第5話
(ん?)
妙な息苦しさで目が覚めたケイは、枕元の携帯を手に取りながらサイドスイッチに指を這わせて画面をONにする。ディスプレイには1:15のデジタル表記。
(深夜――ってこれは……!)
やけに空気が熱く、明らかに焦げ臭い。一気に目が覚めたケイが起き上がって明かりをつけると、下の階から昇って来たと思われる白い煙が天井付近を覆っていた。
「火事!?」
取る物も取り敢えず彩辻さん達の部屋へ走る。こういう時、襖だけで隔てられている部屋の造りは便利だ。
部屋に入って直ぐ明かりを点けると、大声で呼び掛けた。
「彩辻さん! コウ君起きて!」
「ふぇっ!? あれ? ケイ君? って何この煙!」
「火事みたいです。直ぐに荷物を纏めて――って、コウ君は?」
彩辻さんは起こしたがコウ少年が見当たらない。
「コウ君なら大丈夫! 多分外にいる筈だから」
彩辻さんは素早く上着を羽織ってテーブル上の書類等を纏めながらそう告げる。ケイは『こんな時間に?』と疑問に思うが、一先ず後回し。
ケイも自分の部屋に戻って荷物を鞄に詰め込んだ。精々が着替えと携帯くらいしか出していなかったので、脱出の準備は直ぐに調った。
不意に、潟辺は戻っているのかと思い立ち、一応奥の小部屋に声掛けをしてみる。
「潟辺さん! 居ますか!」
「ああ!」
返答があった。既に起きて状況を把握しているらしく、潟辺も撮影機材などの荷物を纏めているところだったようだ。
大荷物の運び出しに困っているようなら手伝おうかとも思ったが、どうやら大丈夫そうなので部屋の前を離れようとした時、ケイは潟辺の奇妙な呟きを拾った。
「あいつらだっ! くそっ! 絶対あいつらだっ! くそっ」
(……?)
気になるがそれも後回しだと、自分の部屋に戻ったケイは手早く荷物を胸元に担いだ。そうして廊下に出たところで、避難誘導に来た美奈子と遭遇する。
奥の小部屋から潟辺も出て来た。
美奈子はケイと彩辻さんに潟辺の姿を確認したが、一人足りない事に気付いて周囲を見渡す。
「あれ? コウ君は?」
「コウ君なら――」
コウ少年の不在を説明している時、潟辺がドスドスと足音を鳴らして走って来た。そして大荷物の機材を抱えた状態で体当たりするように走り抜けていく。
「どけっ! 邪魔ぁっ!」
「きゃあっ」
「美奈子さん!」
ぶつけられた美奈子は、大部屋の襖を巻き込んで倒れ込んだ。
「ちょっとっ!」
彩辻さんが潟辺に抗議の声を上げるが、潟辺は無視して階段を下りて行った。ケイはすぐさま美奈子を助け起こしに掛かる。
「大丈夫ですか」
「痛っ 足が――」
変な倒れ方をしたらしく足首を捻ったようだ。肩を貸してどうにか美奈子を立ち上がらせたケイは、心配そうに駆け寄って来た彩辻さんに指示を出す。
「彩辻さん、先に行って下さい! 救急隊員か青年団の応援を」
「わ、分かったわ!」
走り去った彩辻さんが階段をズダダダダッと下りる音を聞きながら、ケイは美奈子を支えつつ廊下を進む。
その時、突如明かりが落ちて真っ暗になった。一階でかなり火が回ったらしく、電源がショートして停電したようだ。
「ひゃっ」
「大丈夫」
怯える美奈子を励まし、ポケットから携帯を取り出して明かりに使う。そうして、ようやく階段の前まで来たところで、家が大きく揺れた。倒壊が始まっている。
「こりゃ急いだほうがいい。美奈子さん、背負うからこれで足元照らして」
「は、はい」
美奈子に携帯を渡しておんぶすると、慎重に階段を下りていく。その間にも、家が軋む音と揺れが続いていた。
「もうすぐだ」
「はい……」
一階の廊下が見えて来た辺りで、大きな倒壊音と共に大量の煙が階段に流れ込んで来た。同時に足元が崩れる。
(あ、これ駄目だ)
外の空気が入って来て一瞬だけ視界が開ける。黒煙の向こうに見え隠れする赤い炎と、瓦礫に舞い散る大量の火の粉。
首元で美奈子のくぐもった悲鳴が聴こえたのを最後に、ケイの意識は暗転した。
鐘の音のような響きが木霊する。既に感じ慣れた不思議な響き。混濁する意識が覚醒を始め、薄すら白くぼやけていた視界に、色と輪郭が戻る。
少し冷えた地面と草の匂いを感じながら身体を起こす。仙洞谷町にやって来た初日。駅から続く小道の、分岐部分を見守る位置に立つ道祖神の前で、ケイは目を覚ました。
(まさかの焼死か……)
埃を掃いながら立ち上がったケイは、分かれ道を見つめる。民宿・万常次に泊まれば、あの火事に遭遇する事になるが、ケイは火事の原因がかなり怪しいと感じていた。
潟辺とその仲間達が関わっている気がする。ぶっちゃけ彼等による不審火を疑っていた。
(俺が泊まらなければ流れが変わって火事も起きないかもしれないけど、潟辺達が万常次に関わるのは確定してるからなぁ)
今現在、潟辺達が万常次の私有地に侵入して、美奈子が困っている状況なのは変わらない。
(知ってて放っておく気にもなれないしな。どこかで流れを変えて万常次が被害を受けないように、潟辺達の動きを見張るようにするか)
ざっと方針を固めたケイは、町に向かう人々の流れから外れて、住宅街に繋がる分かれ道へと歩き出した。
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