踏切とラムネ瓶

木村比奈子

第1話

 目を開けると、風真ふうまはまだ目を閉じていた。私は合わせていた両手をそっとはずし、カッターシャツに擦り付ける。蝉の音がうるさい。色褪せた黄色と黒の遮断機が、吹き抜けた風に大きく揺れた。


 強い日差しに照り付けられて、熱くなった鉄の匂い。線路に敷き詰められた小石の間に咲く名前もわからない小さな花。この季節になると、毎年生えている気がする。


「風真」


 小さく呼びかけると、風真の瞼がゆっくりと持ち上がった。また吹いてきた風に、さらさらと柔らかい前髪が吹かれている。


「うん」


 風真は短く答え、熱いアスファルトにおいていた瓶を持ち上げた。


「あと三分で電車くるよ」


 私はスマホの画面を確認し、曲くねる線路の先に目を向けた。そうしている間に、私の隣でぷしゅっと爽快な音が響く。立ち上った爽やかで甘くて、それなのになぜか切ない香りに胸が苦しくなる。


 風真はひんやりと冷たい瓶に口をつけることなく、ゆっくりと瓶を傾けた。遮断機の足元の土に、ラムネが穏やかな弧を描いて落ちていく。しゅわしゅわと軽やかな音を立てながら、あっという間に地面に吸い込まれていった。


 こんなところにラムネを流していいのかどうかはわからない。夏のこの日になると、毎年ここにきて、毎年ラムネをここに注ぐ。私にとって、風真にとって、とても大切な神聖な行為だった。


 別に、美羽のお墓がないわけではない。墓地にはきちんと美羽の名前が刻まれた墓がある。けれど、私たちはそこにはいかない。


 風真が言うには、そこにあるのは美羽の体だけであって、魂ではないらしい。美羽が電車にはねられたこの踏切に、美羽の魂がいるのだという。


美羽みわ、またね」


 美羽があの丸い目でこちらを見ているような気がして、私は線路に向かって小さく手を振った。風真も隣で線路を見つめているようだ。その横顔をそっと盗み見ると、やはり心ここに在らずといった様子である。ちくりと胸が痛む。けれど、それを言葉にすることは許されない。


「帰ろっか、こより」


 風真はようやく口を開いた。肘下まで捲り上げたカッターシャツから覗く、健康的に日焼けした腕。ポケットに突っ込んでいた手を引き抜くと、風真は迷いなくそれを私に差し出した。


「手でも繋ぐ?」

「子供じゃないんだから」


 私はそう言って風真を置いて、すたすたと歩き出す。冷静を装っているけれど、顔が熱くなるのを隠せなかった。それもそっか、と笑う風真を肩越しに振り返る。笑っているのに、風真の顔は泣き出す寸前のようだ。目元の泣きぼくろのせいだと思うことにする。それ以上、考えたくなかった。


「ねえ」

「ん?」


 私は隣を歩く風真の横顔を見つめた。


「好き」

「俺も好きだよ」

「本当に?」

「うん」


 そう言われてもあまり嬉しくないのは。風真が次に放つ言葉の想像が。大体ついていたせいだ。


「こよりはさ、もう俺の妹みたいなもんだよ」


 苦しくなる。そう。私はずっと風真にとっては「妹」で、「こより」でも「女の子」でもないのかもしれない。あまり考えたくないけれど、ずっと昔からそうだった。風真にとってはそれ以上でもそれ以下でもないのだろう。


 風真と美羽が対等な存在なら、私は二人の妹。幼い頃は、別にそれでも構わなかった。大好きな二人の家族になれるのなら、それだけで嬉しかった。


 でも、今は。


 好きの意味が違うことがこんなに苦しいなんて。私は風真に悟られないように、そっとため息をついた。

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