5.永井かふかという毒 その二②
「闇の中にあんなのがうようよいるのか…………」
地下室や屋根裏部屋でもどこでいい、光が全く射さない完全な闇を体験したことはないだろうか? 夜目すら役に立たない黒だけの世界。闇そのものが生命を宿しているような感覚。思うにあれは常軌に反した存在を原始的な感覚で感知していたのかもしれない。
「聞かなければよかった。これから電気を消さずに寝れそうにない」
「メロスには関係ないから」
「えっ?」
試験電波のカラーバーを永井は見つめている。スピーカーから流れる聴覚検査みたいな音がひどく耳障りだ。
「それにアイツらはどこにでもいるわけじゃないし、逆に言えばどこにでもいる。照明が燦々と輝く舞台のちょっとした影にだっているときはいる」
「なんだそれ」
「まあ確率的に高いのは自殺が多い場所。踏切や駅のホーム、屋上とか。いわゆる心霊スポットは多いかもね」
…………どういうことだ? 校舎裏はわかる。じゃあ、この部屋は? 事故物件だったとか? でも、家賃が極端に安くはなかったはず、だ。そこまで考えが及ぶとふと昼間の永井の台詞がリフレインした。
―――『ねえ、このモールのウワサを知ってる?』
「なに?」
永井が僕の瞳を覗き込んでいた。黒目の大きい瞳にモノスコープが焼き付いている。テレビのスピーカーから流れる聴覚検査みたいな音がひどく耳障りだ。
「…………さっきのクラヤミはモールから憑いてきたのか?」
「メロスはどう思う? ちなみにクラヤミは理不尽に苦しんでいる人間、特に子供の心が大大大好物よ♪」
やめろ。これ以上考えるな。苦しむ子供の心、それを喰らう晦虫たち、理不尽な苦しみ、わけがわからず、自分がなぜ? 行方不明になった女児の情報提供、壁一枚隔てた向こう側でわ親子が笑う声が微かに聞こエて、なぜどうして、おかあさんたすけて、どうしてわたしぼくが、〇〇ちゃんはくまさんに連れていかれたんだよ、たすけてたすけたてた、
「ぶぶー、時間切れ。残念でした。正解はノー。あいつらはおこぼれを狙っていたハイエナよ」
「じゃあ」
椅子から立ち上がろうするが立ち上がれない。眉間にぴたりと止まった永井の指が重心移動を阻害する。たったそれだけのことで僕は自分の身体を持ち上げることができない。
「ええ、あのモールにはとんでもない大物がいる。監禁された女の子の魂をおいしそうに食べていたわ。ホント、つまらない」
かぶりを振ると永井の指はあっさりと額から離れた。
「どこに行くの?」
衣装ボックスからパーカーを取り出し羽織る。ついでに野球帽も被る。ハードオフで見つけた古いインディアンスのデザイン。その場では気に入ったものの、それ以外はまるで使う機会がなかったこれが役に立ちそうな日が来るとは。
「あの様子じゃ今夜持たないかもよ」
ライトはスマホだけでは心もとない。靴箱の上に置いてあった自転車のライトを調べるとバッテリーは十分ありそうだったが、さらに用心のために母さんのモバイルバッテリーも持っていく。
「ふーん、顔を知らない女の子は助けるんだ。かふかのことは助けてくれなかったくせに。もしかしてメロスってペドフィリアなの?」
「なんでそうなる。僕だって助けられるなら助けたいよ」
武器は……迷った末に金属バットを持っていくことにした。包丁やナイフだと言い訳のしようがないが、これなら夜中に素振りをしていたと言い訳ができるかもしれない。
玄関を出ようとすると永井が僕の腕を掴んだ。指が食い込み、爪が突き刺さる。椅子のトリックとは違い、これは本気で動けない。
「死ぬよ」
「死なないよ」
「クラヤミに支配された人間はケモノ。衝動的に暴力を振るって苦しみと不幸をまき散らす。そうやってクラヤミは食事を長く楽しむ」
永井かふかは戯言は言うが、嘘は決してつかないことを僕は知っている。
「弱っちいメロスなんてあっという間に死んじゃうんだから」
「それは、困るな。いろいろ」
「だから、何もできないメロスはかふかのためにご飯とお菓子をせいぜい献上すればいいの。だって、それしかできないんだから」
鈴を転がすような声。
永井かふかがこんな風にも笑えることに少しだけ驚いた。
「なあ」
「なに?」
「モールのウワサをもう一度教えてくれないか? さすがに覚えていない」
永井の顔がみるみる赤くなっていく。耳たぶに至ってはゆで蛸だ。もちろん甘酸っぱい意味なんて微塵もない。その証拠に吊り上げた目は魔女のようだ。
「メロスはバカなの?」
これ以上ない的確な表現につい笑ってしまう。
「なに、笑っているのよっ」
胸をぽかりと殴られる。地味に痛い。
それにしても永井かふかにまさか諭されるとは。生ける非常識の目をもってしても自分がこれから行おうとする行為は愚か極まりないのだろう。
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