2.教室の幽霊①


   2 教室の幽霊 


 教室に”幽霊”がいることに気がついたのは転校して一週間ほどが経った頃だった。

 家の事情で入学式から一週間遅れで転校したせいでクラスの人間関係は大枠が出来上がってしまっていた。各グループは遅れてきた新参者の僕を値踏みし、引き込むに値するか検討していたが、結果として僕は無難に目立たないグループに入ることに成功した。

 一番の難題を突破できたことにホッとするとクラスの中の力関係を観察する余裕ができた。そして、教室の中に幽霊がいることに気がついたのだ。

 最初に感じたのは違和感だった。

 廊下側の一番前の席。教室と廊下を隔てる扉があるその席の前を多くの生徒が通り過ぎる。しかし、その席に座る女子生徒に声をかける者はおらず、それどころか視線を向けることすらない。女子生徒自身もほとんどずっと俯いたまま机を見つめていて、昼休みや放課後になるといつの間にか姿を消してしまっている。

 その女子生徒が幽霊ではなく生きた生徒であることがわかったのは、国語の山崎が席順で音読を指名したときだった。永井かふかと呼ばれた女子生徒が工藤直子の詩をボソボソと唱える声を聞きながら、本当に実在していたのかと驚いたのを覚えている。


「君、永井かふかさんと仲がいいんだって?」


 ある日の放課後、相談室を訪れると白瀬先生が開口一番そんなことを言ったので面食らってしまった。白瀬先生はこの中学のスクールカウンセラーであり、転校する際の”ルール”として彼女と定期的に話をすることになっている。都心のきれいなビルで働いているOLのような派手な見た目で男子生徒には人気があるが、肝心のカウンセリングについては良い評判はあまり聞かない。


「彼女、話してみるとなかなか面白い子よね」


 白瀬先生はショートボブの髪を耳にかきあげるとくすくす笑う。ふんわりとした匂いが狭い相談室の中に広がっていく。


「先生は個人的に好きだな。ああいう子」


 僕はそうは思わない。

 永井かふかのことを頭に浮かべたときに真っ先に浮かぶのは臭いだ。汗と垢と分泌物が混ざったような臭いで鼻にツンとくる。特に頭頂部分は酷く、ろくに散髪に行っていないであろう長い髪からはゴミ捨て場と公衆トイレが混ざったような悪臭がする。

 ぶかぶかのセーラー服に包まれた身体は瘦せっぽちで日蔭にしぶとく生えるアセビの幹のよう。顔色同様、やたらと血色の悪い唇。もちろん息は臭い。長い睫毛の下にある瞳は大きく、ひどく緩慢な動きでガラス玉を思わせた。

 五体満足であること以外はおおよそ褒めるべきところのない外見であるが、性格はそれらすら問題にならないぐらいひどい。はっきり言って最悪だ。クラスメイトが永井に近づかないのは当然であり、それどころか教室全体でいじめになっていないのが不思議なぐらいだ。

 僕としても級友たち同様、永井かふかを教室には本来いない存在にしたいのだが、残念なことに幽霊の方が僕につきまとっている。まあきっかけを作ってしまった僕がそもそも悪いのだが。

 今まで永井は僕が独りになったときに見計らってちょっかいをかけてきたが、こうして面と向かってマクドナルドを食べていると気が気でならない。いつ見知った顔が出てきやしないか、売り場につながる通路を何度も何度も窺っていた。


「なに、ビビッているのよ」


 トレイに置かれたポテトを三本まとめて掴むと熱さも気にせず口に放り込む。もちろん遠慮の色など一欠けらもない。口の中を冷ますように今度はコーラをズルズル吸い込み、期間限定のハンバーガーにかぶりつく。とにかく動きが忙しない。


「もうちょっと味わって食べろよ」

「うるさいわね。かふかのものをかふかがどう食べようとアンタには関係ないでしょ」


 自分のポテトが無くなると躊躇なく僕のナゲットに手を伸ばす。遮る手をすり抜け、あっという間に永井の胃の中に吸い込まれる。さすがにハンバーガーまで取られてはたまらないと身を捩るとポケットに入った財布の角が足に刺さった。一万円札は既に消え、可能性の残骸である千円札で財布は膨らんでいた。 


「ねえ、このモールのウワサを知ってる?」


 紙コップに残った氷をかみ砕きながら永井は言った。


「知らないよ」


 永井かふかはウワサ好きだ。生徒や教師のゴシップから怪談、都市伝説の類までありとあらゆる根も葉もない話を集め、暇を見つけてはその真偽を確かめるためにふらふらと徘徊している。教室から姿が消えているのも大抵はそのためだ。


「このモールをね、特定のルートで回ると秘密の隠し通路に行けるんだって。なんでもそこは異世界に繋がっているらしいよ」

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