転向、あるいは逃避

二岡誠

本編

 神について考えるとき、いつも頭に浮かぶ光景がある。夕日の逆光線の中で、くっきりと浮かび上がる母のシルエットだ。

 母は毎日、定刻になるとある奇妙なオブジェに頭を下げる。うやうやしく、一回一回をかみしめるように丁寧に礼をする、母の折れ曲がった背中は、いつまでも私の頭から離れることはない。おそらくそれは、郷愁の念と、深い後悔に結びついているからだろう。


 母は優しかった。いつもの礼拝を終えると穏やかに微笑みながら「そろそろご飯にしましょうか」と言ってくれる。私はそれが嬉しくて、喜んで夕食の手伝いをするのだった。 父はいなかった。母が「それ」を崇拝するのも、女手一つで子供を育てることに対する不安からひと時でも離れることができるから、というのも一つの原因だったのだろう。


 それでも唯一の点を除けば、そのころの私は幸せだった。母は優しく、小学校は楽しかった。友達も多くないが、親友が一人いて、勉強も運動も苦手な訳ではなかった。


 ただ、その唯一が、私たち親子を引き裂くことになったのだった。


 それは、私にその神が見えていたことだった。


 まずは、母があがめている奇妙なオブジェについて話そう。それは拳二つ分くらいの大きさで、石でできている。ねじれた形をしていて、あまり生物にはみえないが、母は「ミド様」と呼んであがめている。


 神様の御姿がミド様のようだったら、と何度願ったことか。実際に私に見えている神の姿は、そんなデフォルメされたマスコットのような偶像ではなかった。


 あの御姿について、書くことには抵抗がある。それはある不快な感情を喚起するから、というのが一つ、そして、私しか知らないその信仰の対象を説き明かすことは、多くの人を不幸にすれども、幸福にすることはないと確信しているからだ。


 だが、書かなければならない。そして、私はどこかで吐き出さないと、この恐怖を耐え忍ぶことができない。さて、書く。なるべく細部まで思い出し、寸分たがわぬように書く。


 おそらく身体の根幹をなしているのは人間の女性の身体だ。細身で、マネキンのようにスラっとしている。服は着ていない。もしくは着ているのかもしれないが、身体の輪郭がくっきりとわかる。髪はない。肌は真っ白でよく目を凝らすとうっすらと発光しているようにもみえる。胸は少しあって、乳首はない。腹はでっぷりとでている。これが、妊娠しているというふうではなく、中年男性のビール腹のように大きくでっぱっている。


 そして、そのでっぱりの下から手が一本伸びている。ちょうど丹田のあたりから生えているのだろう。手のひらが上を向いていて、指が6本ある、左右対称の形をしている。


 表情は穏やかに見える。ただ、ホモサピエンスと同様の二つの目の下に、口が二つあいている。鼻はない。


 そして特筆すべきは、背中にもう一人張り付いているようにみえることだ。背中に張り付いたその一対は、正面の神に抱き着くよう、手をまわしている。

 その表情は表面の神とは違い、穏やかではあるものの、恍惚とした表情に見える。


 私が初めてその神をみることができるようになったのは、兄を失った一週間後だった。そう、私には兄がいた。


 ニュース番組が数年ぶりの猛暑でひっきりなしになっていたとき、BBQにいった川で流されて死んだ。父が目を離したすきに、いつのまにか川の中ほどまで歩いていた。母は父をなじった。父は小学校高学年なので、自分で判断できると思っていた、といった。父がいると母が不安定になるのでしばらく別居しよう、と母方の祖父が提案し、父は実家に帰った。そして、うちに奇妙なオブジェがやってきた。


 その晩、初めて私は神の御姿をみたのだった。

 そのころはもう、母の礼拝にも慣れきっていて、その後の夕食でもなにも感じなかった。しかし、シャワーを浴びていると鎖骨のあたりがチクっとしたのを覚えている。


 夜中目が覚めた。何か悪い夢を見たのか、喉がからからだった。心臓が早鐘をうっていた。仕方がないのでリビングに向かう。蛇口からコップに水をついで一息に飲み干す。顔をさげたとき、目の端、あのオブジェのあたりがぼんやりと光っているようにみえた。


 不思議と怖いとは感じなかった。そこをじっと見つめると、そう、神様がいた。


 その日から夜中によく目が覚めるようになり、リビングにいくとそのたびに神の姿をみた。大体は夜だったが、夕方、母が礼拝をしている真正面、オブジェと母の中間で膝を抱えて座り、母の顔をじっと見つめていることもあった。息がかかるほどの距離で、身体の真正面から生えている三本目の手で、母の頬に触れても気が付かないようだった。


 そしてその日がやってきた。その日が、私がここを離れると決意したできごとだった。

それは、神をみてから何年も経ち、いつしか私が中学2年生になっていた秋のはじめのことだった。そして何故か、背の神も少しずつ成長しているようだった。その御姿はどうやら男性のようだった。


 ある時から、私は、私の中にある感情が芽生えていることに気づいていた。それはなんというのか......確実に抱いてはいけない感情だった。


 そう、告白しよう。私は神の御姿を官能的だと思ってしまったのだ。美術の時間にはその姿を描きたくて仕方がなかった。夜寝るときは、ついその御姿を思い浮かべてしまい、胸が高鳴って眠れない夜もあった。そんな日々を過ごしていた。


 そして、神は枕元に立った。何かの啓示を与えるかのようだった。


 普段はリビングのオブジェの傍にしかいないので、驚いた。だが、その目に魅入られたようになり、すっと立ち上がった。


 おもむろに、神の三本目の腕が、手のひらが私の股から胃のあたりまでをすっと撫ぜた。その瞬間すさまじい快感が、それまでも、これからも経験することのないであろうほどの快感があふれてきて私は立っていることができなくなった。


 背の神の表情の意味をしった。そして、神がどうして私の前に姿を現したのか、その意味さえわかってしまった。


 過剰な快感は恐怖を及ぼす。ましてそれが、私の今後を決定づけるその褒美として与えられるものであればなおさらだ。


 私は恐怖した。骨の髄まで生理的嫌悪があった。悪夢に浮かされたようになり、高校を受験し、親元を離れた。


 それから定期的に連絡はくるものの、連絡は返すことができない。母には申し訳ないと思うが、神の顔が、御姿が、あの快感が頭をよぎり、身体を動かすことができないのだ。


 ただ、おそらく私の将来はもう決まっているだろう。最近、お付き合いしている人ができた。初めての夜も向かえた。だが、あの瞬間に勝ることはなかった。物足りなさを感じる自分に気づいた。そしてそれが、決断しなくては一生続くことも。


 私はいつまで逃れられるだろうか。

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