羽崎の訃報

マシュマロさん太郎

羽崎の訃報

 羽崎颯馬の訃報が届いたのは、一週間前の十一月六日であった。

 会社から徒歩一分のそば屋でぼんやりスマホを眺めていたら、見知らぬ番号から電話がかかってきた。ちょうど引っ越し準備を進めていた時期だったので、引っ越し業者か回線業者の営業かと、最初は無視した。

 しかし、あまりにもしつこく電話がかかってくるので、ただごとではないと思い、電話に出た。

「島田慧さんでお間違いないですか」

 一度も聞いたことのない声である。しかしながら、向こうはこちらのフルネームも電話番号も把握しているらしい。若干の警戒を込めて

「そうですけど」

 と返した。隣から失礼します、と声がかかって目の前に鴨南蛮そばが置かれた。

「突然のお電話で申し訳ありません。わたくし、羽崎颯馬の母でございます。颯馬のスマホの連絡先から今お電話をかけさせていただいた次第なんですけれども、高校時代は颯馬が大変お世話になっておりまして……」

 二十五を超えたあたりで、友人の母伝手の連絡は既に何回か受け取っていた。このあと続く言葉が大体予想できてしまい、思わずため息をついた。

 そばが伸びそうだ。聞きたくない類の言葉が飛んでくるのはわかっていたが、先方の言葉を遮って切り出した。

「いえいえ、こちらこそ大変お世話になっておりました。それで、颯馬くんがどうかなさったんですか」

 すると、一瞬震えるような吐息が聞こえた。ああ、やはりだ。

「颯馬は、先日亡くなりまして……」

「そうでしたか。それはご愁傷様です」

「その、自殺だったんです。遺書も残されていました」

 学生時代の彼を思い返してみた。非常に誠実で生真面目で几帳面な男だった印象がある。成績も優秀で、風の噂で国立大学に進学を決めたという話も回ってきていた。

 真面目すぎたのかもしれない。心労が祟ったのだろう。気の毒だが、よくある話である。コップの中の水を啜りながら、「はあ……それはまた……」と相槌を打った。

「その遺書なんですけれども、島田さんのお名前が書かれていたんです」

「わっ、私のですか?」

 思わず大声を出してしまった。店内のサラリーマンたちの視線が刺さる。

 確かに、羽崎とはクラスメイトとして何度か会話をした。友人とまではいかずとも、かなり友好的な態度でお互い接していたことは間違いない。しかし、連絡先こそ交換はしたものの、現在までまるで交流がなく、互いの消息については、全く知らないはずだ。

「なんと書かれていたんですか?」

「島田くんに、渡しそびれたものがある、と」

「……渡しそびれたもの?」

 ぜひ、それを受け取りに来てほしいと羽崎の母は続けた。息子の最期の願いであるから、可能な限りお願いしたいと念まで押されてしまった。

 私は、週末に片道二時間車を走らせ、彼の故郷であるA市を訪れた。

 徐々に過疎化が進んでいるようだ。羽崎の実家近くの商店街には、シャッターが降りた店舗が目に付いた。人通りの少ないタイル張りの道を、杖をついて背中を海老のように丸めた老人がとぼとぼと歩いていく。

 たまに空いている店では化粧の濃く小太りの主婦と、ぼさぼさの髪を適当に縛った店主が、べちゃくちゃと腰痛とおすすめの整骨院についての話を続けている。

 優しく緩やかに街は死につつあった。

 羽崎は、この街を出ていったあと、どこに向かい、そしてどのような生活を送ったのだろうか。彼が故郷で死んだのか、遠くの街で死んだのか、それすらもわからない。

 そんな私を、なぜ羽崎は今際の際に思い出したのだろう。何を渡しそびれたのだろう。何一つわからないもやもやを抱えながら、私は羽崎の実家へと向かった。

 彼の実家は、かなり大きめの一軒家だった。ただ、この地域ではどうやら一般的なサイズのようだ。近所には、同じくらいの大きさの家が間隔を空けつつ立ち並んでいる。

 家ごと都会に移動させたら、かなり立派に見えるだろう。

 そう思いながら、玄関の呼び鈴を押す。羽崎の母が出迎えてくれた。

 リビングに通されると、祖父母の家と似た懐かしい埃っぽい匂いがした。大きな革張りのソファがどんと置かれ、テーブルの上には地方紙やスーパーのチラシ、ピンクのフリルでごてごてと飾り付けられたカバーに詰められたティッシュ、老眼鏡などなどが散らばっている。

「すいません、はるばるお越しいただいたのに、こんなごちゃごちゃしていて。お掛けになって。今、お茶をお持ちしますので」

「はあ、お構いなく……」

 ソファに座った途端に、一気に疲れが来た。普段、電車移動で事足りてしまうので、久々に運転したらかなり体力を持っていかれてしまった。口から思わずため息が漏れる。

 こち、こち、と無駄に大きな時計の秒針の音が、部屋に響いた。ぼんやりとそれに聞き入っていると、羽崎の母親が目の前に茶を出してくれた。

「ああ、どうも。いただきます」

「ええ。良かったらお菓子もどうぞ。私は、ちょっと颯馬の部屋に、お渡しするものを取りに行きますので……」

 そう言って、羽崎の母はリビングから出ていった。ぱたぱたと二階へ駆けのぼるスリッパの足音が聞こえる。

 湯気がもうもうと立つほど茶が熱かったので、ゆっくりと慎重に湯飲みを傾けた。

 しばらくして、羽崎の母が正方形の缶の箱を持ってリビングに戻ってきた。つやっとした何の変哲もないアルミの缶である。凹みも無く、かなり丁寧に大事に保管されてきた印象だった。蓋には『島田くんへ渡してください』と書かれた付箋が貼られている。これまた几帳面で角ばった文字だった。

「こちらの箱です」

「中身は、なんですか」

「わたくしどもは見ていないんです。お二人の間のことなので、親が見るのもどうかと思いまして」

「あの、こう言っては大変恐縮なんですが」

「なんでしょう」羽崎の母はきょとんとした顔で私のほうを見上げた。

「実は、羽……颯馬くんとは、そこまで高校時代に親しい間柄では無かったんです。もちろん、クラスメイトとして会話したことはありますし、とても真面目で良い人だなという印象はあったんですが……。なぜ私に、と思いまして。颯馬くんは私について、何かお話をお母さまにされていたりしたのでしょうか」

 羽崎の母は、しばらくアルミの箱を眺めて黙り込んだ。記憶をたぐっているようだ。爪の先で蓋に貼られた付箋をかりかりと引っかいていたが、とあるタイミングでそれがぴたりと止まった。

「確か、高校生の時に一度だけ学校をずる休みした日があったんです」

「颯馬くんが、ですか?」

 信じられない。そんなことをするような人にはとても思えない。羽崎の母親も同意見だったようで、深く頷いた。

「そうなんです。しかも部屋に閉じこもってしまって。そんなこと一度も無かったので、何かあったのかと心配して様子を見に行ったら……。泣きながら、島田くんと何度も名前を呼んでいました。恐らく、あなたのことだったのではと思いますが」

 突如、脳裏に一つの記憶が激しく閃いた。私は思わず大きな声で羽崎の母親に質問した。

「それ、いつ頃の話ですか」

 羽崎の母親は、気圧されながらもしどろもどろに答えた。

「高校二年の、確か夏……はい、そのはずです」

 やっぱりそうだ。確信した。この箱の中身も全部わかってしまった。

「申し訳ありません。この箱、持ち帰らせていただいてもいいですか」

「もちろんです。そのためにお呼びいたしましたので」

 私は、羽崎が眠る墓地の場所を聞き「明日も仕事なので」と早々に切り上げて、羽崎の実家を後にした。助手席にアルミの箱を乗せ、墓地へと急ぐ。行儀よくシートに収まるそれは、骨壺のようにも思えた。

 墓地に辿り着くころには、日が暮れかけていた。羽崎の墓を探してふらふらと歩き回り、ようやくそれを見つけた。先日替えたばかりの新しく瑞々しい花が添えられている。

 私は、箱を開ける前に、まず手を合わせた。礼儀云々よりも、箱を開ける勇気を出すまでの時間稼ぎだった。

 たっぷりと時間をかけて深呼吸を繰り返し、私は目を開いた。

 そして、震える手でアルミの箱をゆっくり開いた。

 中には一通の手紙があった。

「ああ」

 思わず、声が漏れた。ゆっくりと丁寧に封を開け、便箋を取り出す。一行目に書かれた『島田慧くんへ』という文字を皮切りに、当時の記憶がどんどんと蘇ってくる。

 この手紙は、羽崎が渡しそびれたのではない。私が受け取りそびれたのだ。

高校二年の夏、私は家庭の事情により、県外の高校へ転校した。その直前まで、羽崎は私の隣の席だった。お互い口数がそこまで多いほうでは無かったし、親しい友人も別にいたので、会話をする機会こそ少なかったが、いざ口を開けば会話はわりと盛り上がった。

 彼の視線に時折熱っぽいものが混じるのに、気づいていないわけではなかった。だが、彼は特に何も行動を起こさなかったし、私もきっと自分のうぬぼれだろうと思って、深く気に留めなかった。

 転校前の最終登校日、羽崎は私に「渡したいものがあるが、放課後は空いているか」と聞いてきた。だが私は、もう翌日には家族揃って新居への引っ越しが決まっていて、早く自宅へ戻らなくてはいけなかった。

 だから「生憎、予定がもう詰まっている。今なら受け取れるけど」と言った。クラスメイトも大勢いる教室で。

 彼が渡そうとしているものが恋文だと少しでも気づけたなら、こんな無神経なことは言わなかったに違いない。

 事実、私は彼の想いに気づきながら無視したのだから。

 今になって、あの時の羽崎の表情がありありと思いだされる。

「じゃあまたいつか会えたら、その時に絶対渡すよ。それまで、元気でいてね」

 彼は、笑顔でそう言ったのだった。

 約束は十五年越しに果たされた。考えうる限りで最悪の形であることは間違いなかった。

 私は手紙に目を落とした。せめて、隅から隅まできちんと読んでやらなくては。

 手紙には、なぜ羽崎が私のことを好きになったのか、私のどういうところが好きなのか、転校を知った時にどんな気持ちになったのか、事細かにつづられていた。私は、彼の文章を一文字も取りこぼさないように、じっくりと読んだ。

 三枚目、最後の便箋に綴られていた文章は、こうだった。

『僕は、君に会えて本当に良かったと思っている。君も、僕と話す時に楽しそうにしてくれるから、僕はそれが一番嬉しい。でも、僕だけ欲張りになってしまった。だから、この手紙を送ることを許してほしい』

 その文が目に入った瞬間、立てなくなった。ため息をつきながら、墓石の前でずるずるとしゃがみこんだ。

 この健気な男の最期のわがままが、私に手紙を渡すことであっていいわけがなかった。

 私は、君の自殺の理由を聞く勇気すら出なかったのに。

「羽崎」

 頬に涙が伝っていくのがわかった。

「君は、あまりに真面目すぎる」

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