第17話 エリカ奮起す
「悲惨な事件をニュースで見たとき、あんたはどう感じてる? 自分はこんなひどい目にはあわなくてよかった、あるいは、自分はこんなひどいことする人間じゃないから大丈夫、って思うでしょ」
「思わない! 勝手に私の内面を決めつけないでください!」
「そうかな? だって、自分と縁もゆかりもない人が、命を落としたところで、ふつうはどうでもいいことじゃないかな。他人事でしょ」
「エリカさんはそう考えるかもしれないけど、私は違います!」
「ピーピーうるさいッ! 口答えすんなッ! じゃあ聞くけど、あんたは、顔面が青く腫れ上がるまで、男に殴られた経験ってあんの!? 泣いて謝っても、内臓が破裂するんじゃないかってくらい、お腹を蹴られたことはあんの!?」
「そ、それは――」
問わずともわかった。
いまエリカさんの口を突いて出た話は、たぶん、すべて実体験。過去に森瞬一郎と付き合っていたときに受けた、暴力の数々。
「最低のクズだとわかっていて、それでもこの人には私しかいないんだと思って、みんなから後ろ指をさされるのも我慢し続けた! そんな経験をした人間相手に、あんたは胸張って、『私は不幸です』って言える!?」
言えない。私が安西先輩から受けた仕打ちは、客観的に見れば、浮気以外に特にひどいことはされていなかった。私としては許せなかったけれど、それでも、エリカさんの過去と比べれば大したことがない。
でも、納得できなかった。
「言えます。私だって、不幸です」
「は……?」
きっぱりと私が言い放ったことで、初めて、エリカさんは動揺の表情を浮かべた。
「不幸はいつか乗り越えないといけないけど、人によってその難しさは全然違うんです。いまの私は、千秋さんやエリカさんみたいに強くないから、彼氏に浮気されていた、程度のことでも、いまだ立ち直れないんです」
「なにそれ。要は、自分が弱いってことを認めてるわけ?」
「そうです。私は弱いんです。だからこのウィッチ・ガーデンに来た。パーティに仲間入りさせてもらった。強くなりたくって……安西先輩のことを乗り越えたくて…………乗り越えたら、またひとつ上のレベルに行ける、そんな気がしてるんです。それがいまの私の全力なんです。だから、もうすでに私より上のレベルに行ってるからって、エリカさんに、私のことを否定してほしくない!」
殴られるのを覚悟で、私は言い切った。興奮のあまり、鼻息が荒くなっている。真正面からエリカさんが鋭い目で睨んでくるのを、必死で恐怖心を抑えながら、私も睨み返した。
しばらくしてから、ふう、とため息とともに、エリカさんは全身の緊張を解いた。かぶりを振りつつ、対面のソファに座る。静まり返った空間で、カラオケの機械から流れてくるCMの音声が、やけに大きく聞こえた。
「あんたより上のレベル? アホくさ……それこそ、昔のことを乗り越えていない私が、そんな高みにいるわけないじゃない……」
エリカさんはうつむいて、頭を両手で抱えた。突然の変調に、私は戸惑いつつ、いまは余計なことを言わないようにしながら、次の言葉を待った。
「近江町市場で、あいつを、瞬一郎を追いこんだとき、私は動けなくなった。体に染みついた恐怖心が、どうしても拭い去れなかった。もし失敗したら、今度は殺されるまで殴られるんじゃないかって……私だって、弱い人間だよ」
あんなに偉そうにしていたエリカさんが、沈んだ口調で、自分のことを語っている。私は何か言うべきなのだろうか。いや、まだ黙っていないといけない気がした。
「なんでマキナさんが、私をあんたの教育係にしたのか、よくわかってきた。パーティのメンバーの中で、一番未熟なのが私だから。あんたみたいな新人を下につけることで、変化を促してるんだと思う。あんたの言葉じゃないけど……レベルアップ、ってやつかな」
「一緒に、乗り越えません?」
ついに耐えきれず、私は声をかけた。
エリカさんは顔を上げた。すっかり弱りきった表情だった。目をまたたかせながら、怪訝そうに眉をひそめている。
「一緒、に?」
「はい。私とエリカさんじゃ、抱えてるトラウマの重さは違うって、わかってます。でも、過去にあった辛いことを乗り越えよう、っていう点では、同じことですから。先輩と、後輩の私と、二人で頑張りませんか?」
「……二人で、ねえ……」
天井を仰いで、何か考え事をしている風のエリカさんは、やがて「はああああ」と大きな息をついた。
「マジで生意気なやつ。先輩に対して、ほんと、口のきき方がなってないわね」
「ご、ごめんなさい」
「だーかーらー、謝られるとイラッとくるって言ってんでしょうが!」
文句をぶつけてきたエリカさんだけど、こっちを見る目には、生気が宿っていた。顔では怒っているけど、どことなく、楽しそうな様子がある。
「言っておくけどね、ちょっと私の弱いところ見たからって、調子に乗んなよ。本気出せば、千秋にだってすぐ追いつくんだから。あんた程度じゃ手の届かないところまでレベルアップしてやる。すぐに思い知るわよ、ああ、調子こいてすみませんでした、って」
「はい、楽しみにしてます」
ここに来てようやく、私はエリカさんの前で、リラックスした笑みを浮かべることができた。
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