三日目・深夜過ぎ~



「このまま行けば、杵島さんは離婚に追い込まれる可能性が高い。その場合、今の仕事も失うかもしれません。城崎さん、貴女は全てを失った杵島さんを支えていく覚悟はありますか?」


 ケイは城崎に不倫の清算を説き、高確率でこうなるという例を挙げると、その上で杵島を支えられるのか覚悟を問う。

 離婚したからとて、前の奥さんやその家族との繋がりが切れる訳ではない。破局から離婚、失職。子供との面会。慰謝料や養育費の支払いは大変だ。その状態で、彼を愛し続ける事が出来るのか。


「杵島さんは、精神的に幼い部分が残っている。あの年齢で人生を踏み外すと、自力では立ち直れないまま、ずるずる堕ちて行く可能性も高い。貴女は、彼を最後まで支えてやれますか?」


 ――そんな美談調にする事で、城崎の気持ちを『二人で困難を乗り越える』方向へ奮い立たせるようコントロールする。


「わ、私は……」


 城崎の目が泳ぐ。背水の陣で挑んだこの不倫旅行。恐らく『恋愛の成就か、さもなくば心中』の二択しか考えていなかったであろう彼女は、現実的な『その先の生き方』について示された事で、気持ちが揺れているのだろう。

 そう推察するケイは、慎重になりながらも城崎の背中を押すべく一言を紡ぐ。


「昔からよく言うじゃないですか『人は死ぬ気になれば何でも出来る』って」

「っ!」


 死という表現は城崎が計画している心中を連想させるので避けたいキーワードだが、ここは敢えて鼓舞する目的で口にした。動揺による揺さぶり効果も狙っての判断だ。

 城崎は、ハッとした表情を見せた後、何かを考え込むように沈黙した。そのまま暫く俯いていた彼女は、やがて顔を上げる。


「分かりました……」


 そう呟いた城崎からは、どこかほっとしているような雰囲気が感じ取れた。


(……彼女自身、自分の決意に追い詰められていたのかもしれないな)


 城崎の呟きに覚悟を決めたものと頷いて応えたケイは、今後の杵島との接し方を少し話し合った。アドバイスという形で、従順に振る舞って見せるよう伝えて部屋に戻らせる。彼女が立ち去った後、ケイも時間をずらして旅館に足を向けた。

 時刻は既に0時を回っている。これにより、三日目に起きていた『恵美利の死』と杵島、城崎による『心中事件』、それに洞穴で起きていたであろう『梨絵と清二の事件』も防ぐ事が出来た。


(よし、一先ずこれで様子を見よう。石神様は……明日でいいか)


 今夜はもう何も起きないとは思うが、万が一、今この瞬間までに何か不都合な事件などが起きていた場合、本当に取り返しが付かなくなる。

 石神様の祠には、明日の朝、全員の生存を確認してから祈りに行く事にした。



「ただいまー」

「おかえり相棒」


 201号室に戻って来ると、まだ作業を続けていた哲郎が伸びをしながら出迎えてくれた。ケイは一階の自販機で買って来た缶コーヒーを奢り返したりしつつ、座椅子に腰を下ろして一息吐いた。


「ふーやれやれ」

「お疲れ。用事は済んだのかい?」

「ああ、一通りはね。留守中、何か変わった事は?」

「不良カップルがちょっとバタバタしてた以外は特に無しかな」


 寛ぎモードに入っていたケイは、それを聞いて一気に緊張モードに切り替わる。思わず身を起こしながら訊ねた。


「哲郎、それ何時頃だ?」

「え、さ、三十分くらい前だったと思うけど……」


 ケイの剣幕に気圧されながらそう答える哲郎。彼の話によると、ドアが乱暴に開かれる音がして「おいっ! リエ!」という清二らしき怒鳴り声が響き、誰かが廊下を走り去って行ったらしい。

 足音の感じから、恐らく牧野梨絵ではないかとの事だ。


「廊下を駆け抜けていったのは梨絵だけか?」

「た、多分……その後も暫く耳を澄ませてたけど、特に物音とかも聞こえなかったし……」


 つまり、ケイと城崎の話し合いが終盤に差し掛かっていた頃、牧野梨絵と戸羽清二の間に何かがあって、梨絵が部屋を飛び出して行くという出来事が起きていた、という事だ。


「スマン哲郎、ちょっと出掛けて来る。遅くなると思うんで先に寝ててくれ」

「わ、分かった」


 ケイは念の為、昨日も使った備え付けの懐中電灯を手にとると、上着を羽織り直して部屋を後にした。


(既に日付は変わってるけど、問題の三日目はまだまだ平穏には終わりそうにないな……)


 廊下に出たケイは、梨絵と清二が泊まっている204号室の様子を探り、梨絵が戻っていないか確かめる。扉の前で耳を澄ませるが、特に物音は聞こえない。


(ここは戻っていない事を前提に動くか)


 一階まで下りて来たケイは、とりあえずサロンや食堂を見て回る。いずれの部屋も消灯していて、梨絵の姿は見当たらない。どういった理由や状況で部屋を飛び出したのかは不明だが、旅館内には居ないのかもしれない。

 外を探す事にしたケイは、玄関を出た所で一旦足を止めた。まず何処へ向かうべきか考える。


(雑木林は……明かりも無しに入って行けるような場所じゃないな)


 哲郎の話に聞くその時の様子を考えると、わざわざ明かりを用意して出て行ったとは思えない。着の身着のままで飛び出したなら、寒さも凌げる場所として洞穴辺りが一番可能性が高い気がした。


(中まで入らなくても、出入り口付近なら月や星の明かりでどうにか見えるし、行ってみるか)



 もうすっかり通い慣れてしまった海岸沿いの田舎道を小走りで駆け抜け、崖の上の丘方面と洞穴方面への分かれ道にある電柱の街灯下までやって来た。

 洞穴方面に続く道を進もうとしたケイは、ふと香水の匂いがした気がして風上に視線を向ける。


(……丘の上に人影? 梨絵か?)


 そこでピンと来る。清二は高所恐怖症であの丘の上まで来られない。それを見越して、あそこに陣取っているのではないか。

 ケイは周囲を見渡し、他に人影が見当たらない事を確認すると、丘に続く道を登り始めた。


 朝方撮影会をした場所まで登って来ると、しゃがんで震えている梨絵が振り返った。その姿に、二周目の最後に見た光景が重なる。


「何だ、あんたか……」


 梨絵は疲れた表情でそう呟くと、海の方へと向き直った。ノースリーブのワンピース姿は流石に寒そうだ。ケイは黙って上着を掛けてやり――


「うおーさっぶ!」


 ここは風が寒過ぎるので下りようと促した。


「……ぷっ、何やってんのよ」


 格好つけて上着を貸しておいて寒がっているケイに、吹き出した梨絵は肩を震わせて笑う。とりあえず、街灯の所まで下りて来る二人。

 ケイの上着を羽織った梨絵は、両手でその襟を寄せながら、おもむろに口を開いた。


「あんたさあ、さっき土手の所で……」


 梨絵は丘に向かう途中、旅館からは死角になる土手の裏側で、ケイと城崎が向かい合っている姿を目撃したと言う。


「あの人と、何してたの?」

「ああ、不倫の清算とその後の人生について相談に乗ってました」


 ケイはこの状況を『梨絵が抱える問題を聞き出す最大のチャンス』と考えた。

 単に口の軽い人間と思われては不味いが、梨絵の秘密を聞き出す為に、敢えて杵島と城崎の関係を少し明かす。杵島が既に詰んでいる状態にある事までは話さない。


「へ~、あの二人って、やっぱ不倫だったんだ?」

「ちょっと込み入った事情があるから、少なくともここにいる間は話題にしちゃダメですよ?」


 一応このツアーが終わるまで誰にも喋っちゃダメだと釘を刺したケイは、梨絵が自分の事を話し易くなるよう、彼女が今現在直面しているであろう問題をストレートに訊ねた。


「で、そっちは何があったんです?」

「……そう言えばあんた、相談に乗ってくれるって、言ってたよね」


 二日目の夜、サロンでケイが仕掛けた策が効いて来たようだ。梨絵は、遠くに視線をやりながら独り言のように呟くと、軽く息を吐いておもむろに語り始めた。


「あたしの、友達……親友の話なんだけどさ――」


 家庭に問題があった為に早くに家を出て、夜の店で働いていたその親友は、常連客だった悪い男に騙されて捨てられ、自ら命を絶った。

 その男は、親友に対して法的に罪を問えるような事はしていない。しかし、己が原因で自殺した親友の事を侮辱した。それがどうしても赦せないので復讐したいと思っている。

 梨絵はそこまで語って一息吐くと、ケイに向き直って言った。


「あたしの復讐を手伝う気、無い?」


 少し軽い調子でそう言いながら、羽織っていた上着を半脱ぎ状態っぽくずり下ろして見せた梨絵は、両腕で寄せた胸元を強調しつつ上目遣いのポーズで囁いた。


「手伝ってくれるなら、何でもしてあげる」


(そう来たか。しかしこれは……)


 誘惑という手段に出た彼女だが、その肩が微かに震えているのは寒さからか、緊張からか。少し自棄になっているようにも見える。

 復讐の協力依頼などという、なかなか物騒な相談事を持ち掛けられたケイだったが、いたって冷静に問い質す。とりあえず、今の話に出て来た復讐したい相手が、戸羽清二である事を確認した。


「その男の人って、戸羽さんという事で良いんですよね? 具体的には?」

「具体的?」


 ケイの反応があまりにも平然としていた事に戸惑ったのか、梨絵は若干素に戻って小首を傾げた。ケイは、そんな彼女の表情を注意深く観察しながら、復讐の例を挙げる。


「単に酷い目に遭わせたいとか、反省させたいとか。あるいは――殺したいとか」

「っ……」


 思わずといった様子で、息を呑んだ梨絵の表情が強張る。暫しの沈黙後、彼女は絞り出すように呟いた。


「……出来るなら、殺してやりたいとも、思ってる……」

「ふむ……」


 誘惑の演技も忘れて視線を落としている梨絵を観察した限り、その復讐心は根深そうではあるが、それほど強い殺意までは感じられない。

 恐らく梨絵は、清二を明確に殺そうとまでは思っていないのだろう。それを確かめるべく、ケイはもう少し詳しい背景を聞き出そうと質問を続ける。


「そこまで恨んでる相手と、どうしてこんな場所まで旅行を?」

「……人に見られたくなかったのよ」


 邪魔が入らないように考えたという梨絵のシンプルな答えに、ケイはなるほどと納得する。今の梨絵は、戸羽清二に気に入られる為に『傍若無人な不良娘』を演じているのだ。

 自殺したという彼女の親友が余程遠い町で働いていたならともかく、家が近かったり、地元の町での出来事だった場合は、梨絵の他の友人や知り合いに見つかる危険性が高い。

 梨絵と清二の事を知る者がおらず、手っ取り早く親睦も深められる環境を求めるなら、なるべく人の少ない閑散とした観光地に旅行するのは中々悪くない方法だと思えた。


 復讐目的で清二に近づき、自分に十分惚れさせてからこっ酷く振る。梨絵の復讐計画はその程度の内容だったのかもしれない。

 しかし、このツアー中に心中事件や、事故死に見せ掛けた殺人を目の当たりにして、本気で清二の殺害を考えるようになった――恐らくそんなところだろうと、ケイはループした前二周の流れから分析した。


(梨絵の犯行は、元々誰かに協力を求めるパターンだった? その相手が、これまでは加奈だった、という事か?)


 今回は心中事件も恵美利の事件も起きていないので、加奈のスタンガンは梨絵の手に渡らず、清二を洞穴に誘い出す計画も立てられる事が無かった。

 代わりに、清二と何らかのトラブルを起こして一人で飛び出した梨絵は、こうしてケイに協力を求めている。

 ケイは更に詳しく、何があって部屋を飛び出して来たのかを問うた。すると梨絵は、半脱ぎにしていたケイの上着を羽織り直しながら、少し顔を赤らめて言い難そうに説明する。


「あいつ……その、求めて来ちゃったから……それであたし」

「あー……」


 なるほどねとケイは察した。これまで三日目の夜に梨絵が動いていたのは、清二に身体を求められたからなのだろう。

 旅館内では声が部屋の外に漏れるので嫌だ、洞穴でしようよ等と言って誘い出し、そこで加奈に借りたスタンガンを使っていた。今回は求められ、追い詰められた梨絵は、逃げ出した。


 何事も無く平穏に、とはいかないようだが、完全に新しい流れが出来ている。死者を出す事無く全員無事にツアーを終えるという目標に向けて大きく前進した。

 ケイはそう確信する。


(それなら、多少面倒事を引き受けても構わないかな? せっかく記念撮影会で和んだ空気を崩す事になるけど……)


 梨絵にも一度殺されているケイとしては、復讐心を燻らせた梨絵をそのままにしておく方が危険だと判断した。条件さえ調ってしまえば、梨絵も殺人という行為を選択してしまえる人間なのだ。勿論これは梨絵や加奈、城崎達に限った話ではないが。


(哲郎に説明しておくのは当然として、杵島さんと城崎さん、加奈や恵美利達にも根回しが必要になるかもしれないな。まあ、とりあえず今やるべき事は――)


 ケイは梨絵の復讐がなるべく穏便に終わるよう画策し始めた。


「内容次第では手伝う事もやぶさかでは無いけど、復讐の着地点は決めてるんですか?」

「え……? ち、着地点?」


 何それ? と戸惑いを浮かべた梨絵に、ケイは手慣れた風を装いながらじっくりと説明する。


「どういう状態をもって復讐を完了とすべきか、その線引きですよ」

「そ……そんな事言われても、よく分からないわよ……」


 梨絵との会話で完全に主導権を握ったケイは、このまま思考を誘導する。


「例えば、旅行先で女を取られた情けない男という惨めな状況を作るとか、修羅場を演出して皆の前で彼が振られる形にする事でプライドを圧し折るとか、そういう具体的な方針や内容です」


 分かり易く説明しながら参考例を並べる事で、復讐内容が穏便なものになるよう選択肢を絞っていく。やるなら効果的にやった上で、後腐れの無いようきっちり終わらせる。

 尾を引くと、後々拗れて厄介な事にもなり兼ねない。


「実行中はお互いに身の安全も図らなくちゃならないし、旅館の従業員や他のツアー客にも迷惑が掛からないようにしないと」


 それを聞いてハッとなった梨絵は、神妙な表情で頷いた。


(やっぱり根は善人なんだな)


 なりふり構わず周囲の事など顧みない、という行動に出られない辺り、やはりこちらは加奈や城崎と違って、『殺意有りき』では無かったのだろう。ケイは改めてそう確信した。


「じゃあ、この後旅館に戻ってからの行動と、明日からの活動について、ある程度の方針と計画を立てておきましょう。とりあえず、私物はいつでも持ち出せるよう纏めておいてください」

「わ、わかったわ」


 テキパキとしたケイの取り仕切りにすっかりお任せモードとなった梨絵は、ケバさも目立つ『傍若無人な不良娘』な見た目とは裏腹に、とても従順な『ささやかな復讐を狙う娘』と化していた。


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