓子も最高である。出陣にはまだまだ時間がかかる。ここは最高司令官と副司令として、優雅なティータイムで良いはずだ。
なにしろ、ようやく国軍歩兵部隊の「尻尾」が関門を出たところらしい。少し間を開けて、歩兵部隊付の荷駄が次々と門から吐き出されていくのだろう。
もちろん、進軍の進捗状況は次々と報告されてくるが、コス・カーライは聞くのも煩わしいと感じている。
『そんなくだらないことを一々報告しやがって。歩き出すタイミングくらい連隊同士で処理しろよ』
出発の状況など、どうでもいい。トラブルさえなければ…… いや、多少のトラブルは現場指揮官がちゃんと解決しろよという言葉がコスの舌の付け根まで出かかっている。
不必要な細かいことで報告してくるのは「上司」を敬わない態度に違いないのだ。
『どいつもこいつも、オレの出世が面白くないから、こんな細かいことまで考えさせようとして嫌がらせをしてるんだろ』
出世で抜かされたからと言って、さもしい仕返しをするだなんて、なんて愚かな連中だとコスは怒りを抑えるのに苦労するほど。
だが、これは報告を上げている方が正しい。そもそも、出陣の状況を自分の目で見ようとしない司令官など無いし、なんらかの理由で自分で見られなければ、報告を詳細に求めるのが普通なのだ。
それは、司令官の義務と言うよりも必須のことであった。しかし「ごますりの天才」の二つ名をほしいままにしたコス・カーライは、哀しいかな小隊長までしか務めたことがなかったのである。正式な士官学校があるわけでもなく、また、近衛騎士団の歴たる幹部達は、いくら「便利なコス」と言えども、これ以上出世させるつもりは皆無であったから、不必要な「将校たる者とは」という教えは授けてない。
だから「司令官のなすべきコト」が理解できないのである。
しかし、たとえコスが嫌がろうとも「要求されない報告」が上がってきたのは良いことだった。ゲール王太子による「抜擢された人罪」の任命さえなければ、それぞれの軍団は、まともに機能している証拠であったからだ。この辺り、エルメスの人事配置のおかげであったし、国軍司令官の薫陶もきちんとしているのである。
そして、進捗状況を気にしたのは、むしろお飾りの最高司令官のはずであるゲールの方だった。
「少々時間がかかりすぎではないのか」
いささかの焦りを込めたつぶやきだ。
出陣式を経て、朝一番に最初の部隊が出たのは、まだ暗いウチだった。季節は冬になりつつあるとは言え、すっかり日は昇り「昼」の気配すら漂い始めのを気にしたのだ。
ゲールはゲールなりに、子どもの頃から見てきた「出陣の様子」について記憶をほじくり返して考えていたのである。
もちろん、上司の焦りを素早く察知して、それが「不満」や「不機嫌」につながらないようにするのはコスの才能である。素早く「ご心配には及びません」と笑顔を見せる。
「ご威光のお陰をもちまして総兵力は2万を超えております。これだけの大軍ともなりますと、狭い王都の関門を出るのに半日はかかるのが普通でございます。むしろ、先ほどの王としての威厳を持ったお声を聞いた者達の士気は出陣を待ち切れぬとばかりに高まり、それを熟成する時間としては、ちょうど良い具合にございます」
「そ、そうか。そうかもしれんな」
コス・カーライはサラリと「王としての」とお世辞の言葉を入れつつ、自信満々に「これでいい」と適当な説明を舌先三寸で断言してみせる。
全く根拠のないことであるが、ゲールとしても、それを覆すだけの気分にはなれなかった。
実際、それほど焦っているわけでもないのだから。
それを見抜いているかのように、コス・カーライは、ついさっきしたばかりの説明を繰り返し始めた。
「荷駄部隊の移動に少々時間を取られますが、騎兵の脚を考えますと、先に出た歩兵どもと半日程度の差が出た方が、むしろ好都合です。各地から馳せ参じた騎士団には既に出陣の順番を通達済みにございます。どのみち、最後が近衛騎士団と陛下が勇壮に出立するところで、ファンファーレを奏でるように城壁に準備させてございますので、むしろ暖かい時間になった方が好都合かと存じます」
「これ、陛下と呼ぶのはチト気が早いぞ。だが、出立に当たってのファンファーレとは、よくぞ、気が付いたな」
「めっそうもございません。陛下、御自らが国を平らかにするための正義のご親征ともあらば、やはり当然のことかと」
陛下と呼ばれることを本気で咎める気などないと、コス・カーライは見抜いているから、あえて王が兵を率いる時の言葉である「親征」と言ってみせるのは、才能である。
「ふぅむ。親征か。なるほど、そうであるな、これは正義のための親征だな」
「はっ。おっしゃる通りにございます! 誰か。出陣前の陛下に茶を持って参れ」
パンパンっと手を叩いてメイドを呼ぶところは、もしもショウが見たら「昭和の酒場にいる田舎のオッサンかよ!とツッコミたくなる姿だった。
とは言え「親征」という言葉をゲールは気に入ったらしい。
おっしゃる通りも何も「親征」とはコス・カーライ自身の使った言葉であるが、そんな小さなことにこだわっているようでは「ごますりの天才」とは呼ばれないのである。
「陛下にあらせられては、下々が準備を整え、栄光の勝利を得る戦場にて、ゆったりとご督励いただくのがご親征の正しき姿かと」
「そういうものか」
今現在、各地から連れてきた騎士団は、王城前と王都内にある広い演習地で出立を待っている状態だ。普通であれば、王都からの関門で渋滞することを避けるため一部の部隊以外は事前に王都の外で待たせるのだが、今回は「ゲール王太子」を印象付けるために、あえて王都からの出発としたのである。
そろそろ騎馬部隊が半分ほども出た頃であろう。
突然、伝令が現れたと取り次ぎが声を上げたのだ。内心で「チッ、今度は、どんなツマラナイ用事だよ」と舌打ちしつつも取り次ぎに、入場を許可するように命じた。
王城の入り口に待たせた伝令が入場する許可を取り次ぎが引き取ったのである。
恐るべき時間の浪費であった。
通常であれば、最高指揮官は高所より出陣していく部隊を、その目で確かめ、士気や異常の有無を、誰よりも鋭く観察するものである。
当然、自分の目で届かぬ情報をいち早く得るため、伝令は身元さえ確認できれば素早く御前にまかり出られるようにしておくものだ。時には騎乗のままの報告すら失礼に当たらないとされている。
それが本来的な伝令と言うものである。
しかし、ゲールが近衛騎士団から「能力主義による抜擢」をした参謀達は、誰一人として、それを具申しなかったのである。
幕僚経験を持たない哀しさで気付かなかった者もいれば、気付いていても「敢えて具申しない」者もいた。
現状を否定するような具申をコス・カーライが喜ぶと思わなかった利口者である。
したがって、王城への通常の入場許可を出された伝令がやって来るまでにたっぷりと10分はかかっていたはずだった。
現れたのは、国軍の歩兵中隊付きの伝令であった。
「伝令。第2連隊より。南西より敵の騎馬100騎が接近!」
そこで一拍置いた後「既に会敵のことと思われます」と言わずもがなのことを付け加えてしまった。
本来伝令が「自分の推測」を付け足すなどありえないことだ。しかし、第2連隊の第4大隊所属のガイとしては、このクソ司令部に対して今すぐ暴れ出したい気分だったのだ。強ばった彼の心の中では、さっきからフルヴォリュームで怒りの叫び声が止まらない。
「敵襲を伝える伝令が手続きで待たされるなんてありえないだろう、クソが!」
平たく言えば戦場での常識外だ。
呼吸一つでも早く伝えるべく馬を飛ばし、宮殿へと駆け上がってきた伝令は「中に入る手続き」で待たされて、人生でも「最凶な」ほどイラついていたのだ。
それでも、遙か高位である司令官に報告するにあたり、努めて感情を出さないようにはしつつも「既に会敵のこと」という情報も付け加えざるを得なかったのが今である。
ギリギリのところで激怒を言葉にすることも態度に出すことも極力避けるだけの理性を働かせたのだ。
伝令と偵察は、その隊でも最も優秀な者がなれる役割だ。
特に、情報の正確性を担保し、誰にどう伝えるべきかという冷静な判断力が必要な伝令役は、それぞれの部隊でも最優秀な者を当てるのが普通なのだ。
ガイもその一人だった。見事に、怒りを制御した。
「第2連隊へのご指示を請うとのことにございます」
ガイが最高司令官へ報告すると、その横にいる「見かけぬ顔」が顔をあからさまに曇らせてから、おもむろに言葉を吐き出した。
「ちょっと待て。お前はどこから来た?」
「は?」
一瞬、伝令は、その問いかけへの反応に困ったが、慌てて「第4大隊隷下、第2中隊にございます」と奏上した。
「国軍歩兵部隊はなっておらんな」
コス・カーライは、チラリとゲールを見やってから、鼻をひくつかせて説教を始めた。
「敵は100騎程度なんだろう? 歩兵とは言え大隊規模で十分に対応できるはずのことだ。しかも、直属に情報をあげるべきであろう」
これは、コス・カーライの横車である。当然ながら、所属大隊にも伝令は走らせているし、直接の対応は大隊が行うのも当たり前である。攻められているのに指示を待つだけで反撃をしないわけが無いのだ。
ガイの伝令は「全体としての対応方針を指示してほしい」という婉曲なお願いなのだ。だからこそ、当然あるべき「伝令として伝えるべき司令部の指示」を待つ姿勢を取ったのだ。
つまりは「百騎程度だから、追い払うだけに留めて、先を急げ」なのか「徹底的に殲滅せよ」なのか「騎馬部隊を出して徹底的に追求せよ」なのかといった司令部の方針を聞いて、その命令に従おうという姿勢である。
基本的な方針さえ示されれば、戦術レベルの対応は現場指揮官が当然行うのは当たり前のことだった。逆を言えば、司令部の方針がなければ、各連隊、あるいは大隊は、それぞれが勝手な対応となってしまう。
普通であれば、出発前に示されるべき方針を示してないことである。ここにきて「どうせ国内のことだから」という、たかをくくったやり方が足を引っ張っている。
当然なすべきことがなされてない軍隊は「軍」としての形をなしてない。それを元からの指揮官達は危ぶんでいたのだ。
しかし、実戦経験のない哀しさであろう。コスは、そしてゲールも、その「当然のこと」に気付かなかった。むしろ、それを、なんらかの抗議だろうと不快に思ったコスは「で、どこがやられたんだ?」と不機嫌な声を出した。
敵接近を知らせる伝令が、そんなことを知っているはずがないのだ。しかも、本当に知りたいなら、今すぐ、王都の壁まで登れば、白昼の襲撃ゆえに容易に見られる。
さすがにガイも、怒ると言うよりも恐ろしくなった。
「兵士にとっての最大の恐怖は、強大な敵よりも凶悪に無能な指揮官である」
古今東西、ついでに異世界を含めても、兵士にとっての真実であった。
ここでガイは諦めざるを得なかった。
「報告は以上です」
としめくくった後で足早に立ち去ったのである。
「司令部は当てにならない」
この、恐るべき情報は、その日のうちに、かつてエルメスによって配置され、鍛え上げられた全ての指揮官に共有されたのであった。
・・・・・・・・・・・
馬上とはいえ、必死に駆けてきたのだ。まずは水。そして馬をショウの供回りが引き取った。
今は、馬の世話よりも報告が最優先だ。愛馬を仲間に頼むのもやむを得なかった。
「お疲れ様。とりあえず、報告を聞こう。あ、先にジェダイト隊の被害は?」
伝令のジョン(王立学園の同級生とは別の人物です)がスポドリをゴクゴクゴクと一気に半分ほどの飲むのを見計らって尋ねた。
もちろん、ショウの横にはアテナがピタリと付き添っている。
例え、アテナの幼い頃から遊んでくれたジョンが相手でも、ここは戦場なのである。もちろん、ショウに害悪をなす意志のないジョンにとっては、ただの親分の
伝令は先に首を振って「犠牲者ゼロ」を示してから奏上の姿勢を取った。
「予定通り、荷駄部隊を中心に焼き払い、二度目の襲撃の後に王都より出てきた8個小隊240騎ほどの騎士を1時間ばかり引きずり回してやりました」
「お、いいね。となると?」
「はい。可哀想ですが40頭は潰れました。そして、疲れ切ったところで反転してヒモ作戦を実施。落とせたのは30人ほどです。その後、敵後続の気配が見えたので、残念ながら馬を分捕るまではいきませんでした」
「おぉお! いいね! それで、
「はい。最初の襲撃で歩兵部隊の中央と最後尾辺りにご馳走してきました。その際に敵歩兵に被害が出ているかと思います」
「あ、あんまり気にしすぎないでね。あくまでも『なるべく』だから。戦争だから、兵が死ぬのは仕方ないんだよ。大事なのは、死ぬ兵士は敵側であることと、無駄には殺さないってことだからね」
「はい。ありがとうございます。今一度徹底するように申し伝えます」
「OK。お疲れ様。じゃ、今日は引き上げて明日の襲撃ポイントを確認したら、ゆっくり休んでと伝えて。こちらからは以上だけど、質問、あるいは要求はある?」
「一点あります」
「はい、どうぞ」
「中隊長からのおねだり、だそうです。
「わかった。そう言ってくれるのは助かるよ。じゃ、補充はあっちで受け取って。明日も、怪我の無いようにね」
「了解です! 親分!」
中隊長は「中隊長」って呼ぶくせに、なんで自分だけ「親分」なのか、今ひとつ納得できないショウであったが、伝令の背中を見つめながらニンマリである。
この分なら三羽ガラスのタイガー、クォーツ、エメラルド隊もバッチリのはずだ。
「今日は、歩兵のみなさんに恐怖を味わってもらえれば十分だからね。ふふふ、今夜は寝かせないんだから」
もしも、今のショウの顔を前世の人間が見たら、きっとこう言ったはずである。
「あ、なんか、悪い笑顔を浮かべてる!」
そういう表情になるのも当然である。
何しろ計画通りだった。相手の初動が遅いのも予想以上だし、新しい戦法がちゃんと機能していたのも嬉しい。
伝令の言っていた「パンパン」とは、いつかブロック男爵領で使ったロケット弾のことである。あれを、全ての隊が、徹底的に「歩兵」の隊列に使ったのだ。
いきなり足下で、あの音を聞いて平然としていられる兵士などいなかった。当然、逃げ惑うモノも現れ、街道沿いの隊列は乱れに乱れることになったのだ。
出発がモタモタしていたこともあり、隊列を整え直し、再び出発するまでには多大な時間を要したのだ。しかも、再出発する度に襲撃を受け、迎撃しなければならない羽目に陥ってしまった。
結局、ジャン侯爵から手に入れた「行動計画」の半分も移動できなかったことをショウはいち早く知ったのである。
そして、反攻してきた騎馬部隊に使用された「ヒモ作戦」とはテグスを伸ばした乗り手で挟んで、すれ違いざま、相手の首を引っ掛ける作戦である。もちろん、こんな手口など慣れればすぐに対策できるが、すれ違いざま「見えないヒモ」に首を引っ掛けられれば、初見で逃れるのは難しい。
初回とは言え、240騎のうち30人だから、1割強も減らせたのは大きい。トドメを刺しはしなかったが、この大半は、すぐに戦場復帰は無理となる。
「ま、これで、こっちの騎馬は追っても無理って印象が、あっちに焼き付いちゃったよね?」
なにしろ、こちらは50人の部隊が替え馬を連れて襲撃した。つまり、馬は百頭いたことになる。よほど慣れている偵察要員以外は敵を30の倍数で考えるから、120人ほどの部隊だと感じるのが普通なのだ。
だからこそ、相手は「敵の倍の騎馬を出して奇襲してきた敵を追いかける」という常識的な奇襲対策を取ったのだ。この辺り、現場指揮官の対応は冷静だし適切だと言えるだろう。
しかし、こちらは、徹底的に走り込んでいる馬ばかりである上に、走りながらの馬替えという芸当までできるのだ。ずっと同じ馬に乗っている集団が同じように走らせれば、追いかける側に潰れる馬が出て当然だった。
騎士にとっては馬の補充が非常に厄介な問題なのを一番よく知っているのも騎士だった。
バイクと違って、乗り手との意思疎通が大事な部分だ。それができるようになるまでに、それなりに時間がかかる。大貴族の子弟なら、何頭も「ツレ」を抱えているが、一般の騎士はそういうわけにもいかないのである。
そして「もうちょっと」のところまで引きつけては引き離すという、絶妙のテクニックを駆使して、相手に「馬が潰れるまで」駆けさせたのだ。
その結果として、愛馬を喪った騎士も愕然としたし、それを見ていた戦友も「あいつらを追いかけると馬が危ない」を意識せざるを得なかったはずだ。
「つまり、今後は深追いできなくなるってことだもんね」
ついつい、笑顔が出るのも当然だった。
そして日が落ちかけるまでに、他の3中隊からの報告を受けることができたショウである。
「初日の成果としては十分過ぎると言えますな」
ノインが、顔を引き締めようとしても、ついついニタニタしてしまっていた。
「そ、十分だよ。昼の部としてはね」
「では、予定通りに?」
「そうだね。狼煙を上げさせてよ。夜はこれから、だ!」
ふふふ。寝かせないよ~
あぁああ! 早く、このセリフをメリッサたちに囁きたいぜ!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
この世界だと「暗視装置」もないため、一番明るくても満月です。この夜は、細い月。夜襲は同士討ちの危険や、襲撃後に逃げようがなくなるため常識的には不可能とされていますって言うか、考えるわけがないんです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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