第28話 恋の行方



 あの美しい謎に満ちた恵子を探っていく内に、意外な事実を掴むことが出来た。


 150年余り前に芸者置屋に売られた美しい少女エリは、酷い目に遭い逃れて岐阜県の山あいの、小規模地主家田村家の養女として向かい入れられた運の良い少女だった。

 美しく成長したエリが名古屋の女学校に通い出した頃に、淡い恋心を抱いた軍人さんが居たが、実は…名古屋市鶴舞にある図書館で偶然にも知り合った軍人さんは実は、恵子の先祖だった事が分かって来た。


 そして…軍人さんとエリの純愛は思いも寄らない形となって現れる。


     ★☆


 1887年名古屋→岐阜間鉄道開通。

 1890年代の事だ。鉄道も開通し憧れの愛知県にも、以前に比べて簡単に行けるようになった。

 16歳に成長したエリは現在女学校の4年生。わざわざ名古屋の女学校に通っていた。それは何と言っても、東海3県の雄で大都会名古屋に憧れての事だが、また教育水準も高く優秀校も多かった。成績優秀だったエリは愛知県にある有名女学校に通い出した。


 憧れの女学校生活は夢のような生活だった。あんな片田舎の山村から見れば全てが都会的で夢うつつ。


 自分は田舎者と卑下しているが、他人はエリに釘付け。それはあの当時で身長も日本女性の頭一つ高く、小顔で彫りの深い西洋人形の様な娘さん。名古屋の街を歩けばエリは注目の的だ。

 

 男性の熱い視線を感じながらも時代は、そう簡単に男と女が付き合う機械などなかった時代だ。


 エリは地主の両親を助ける為に経理の勉強をする為に、わざわざこの杉田女学校を選んだ。

 そして…何よりもの楽しみが、名古屋市鶴舞にある図書館で時折歴史書を読み漁る事だった。


「あの……ハンカチが……」

 そう言って声を掛けて来たのは若い軍人さんだった。こんなに軍服が似合う人など見た事が無かったので、ボ-ッと見惚れてしまったエリ。


「あっ……ありがとうございます」

 その言葉を発するだけで精一杯のエリ。一瞬で恋に落ちてしまったエリ。するとその軍人さんが、エリが緊張して居るにも拘らず、ましてや初対面にも拘らず、有り得ない嬉しい言葉を吐いた。


「横の席に座っても良いでしょうか?」


 エリは今まで巡り合った事も無いほどの素敵な男性が、自分のすぐ横に座ってくれた事で、胸がドキドキして緊張で胸が破裂しそうだ。


 かなりの高身長で知的な雰囲気を醸し出したその男性は、幼い頃の優しい父にどことなく似ていると思った。チョット取っ付きにくそうではあるが、苦み走ったクールな印象の軍人さんだった。


 エリはあれ以来、女学校の帰りによくその図書館に通った。その理由は、確かに歴史書にも興味はあったが、今はあの軍人さんに再び巡り合いたいその一心からだった。



     ◇◇


 昔は軍服姿の将校に憧れる若者も多くいた。

 その理由は一般市民にとって軍人養成学校「士官学校」に入学する事は手の届かない憧れの存在だったからだ。


 それではエリが一目惚れした軍人さんはどのような人物だったのか?

 

 この軍人さんは現在20歳で名前は藤本省吾と言い、父親は学校の先生という極々一般家庭の長男だった。


 中学校では級長を務めていた程の優秀な息子だったが、あの時代一般家庭の子供が大学進学など出来る筈もなく、あの時代は余程の資産家の息子でなければ大学進学出来なかった時代だ。


 それでも…抜群の頭脳と抜群の運動神経だったので、見事士官学校に合格。現在は士官学校を卒業して、陸軍少尉の地位にある。

 

 

 昔は貧富の差が激しく、戦前の帝国大学や私立大学に通えるのは、ほんの一握りのお金持ちで、地主、資産家の子供か、支援を得た人物と決まっていた。


 一高東大ルートは当時のエリートたる役人の育成コースで、ほとんど下積みの経験なしに社会のトップへの道をたどることになっていた。地方の有力者や財閥の家柄の家族で、娘を東大卒の学士に嫁がせたいという考えの人が多かったが、陸海軍の士官を婿にという声は聞いたことがない。


 実は…昔は貧しい家の子供が上級学校へ通うには、「士官学校」しかなかった。

「士官学校」などの軍隊の将校養成機関というものは、たいてい、入学と同時に「下士官待遇」などで軍に勤務した状態になるので、学びながら給料が貰えた。


 戦前の帝国大学とか、私立大学生などに入学出来るのは、地主、資産家の子供か、地域の有力者に認められて財政援助(スポンサ―なのだが、出世した折には見返りが待っている)してもらうか、富家へ養子に入って通うとかしかなかった。


 昔は小学校の普通の家庭の級長みたいな「勉強のできる子」が唯一、進学を夢見れる学校が「士官学校」だった。もちろん、運動のできる、バランスの良さも必要だった。だから一般家庭の子供らの間では、熾烈な競争が繰り広げられた。

 

 一般大学と士官学校には線引きがあった。学者、財界人、軍人。


 貴族的な大学卒に対し、頑固で堅苦しいが庶民の気持ちに近い士官学校卒。

けれど「士官学校」は庶民にとっては特別な階級だった。



 ※陸軍将校を養成する教育機関の前身は、1868(明治元)年京都に設置された兵学所が最初だ。1869年に大阪兵学寮に、1871年には陸軍兵学寮に改名されて東京に移転した。


 1874(明治7)10月陸軍士官学校条例制定により陸軍大臣配下の教育機関として設置され、12月に牛込区市ヶ谷(現在の東京都新宿区)に移転した。1877年陸軍幼年学校を吸収するが、1887年に再度分離した。士官候補生は陸軍幼年学校及び採用試験に合格した中学校出身者等であった。


     ★☆


 エリは一目惚れした軍人さんに会いたくて、度々名古屋市鶴舞の図書館に通った。するとそのチャンスは意外と早く訪れた。


 それは…軍人さんも同じ思いだったからだ。エリを一目見た時からエリの事で頭の中が一杯。そして……やはりエリ同様会いたくて、会いたくて、エリに出会える唯一の場所に時間が空くとやって来ていた。


 こうして…やっと巡り合えた2人は、ぎこちないながらも、徐々に距離を縮めて行った。


「ぼぼ 僕はよく日曜日にあの……この図書館にやって来るのです。嗚呼……そう言えば……最初に会った日も……確か……日曜日だったような……」


「嗚呼……そう言えば……確か……そうでしたね」


     ★☆

 

 ある日の日曜日、あの日の話の流れで日曜日の午後2時に、図書館に来る事を聞いていたエリは、ピタリとその時間にやって来てキョロキョロ省吾を探した。


 するとその時、省吾が「アッ!エリさん見——つけた!」と後ろから背中を叩いてくれた。

 

 2人が会うのは決まって日曜日の午後2時だが、図書館で何するとは無しに、好きな本をテーブルの上に置き、向き合って座り読んでるふりをして誰にも気付かれない様に、本で顔を隠して良いタイミングで2人はジーッと見つめ合って、愛の確認をしていた。


 恋と言うにはあまりにも純潔なものでは有ったが、2人は見詰め合うだけで十分満ち足りていた。


 あの時代軍人さんとの恋にはそれなりの制限が有った。将校は入隊前に結婚する奴は使えないと言われていた。基本的に少中尉は士官用官舎に住まなくてはいけないので、結婚許可が降りないから結婚できるのは大尉以降で、大体大尉になれるのは27歳が最短だ。色んなしがらみが有り、一体この恋はどこに向かうのか?



 それでも…2人の恋の炎は燃え盛るばかり。休日ともなれば名古屋駅で待ち合わせをして名古屋城を見に行ったり、電車に乗って山崎川の花見に出掛けたりして純真無垢な付き合いが続いた。あの時代は素人さんとの付き合いは極めて純粋な付き合いだった。


 だが、日清日露戦争が立て続けに起こり、戦場に向かった省吾とは会えなくなってしまった。その間に里の田村家が税金滞納で二進も三進もいかなくなり、仕方なく近藤家に嫁ぐ決意をした。エリは自分を助けてくれた両親が小作人になる事など死ぬより辛い事。絶対に小作人にさせたくなかった。


 こうして…恋人省吾が居ながら家庭の事情で仕方なく近藤家に嫁いでしまった。








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