番外編 エピソード5 贈り物が届いた日。
【興梠翼(コオロギツバサ) 29歳】
栞書店 店長。
この肩書きを名札に示して仕事を行う。
ヤンキー映画のパッケージだったら端っこに顔半分くらい写り込むような、青春学園漫画だったら1話の主人公が登校時に語る辺りの背景にひっそり、時代劇なら店の種類も分からない何かの店の暖簾を下げる村人...くらいの立ち位置でいたいと思いながら仕事をしてきた。
だけど今は違う。
トラブルが起きれば駆け寄っていくし、場合によっては謝罪する。もちろん毅然とした態度が必要なときもあるし、とても誉められる時もある。
対人の仕事は難しい。それは、お客様だけでなく同僚(部下とは何となく言えない)に対してもだ。これは、自分だけでなくきっと働く誰もが心のどこかで思っていることだろう。
まぁ、その割りには店内の雰囲気は良い気がしている。ここは自分で自分を誉めよう。
「あの...すみません。」
振り替えると年配の女性が立っていた。
「いかがされましたか?」
名札に視線がいく。年齢的に、特に50代以上のお客様から時々伝わってくる「名ばかり店長か」的な視線を向けられるかと構えた。まぁ、大抵は理不尽なクレームと共に「どうせ本社から経験無しにきてんだろ!」と吐き捨てられるパターンなのだが。
女性は特に肩書きに関しては何も言わず
「本を選んでもらえませんか?」
と穏やかな声で言った。どうやら、入院しているご主人に頼まれたらしい。
時代物ではなく、小説で、心穏やかになるような作品をと頼まれたらしい。
お勧めの本を選んで購入いただくのは中々ハードルが高い。お客様にお金を払ってもらって、全くハマらなかったときにどえらいクレームになることがある。
(じゃあ、自分で選べよ)
と内心思いながら、今まで前店長が頭を下げる姿を見てきた。
「奥様が選ばれた方が喜ばれるのでは?私でよろしいんでしょうか。」
とさりげなく促すが
「いえ。あなたにお願いしたいんです。」
と穏やかな声ではっきり言われてしまった。
良く読まれてる作家やジャンルを尋ねるが、今年出版されてるものは何も読んでないはずだからなんでも良いとのことだった。
家族をテーマにしたもの、旅をテーマにしたものの2冊に絞り手渡した。文字のフォントもほどよく、分厚さもほどほどで、何となく女性の雰囲気からご主人をイメージして選んだものだ。
「こちらの中からお選びになってみませんか?」
「ありがとうございます。2冊とも購入させてください。」
「えっ!」
どちらか1冊だと思っていたので、恐れ多くて思わず
「5000円くらいになりますが...」
と売上そっちのけでストップをかけてしまった。
「大丈夫よ。お婆さん他にお金遣うこと無いから。」
と笑顔で返してくれた。
有人レジにお連れして、会計をしていると
「ごめんなさいね。実は、主人にあなたに選んでもらうように頼まれてたの。興梠さんでしょ?」
予想外の展開に手元が止まる。
「以前、何か暇潰しにここに寄ったときに若いバイトの興梠さんって男の子に話しかけて教えてもらった本が凄く良かったって話をしててね。その後すぐ体調崩したから中々本が読めなくて、今日何か買ってくるわって話したらあなたにまた選んでもらって来てほしいって。」
正直全く覚えてない。そして、バイトではなく一応その時も正社員だ。
だが、そんな一度のやり取りが誰かの心に残っていたとは...
「店長さんになってたのね。主人にも話しておくわ。」
中々言葉がでない。
「あの、ぜひ次はまたご主人とお二人でご来店ください。心より、楽しみにお待ちしております。」
女性は店を後にした。
女性が店を出るときに目に涙を浮かべて(気のせいかもしれないが)口にした言葉は、今まで何度も何度も自分で伝え、耳にしてきたはずなのに特別なものに感じた。
「ありがとう。」
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