イミテーション(小説新人賞最終選考落選歴二度あり)

牛馬走

ショートショート・ミルキーウェイとの連作作品(小説新人賞最終選考落選歴二度あり)

   イミテーション


   1


 照明が抑えられたホールから、温かな視線がいくつも注がれているのを肌で感じる。

 紋付袴姿の弓山芳樹(ゆみやまよしき)は、隣に座る女性――白無垢に身を包んだ妻、白石枝実子(しろいしえみこ)の横顔をそっとうかがった。

 かすかに頬を上気させている。

 今日、彼は彼女に対し秘密を打ち明けるときめていた。

「それでは、新郎の芳樹さんから、枝実子さんとのなれ初めをお話してもらいましょう!」

 ホール前方の脇にある台に立つ髪の毛を神経質なほどに撫でつけた司会者が大きな声をだす。

「いってくるよ」

 芳樹は枝実子に向かって小さな声で告げた。

「いってらっしゃい」

 彼女が微笑む。

 その笑みに見送られ、彼は司会者にゆずられマイクを手にした。

 彼の視線が式場の入り口でピタリと止まる。

 そこには、場違いな赤髪の外人の姿があった。肩まで伸びた蓬髪と北欧の民族衣装のような格好をしている。

(ロカセナ……)

 胸のうちで茫然とつぶやくと、心の声を聞きつけたように相手は手を上げた。

 だが、瞬きひとつすると、その姿は白昼夢のようにあっさり消える。

 立ち去ったのかもしれないし、人の目には映らなくなっただけかもしれないし、そもそも来てなどいない可能性も高かった。

 そういう人を悩ますのを性(さが)としているのがロカセナの本質だ。

(お陰で悩んだよ)

 ため息に似た力加減の思いを抱く。

「枝実子との出会いは、ある一つの指輪に起因しています――」

 彼は深呼吸をした後、語り始めた。


   2


 渋谷のスクランブル交差点。

 田舎から出てきた人間は、ここに来ると必ず驚く。

 地方では、市内などに行ってもこんなに人が集まっている光景は見られない。

 芳樹自身も中国地方出身だ。

 でも、二〇代半ばを過ぎ東京での暮らしが人生の三分の一以上を占めるようになった現在、人にぶつかりそうになることもなく、ここを歩くことができる。

 ……はずだった。

 ドン、と自分ひり頭一つ分ほど小さな人影とぶつかる。

 相手は女性だった。

「すいません」

 早口で謝り、彼氏らしき男に「何やってんだよ」と笑顔で肩を叩かれながら去っていく。

 できの悪いパラパラマンガのように、網膜に映る像がゆっくりになった。

 芳樹の視線が一点に吸い寄せられる。

(あの指輪……)

 見覚えがあった。

 独特の紋様、ルーン文字という北欧の古い文字が彫りこまれた手作りの指輪だ。

 と、そこでドンと背中に軽い衝撃が走る。

 スクランブル交差点で立ち止まっていたため、人とぶつかったのだ。

「すいません」

 反射的に謝罪し、彼は信号が明滅していることに気づく。

 後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも、打ち合わせに行くためにその場から立ち去った。


   3


 深夜の空気は真昼に比べて硬質な気がする。

 なかなか物音がしない代わりに、一度物でも床に落とすと耳の奥にまでその振動が届くのだ。

 芳樹はその静寂が清浄に感じるから好きだった。

 だから、自然と仕事は夜に取りくむことが多くなる。

 ラフを写しとった紙にペン入れを済ませたものが机に置かれていた。

 ――髪の長い女性がゴシック建築の屋上の端に座っていて、それを斜め上から描いた、そんな構図の絵だ。

 自分が使いやすいよう、消しゴム、練りケシ、シャーペン、コピックのマルチライナー、コピックなどの画材が机の上に配置されている。

 芳樹は肌色系統の中でも、薄めのものを手にとった。

 この角度は着色のときに影に気をつけないと、顔がカエルみたいになってしまう。

 す、とコピックの先端を絵に下ろした。

 個人的にはこのときの感触で、すべてが決まる気がする。

 小説だって書き出しが気にいらずにリテイクを繰り返す人は多いらしい。

 コピックを紙の上に滑らせる。

 こういうとき、なんとなく不思議な気分になるのだ。

 真っ白だった世界に色が生まれる、それが魔法のように思える。

 コピックを段階を変え、濃い色へと変更して重ねていった。

 すると、平面だった絵が立体的になり、質感がそなわる。命が吹き込まれていくのだ。

 集中力が途切れないうちに、衣裳へと移る――が、脳裏を指輪のぼんやりとした輝きがよぎった。

 ピタッ、と手が止まった。

 指先は硬直しているのに、全身は弛緩している。

 これ以上は、ゼロコンマ一秒も集中できる気がしない。

「ダメだ……」

 コピックを容器に戻し、椅子の背もたれに体重をあずけ伸びをした。

 あらためて、自分の絵を眺める。

そこには濡れ羽色の長い髪と黒目がちの瞳を持った女性のいきいきとした姿があった。

 イラストレーターとして仕事をするようになって数年、繰り返し描いてきたモチーフの人間だ。

 笑われてしまうから誰にもいっていないけれど、彼女はかつての恋人がモデルになっている。


   4


 気づけば小学校の頃からずっと、四六時中絵を描いている。

 その様子に親もあきらめてしまっていて、早々に息子がサラリーマンや公務員になるとは思わなくなっていた。

 だから、誰にも邪魔されず帆船が風を受ければ大洋をどこまでも進むように、ひたすら絵に熱中していた。

 そんなものだから、美術の時間は好きだった。


 ある日の美術の授業。

 うららかな春の陽射しが窓からさしていた、眠気を誘う。

 何人かの生徒が白髪の美術教師の目を盗んで居眠りしていた。

 けれど、芳樹は真剣にスケッチ張にむかっている。

 石膏の胸像の模写だ。

 別に面白い対象じゃない。

 でも、ギリシャ人らしき彫りの深さを紙の上に再現するのは面白かった。

 どれだけ本物に近づけられるか、試してみたくなるのだ。

 一心に鉛筆を動かしていると、不意に頬のあたりで空気が動く。

 スケッチ張にかすかな影が生まれた。

 なんだ? と彼は右手を向く。

 そこには、同じ班の女子の顔があった。確か、名前は田辺奈桜(たなべなお)だ。

 睫毛の一本一本が数えられるくらいに距離が近い。

 別に芳樹は容姿が悪いわけではなかったが、女子とは縁遠かった。

 人と話すのが好きではないし、群れるのはもっと嫌いだ。

 だから、自然と一人でいることが多い。

 イケてる男子女子、その他のイケてない生徒で階層化された教室の中で、彼は浮いていた。

 あえて表現するなら、ジプシーに近い。

 美術の時間や、絵の賞をもらったときに注目される。

 不細工でもないからイジりにくい、ということで特別な位置にいた。

 彼自身、それでいいと思っていたのだ。

 女子よりも、絵の方に興味があった。

 ……この瞬間までは。

「上手だね」

 彼女が笑顔を浮かべ、こちらを見る。

 名前のとおり、花弁がほころぶような笑みだった。

「あ、ありがとう」

 芳樹は、柄にもなく緊張する。

「いくつも絵の賞もらってるんだってね?」

 ただ感想を口にするだけでなく、彼女は会話をつづけた。

「う、ん」

 会話のキャッチボールというものをあまりしない芳樹は、へなへなの球を投げ返すだけで精一杯だ。

「やっぱり、絵が好きなの?」

「うん」

 ただ、うなずいているだけのなのに、彼女は興味深そうな顔をする。

 内容なんてないのに、芳樹は楽しいと思った。

 それから、彼女とは趣味や食べ物のこと、最近観たテレビや聴いた音楽のことを話した。

 以外に、奈桜は世間的には「暗い」と評価されているアーティストの曲が好きだという。

 彼はそのアーティストが音楽シーンに登場したからJポップを聴くようになったくらい入れ込んでいたから、そのことが言葉にできないくらい嬉しくなった。

 普段からは考えられないくらいに饒舌(じょうぜつ)になって、

「ファーストシングルが――」

「あの人の出身地は――」

「ライブに行ってみたい」

 などと喋る。

 そんな彼の様子に、奈桜は少し目を瞠(みは)っていた。

 それに気づき、芳樹は心配になって尋ねる。

「あの、ごめん。つい……」

「ううん、ちょっと驚いただけだから。弓山くんって実はこんなに喋るんだって」

 彼女はこちらの心細さを溶かすように、優しい口調でいう。

 奈桜のセリフに、彼は安堵(あんど)した。

 そのときは自覚がなかったけれど、芳樹は彼女に恋心を抱いていた。


 芳樹は学校で毎日、奈桜を話すようになった。

 クラスメートや部活のこと、たわいない話題ばっかりだったけど、彼女と話すというだけで楽しい。

 そういう風に過ごすうちに、言葉にしなくても相手が自分のことを好きだということがお互いに分かった。

 でも、中学校という場所は、雛鳥の集まっているようなところだから、ちょっと知らないことがあるだけ騒ぎ立てる――それが嫌で、彼は自分の気持ちを口にしなかった。

 そして、奈桜にも「好き」と口にする勇気がないらしく結局、いつも通りの会話が延々とつづく。

 そうしているうちに、卒業の日を迎えてしまった。

 芳樹は美術科のある近隣の公立高校、彼女は市内の私立に進むことになった。


 地元は九州だったから、桜が咲くのも早い。

 天使の唇のような淡い色の花びらが、卒業式の日に穏やかな風に舞っていた。

 妙に晴れ晴れとした表情、泣き顔、喜怒哀楽の「怒り」以外の感情が教室に詰まっている。

 卒業式を終えて生徒たちは、互いに卒業アルバムのメッセージを記入するスペースに言葉をつづっていた。

 一日、奈桜から目を逸らしていた芳樹。

 なにもいわずに終わってしまうのが恐くて、でも一歩が踏み出せずにいたのだ。

 だが、奈桜が彼のもとに近づいてくる。

 彼女はなにかを期待する色を瞳に浮かべながら、卒業アルバムを差し出した。

 受け取る芳樹の手は震えている。

 ハードロックのドラムのように、鼓動が激しいリズムを刻んでいた。

 頭の中が真っ白だ。

 でも、ここで伝えなければいけないことは分かっている。

 けれど、舌が硬直して動かない。

 マジックを奈桜から渡された。

 芳樹にとって、なにかを「記す」「描く」道具の感触は慣れ親しんだものだ。

 不思議なくらいに緊張がとける。

 彼はマジックで大きく一面に文字を書いた。

 それを開いて、彼女に見せる。

 奈桜の目が見開かれた。

 頬が上気して、瞳が潤(うる)んだ。

 彼女は口を開いたけれど、言葉が出てこない。

 慌てて奈桜は何度もうなずいた。

 その拍子に、目尻から透明な雫がこぼれる。

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イミテーション(小説新人賞最終選考落選歴二度あり) 牛馬走 @Kenki

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