第1話
四方を山に囲まれたこの町は、高度成長期時代の発展から取り残された町だった。立地の悪さから交通の便が改善されず、度々行われた町おこしも悉く不発。
再開発の波にも乗りきれないまま、自然に囲まれた静かな田舎町の一つに落ち着いた。
そんな仙洞谷町は今、かつてないほどの観光客で賑わっている。
隣町と仙洞谷を結ぶ唯一の路線の廃止が決まり、その区間のみを走っていた特別車両が引退するとあって、全国から熱心な鉄道ファン――撮り鉄と呼ばれる人達が大勢押し掛けていた。
地元の乗客がほとんどおらず、外から来た人達であふれている客車の一座席にて。ケイはそろそろ到着する頃かと荷物を抱える。
偶々ネットの記事で見掛けた『列車の旅~田舎町編~』の紹介ページで興味を抱き、今回の旅の目的地に選んだ仙洞谷町。
ガラガラの電車で物静かな旅を楽しむつもりだったのだが、廃線イベントが絡んでお祭り騒ぎだ。
(まあ、こういうのも一興か)
知らない町で知らないお祭りやイベントに触れるのも、気ままな一人旅の醍醐味である。
電車を降りると、駅と周辺で写真を撮りまくっている人達が目立つ。いずれも大きなカメラを何台も提げていたり脚立を背負っていたりと、まるでプロの撮影班のようだった。
ケイは、町に向かう人達の流れについていく。
カメラマンのような恰好をした若い男性のグループが多く、ちらほらと地元民らしき年配者が交じっている。子供を連れた若い女性も見掛けた。
駅から続く小道を進んでいると、覚えのある波動を感じた。
(ん? 近くに石神様があるのか)
少し先に分かれ道があり、その分岐部分を見守るように道祖神が立っていた。石神様の波動は道祖神から出ている。
(とりあえず祈っておこう)
この先、死亡するような事があれば、今この場所この時間からやり直せる。
石神様が響いたのを確認して顔を上げたケイは、ふと視線を感じて振り向く。そこには、後ろを歩いていた子供連れの若い女性。
女性の方はパンフレットのような冊子に目を通しており、その傍らを歩く子供が何やら不思議そうにケイの事を見つめていた。
(今時の子供は、お地蔵さんとか道祖神に手を合わせる風習とか知らないのかもな)
特に気にするでもなく、ケイは仙洞谷町に続く道に向き直る。
真っ直ぐ進めば町の中心となる商店街の通りに。右に曲がると住宅街に続いている。駅からの人の列は大多数が商店街方面に向かっていた。
ネットの紹介記事によるとホテルもその商店街の通りにあるようだが、この分だと鉄道ファン達で満室のはず。
そう判断したケイは、件の記事の隅に小さく注釈で書かれていた『民宿もある』の情報をもとに、そちらを探すべく住宅街に繋がる右の道へと入った。
比較的新しい小さなビルが立ち並ぶ町の中心は駅から離れているが、古い一軒家が並ぶ住宅街は線路沿いに広がっていた。
この辺りにも廃線イベント関連の観光客の姿がちらほら見える。
線路に近いとあって、多くの撮り鉄達が三脚を立てたり脚立を組んで場所を確保しては、駅に入って来る電車を待ち構えている。
そして、こういうイベントではよくあると聞く、地元民とのトラブルを早速起こしている者達もいた。
大きな屋敷の庭先で、エプロンを付けた若い女性が「ここは私有地だから出て行って」と訴えている。どうやら勝手に庭に入った集団がいるようだ。
カメラを持った五人くらいの若者達が、女性の訴えをほぼ無視しながら駅と線路を見渡せる場所の選定を話し合っている。
離れた場所に集まっている他の撮り鉄グループは、その様子を見て眉を顰めているが、仲裁に行く気はないようだ。
(あれは宜しくないな)
立ち退きを訴えている女性の声を聞きつけてか、近所の家の住民が玄関から顔を出している。ケイは真っ直ぐその屋敷の庭に向かうと、まずエプロンの女性に声を掛けた。
「こんにちは、どうしました?」
お困りですかと問えば、女性はケイに戸惑いながらも「うちの庭に勝手に入り込んだ人達が話を聞いてくれない」と窮状を語る。
ケイは「手伝います」と一言断ってから庭に踏み入ると、線路側の庭の垣根のところで打ち合わせっぽい事をしている集団に話し掛けた。
「君達、ここは人の家の庭だから勝手に入っちゃダメだよ」
そう注意を促す。当然、ケイの事も無視する彼等だったが、ケイは彼等のやりとりや立ち位置、それぞれの態度からリーダー格を見定めると一直線に歩み寄る。
にやけた顔で仲間と駄弁りつつ、ちらちらケイの方を見ていた集団は、ケイが近付いて来た事で半笑いの表情に緊張を浮かばせた。
ケイはリーダー各の若者の傍まで寄ると、そのまま後ろ襟の首根っこを捕まえて私有地の外へと引きずり出した。
線が細めで温厚そうな見た目に反して、ケイは荒事には強い。伊達に何度も死に戻りを体験していない。
「えっ! ちょ! おいおいおいっ!」
(おいおいじゃないんだよなぁ)
突然の実力行使にリーダー格の若者は狼狽した声を上げる。暴れようとするも、後ろ襟をぐいぐい引かれているので踏ん張りが効かず、転ばないよう足を動かすのがやっとだ。
この騒ぎで、様子を見ていた近所の人達も外に出て来た。ケイの行動が呼び水になったのか、余所から来た若者集団の横暴に困惑していた住民達は、俄かに殺気立つ。
戸惑いながら何だかんだと騒いでた集団は、実際に手を出されるとなると怯むらしく、大人しく去っていった。
彼等に訴えかけていた若い女性がケイにお礼を言う。
「ありがとう~、あの人達ちっとも話聞いてくれなくて困ってたの」
「大変でしたね」
ケイと女性のやりとりに「よかったよかった」という雰囲気で家に戻って行く住民達。先程まで過密状態だった住宅街の一角が、あっというまに閑散とする。
そんな通りを眺めながら、ケイは「実は泊まるところを探している」と明かす。
「どこかに民宿をやってるところないですかね?」
「あ、それなら家に泊まる?」
ケイの相談に対し、女性は自分の家が民宿である事を告げて庭を出ると、正面の玄関に誘った。玄関の表札脇には『民宿・万常次』という小さな看板。
女性は『
「おおう」
民宿・万常次は二階に客間があり、部屋は全部で八つ。集団向けの大部屋が二つと、三人から四人向けの中部屋が四つ。一人から二人向けの小部屋が二つある。
ケイは一人だが、三人から四人向けの中部屋を小部屋料金で貸して貰えた。
「大丈夫? 他にお客さんは」
「ほとんど地元の関係者しか泊まりに来ないから大丈夫よ」
今回の廃線関連で押し寄せて来た鉄道ファンや観光客は皆、商店街のホテルを利用しているし、民宿がある事を知っている人もあまりいないと美奈子は言う。
「さっきの人達もそうだけど、マナー悪そうだから来ても泊めたくないし」
「なるほど」
そんな事を話しながら一通り民宿の中を案内した美奈子は、商店街のホテルからヘルプ要請が来ているので手伝いに行くと言って、万常次の文字が入ったエプロンを外した。
「ヘルプとかあるんだ?」
「向こうとは持ちつ持たれつの関係なのよ」
民宿だが旅館と言って差し触りないほどの規模と設備が整っている万常次。商店街のホテルの経営者や従業員は、以前はここで働いていた事がある人達なので気安い関係との事。
美奈子を見送ったケイは、一人で使うには広い部屋でゆったり寛ぐ。来て早々トラブルに首を突っ込む事になったが、お陰で贅沢な宿泊環境を得られた。
欄干付きの二階窓から外を眺めると、近所の民家の屋根向こうに仙洞谷町の中心部が見える。
商店街の通りには小さなビルや公民館などの施設がポツポツと立っているくらいで、後は山と畑に囲まれた長閑な田舎町だ。
廃線イベントで観光客こそ普段より多いが、そんな町の喧噪もここまでは届かない。
時刻はそろそろ夕方になろうかという頃。駅周辺で撮影に励んでいたグループも、町に向かってぞろぞろと移動を始めていた。
夕食を貰いに一階の食堂に下りると、美奈子から事情を聞いた家の人がわざわざお礼を言いに来た。おかずを一品サービスして貰い、少しほくほく気分なケイ。
食堂にはお座敷スタイルで食事ができる場所はあるのだが、他に客の姿はなく、宴会場のような畳敷きの大広間を一人で使うのも気まずいので部屋でいただく。
(あんまり排他的な感じも無いし、いいところだな)
ケイはのんびり田舎料理の食事にあり付きながら、廃線イベント等の無い普段の静かな町の姿も見てみたい気分になった。
時刻は夜七時半過ぎ。
部屋での夕食を終えたケイは、食器を食堂に返してお風呂に向かう。民宿・万常次にも浴室はあるのだが、家人用であり、客向けには開いていない。
なので、宿泊客は商店街の銭湯を利用する。民宿の
普段は日が暮れると閑散とする商店街通り。今は観光客が多い為、都心の繁華街のごとく人通りで賑わう夜の仙洞谷町商店街は、まるでお祭りの夜店通りのようだ。
特に出し物があるわけでもないのだが、大勢の人が夜の町を出歩く光景には、どこかわくわくとした高揚感を覚える。
銭湯は商店街の中程にあった。昔ながらの公衆浴場といった雰囲気で、結構広い。番台に札を見せて民宿の客である事を確認される。
「ああ、万常次さんとこの。ゆっくりしていってな~」
石鹸やシャンプーも売っているので一通り入浴セットを購入してロッカーに服を仕舞う。脱衣所を見渡すと、いかにも地元の人っぽい客の他、観光客らしき姿もちらほら。
(おや?)
その中に、分かれ道の道祖神にお祈りしている時に見た、小さい男の子も居た。こちらに気付いたその男の子は、ケイに人形のようなアルカイックスマイルを披露して湯船に向かった。
(……妙に大人びた感じの子だなぁ)
子供だからだろうか、やけに白く艶のある肌が印象的だった。
(なかなかいい湯だった)
民宿までの帰り道。商店街はこの時間でもまだうろついている人を多く見掛ける。そのほとんどが余所から来た観光客のようだった。
大通りに面した公園や広場に複数のテントが見える。ホテルがいっぱいで泊まれなかった人達が野宿をしているらしい。
(キャンプ場みたいになってるな)
町の青年団(平均年齢50オーバー)が見廻りをしている。町の駐在さんも話を聞きながら付近を歩き回って、トラブル防止に努めていた。
花火をしていた若者グループに注意するなど、大変そうだ。
ふと目を凝らせば、銭湯でも見掛けた件の男の子と連れの女性が、集団に交じって公園の方へ歩いて行くのが見えた。どうやらホテルには泊まれなかった組らしい。
若い女性と小さな子供の組み合わせだが大丈夫だろうかと、ケイは少し気に掛けつつも民宿・万常次への帰路についた。
夜の八時を回る頃。
「あ、曽野見さんおかえり~」
「ただいま美奈子さん。ホテルのヘルプは終わったんですか?」
万常次に帰ると、美奈子が出迎えてくれた。
「うん、さっき帰って来たところ。向こうはお客さんで満杯だったわ」
もうギュウギュウよ、と肩を竦めた美奈子は、ホテルでのヘルプではもっぱらクレーム対応が大半だったと首を振る。
「クレーム?」
「観光客が多過ぎて泊まれなかった人がね。あと何かキャンセルしたとかしてないとかで」
フロントで揉めて揉めて大変だったそうな。
「それはお疲れ様です」
「うふふ、ほんと疲れたよ~」
労ってくれる曽野見さんは良い人だーと、人好きのする笑顔を浮かべる美奈子に、ケイも笑顔を返した。
夜の町まで遊びに出歩く事も無いので、ケイはそのまま早目の寝床につく。
特に寝付きが悪い訳ではなかったものの、結構遅い時間まで遠くから騒いでいる声が聞こえていたので、実際に寝就けたのは日付が変わる頃だ。
旅の初日であるこの日は、そうして過ぎて行った。
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