14.フラワーガーデン②

 その家を訪問したのは5月5日の午後のことだった。

 連休最後となる「こどもの日」は例年と同じく快晴で少し歩いただけで首や額からじんわりと汗が滲んでくる。


「いかにも理想のマイホームって感じの町ね」


 横に立つ永井が小馬鹿にしたような目で外車が多めの通りを眺める。

 永井の私服姿を見るのは初めてだった。さすがに制服姿は目立つので嫌だっただろう、黒のスウェットパーカにスキニージーンズ、足元を見ればリボンのついたバレエシューズを履いている。どれも真っ黒で魔女を思わせるコーデで春らしい華やかさは全く感じられないのがいかにも永井らしい。

 父さんと妹と住んでいた家はここまで小綺麗ではなかったことを思い出していると永井は肘で僕の脇を突っついた。早くしろと。にこりと笑う顔がいかにも恐ろしい。私服同様、普段は天然ぼさぼさ伸びっぱなしの黒髪が今日は三つ編みになって首の左右に並んでいる。


「はあ……」


 アースカラーで彩られた町を重い足取りで進んでいく。軒先に干されたシーツの白が眩しく、洗濯物の清潔な匂いが鼻をくすぐる。

 永井は何も言わずにピタリと後ろをついてきた。

 案内をする気はさらさらないらしい。

 永井は3日前の晩、犯人を探し出すことを決めるとすぐに家に帰ってしまった。それから2日間は夜にカレーを食べに来る以外はろくに話もせず、実に穏やかな時間が流れていった。


「犯人、見つけたから」


 昨日の晩、カレーに入ったソーセージを一口で食べると永井は言った。そして、殴り書きした紙の束を投げて寄越すと集合場所と時間を勝手に決めてしまったのである。


「メロス、骨はちゃんと持ってきた?」

「ああ」


 紙コップに入れたままはさすがに可哀想なので100均で買ってきたプラ製ケースに入れてある。ケースはウエストポーチの中にあるが、不吉な感じは特にしない。それは持ち出したときからずっとだ。

 人は死んだら、物になる。

 そこには魂はないが、記憶がある。

そして、記憶は人を縛り付けるのだ。


「ふんふんふ~♪」


 永井は合流してからずっと機嫌がいい。ちらりと後ろを伺うと目が合った。非難がましい視線がよほど心地いいのか目を細める。


「ホンモノの人殺しを見るなんて初めて。テンション上がるわ」


 裁判の傍聴でも行けばいいだろ、と喉元まで出かかったが言わなかった。永井のことだ、そんなこと言われなくてもいずれ行くに違いない。もっとも、永井が今日満足できたらの話だが。

 永井はそれでいいが、では僕はどうなのだろう?

 犯人は見つけると決めたはいいものの、見つけた後のことは何も考えていない。もちろん晦虫を通して知り得たことなど何の証拠にもならない。事実を突きつけてこれ以上罪を重ねないように自首させるのか、それともあの逃げた晦虫の息の根を今度こそ止めるのか。後者に関しては少なくとも永井はする気でいる。

 犯人の家は通りの突き当り、緩やかな下り坂のふもとにあった。そこより先はちょっとした崖になっていて周辺の家よりも広い庭には春の日差しを喜ぶように花々が咲き誇っている。カラーサンプルのようなポヒーやスイートピーに、淡い紫のサクラソウ、庭の主の好みなのかスズランやジャスミン、イベリスはどれも白く、雪が積もったかのように見えたのが印象的だった。

 庭と比べて家屋は少し小さめで外壁はレンガと石張り、三角シルエットの屋根の下には出窓が覗いている。イミテーションだとは思うが、ちょっとした煙突だってある。もしもこの家の子供だったらサンタクロースの存在を疑うことはないかもしれない…………。


「こんにちは」


 庭の中で土いじりをしていた人影が立ち上がると僕たちに近づいてきた。着古したエプロンと脇まで伸びる花柄のアームカバー。大きな麦わら帽子の陰になった顔がにっこりとほほ笑む。


「こんにちは。電話をしていた對間と永井です。急にお邪魔してすみません」

「いえいえ、私も楽しみにしてから全然大丈夫だから。私たちの頃に流行った学校の怪談を話せばいいのよね? ああいうのって怖いけど、楽しいよね」


 そう言って佐藤千夏ちかさんはにっこりと笑った。芸能人みたいな小さな顔に長い睫毛と大きな瞳、それに加えてパッと見は大学生でも通るような若々しい表情。

 僕たちの先輩であり、かつての生徒会長。この人ならきっと男女問わずに満場一致で決まったに違いない。

 無言で頭を下げた永井が不意に僕の手を握る。


「話をするなら家の中と庭先とどっちがいいかな?」

「庭先でお願いします。実を言うと怖い話は苦手なので……」


 僕が引き攣った顔でそう言うと千夏さんは鈴の音を転がすように笑った。

 千夏さんの頭の奥には、あの蛭のカタチをした晦虫が息を殺すように眠っていた―――。

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