8.白い闇の向こう側③
「きた」
目を開けるとモノクロームめいた色調のなかに積み重ねたダンボールが見えた。「ちんすこう」や「札幌ラーメン」といった印字を見るにエスカレーター前の広場では物産展が催されているらしい。永井のせいですっかり失念していたが、そういえば今はゴールデンウィークだったんだっけ。
こつん、こつん、こつん…………。
遠くから足音が近づいてくるとまもなく刃のような光が目の前の空間に現れた。足音の主の姿は逆光に隠れてよくは見えない。しかし、それなりの大きさの晦虫が憑いているのは感覚でわかる。
お互い輪郭だけとなった顔でどちらからともなく頷くと僕らは警備員の後ろを10メートルほど離れて付いていく。ハンドライトが前方にあるおかげで少なくとも見失う心配だけはなさそうだ。
エスカレーター前は吹き抜け構造となっていて、昼ではあれば3階全てが視界に入るのだが、どす黒い闇に覆い隠されて天井はおろか2階ですら見えない。非常灯が照らしているおかげで歩く分にはぼんやりとだが内部の様子はわかるのだが、30メートルも離れてしまうと闇に細部が塗り潰されてしまう。
こつん、こつん…………。
闇の中を警備員が進んでいく。慣れ切ってしまっているのか、警備員の足は思った以上に早い。見つかる心配よりも付いていくので精一杯だ。
正直に言うと甘く考えていた。恐怖の対象はあくまで晦虫であり、モール型ショッピングセンターは深夜といえど普段から見慣れた場所だし、真新しい施設なので学校のような不気味さはないと思っていた。しかし、それはとんでもない間違いだった。
こつん…………。
結論として深夜のモール型ショッピングセンターはめちゃくちゃ怖い。通路に左右に広がる店舗は密度が高いせいで死角が多く、吸い込まれそうなほど濃い闇で満ちている。そして、人影が視界をよぎる度に心臓がビクンと跳ねた。マネキンであることがわかっているのだが、
…………。
そして、吸音材による圧倒的な静寂と風のない屋内に満ちる不可解な冷気。まるで催眠術にかかったかのように意識は無意識との境界を失い、理性は妄想と交ぜになっていく。
寒い。とにかく寒い。
ひかりが。うごいている。
……。
―――あなたはどうしてお母さんについていったの?
2Pと描かれたカーソルの中でキャラクターが次々と高速で入れ替わっていく。
マリオ、カービィ、ドンキーコング、ピカチュウ、マルス、ヨッシー、クッパ、ピーチ姫、マリオ、ルイージ、リュウ、サムス、ピカチュウ、ネス、ドンキーコング、ヨッシー…………どうしてなのだろう?
―――妹ちゃんと一緒にお父さんと住むのはイヤだった?
そんなことはあるはずがない。
身内びいきだとは思うが、妹は僕の知る範囲では最も完璧な心を持った人間だ。優しいくせにすごくしたたか。繊細で感情的でありながら打算的で効率重視。だから、幼稚園でも小学校でもいつだって人気者。僕とは違う。
そして、父さんはやはり僕の知り得る限りで最も優しい人だ。優しくて優しくて、たぶん住む世界が違っていたら勇者になって魔王を倒しに行くような人だ。でも、現実世界には魔王はいないから父さんは母さんと結婚するはめになった。
―――お母さんのことはキライ?
家ではいつも母さんは悪者で父さんが正しい側の人間だった。
あまりにもわかりやすすぎる善悪二元論。これがもし物語であれば、母さんが悪者である理由があるはずだけど、そんなものはどうやらないようだ。母さんはただ暴れ、叫んで、泣く、家からいなくなる、また泣く、暴れる、その繰り返し。それに合理性や物語などはない。自然災害と同じようなものだ。
だから…………わからない。
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