11.ほしくず



 ヒューノットが何を考えているのか、さっぱりだ。いや、何も考えていないのかもしれない。

 私に選択を委ねずに起こす行動がイレギュラーなのか、そうでもないのか。それすらも、私にはわからない。というか、とにかく何もわからない。

 あと、いい加減、本気で息苦しさがヤバい。助けて。


「――ヒューノットっ……掘れって、そんな、むちゃくちゃな!?」


 ツッコミを入れるのも命がけだ。本当に喉が渇いて張り付くような感覚がする。

 しかし、私をこんな目に遭わせている当のヒューノットは、涼しげな顔で駆け回るばかりだ。息を乱している様子すらない。それはゲームキャラだからなのか、それとも脳筋だからなのか、単純にスタミナお化けなのか。

 ううん、たぶん、全部だと思う。このスタミナの脳筋お化け!


「お前が穴を作れと言ったんだろうが」

「言ってないね!? そうは言ってないよねっ!?」

「うるさい」


 ひどい。あんまりだ。何だ、この扱い。

 そんなやり取りをしている間に、背後から迫る音が激しさを増してきた。恐る恐る振り返ると、土煙が上がっている。

 明らかにゲルブさんのせいなんだろうけど、どうなっているのかを確認するよりも先に腕を引っ張られた。女に対する扱いじゃない。痛すぎる。

 グラオさんは言われた通り真面目に地面を掘っているらしく、薙ぎ倒されたフェルトの木々が土に埋もれている様子がちらっと見えた。土はフェルトではないんだな。


 ヒューノットは更に駆け抜けて、大きく円を描きながら方向を変えていく。

 少し走ってはUターン。また走っては急カーブ。その繰り返しだ。何がしたいのか、さっぱりわからない。

 しかも、私を連れているということをもう少し自覚してほしい。本当に転びそうだ。時々足を引きずってしまうから、真剣に足首が痛い。

 ジグザグに駆けずり回り、狙いもわからない動きが繰り返される。そして、掘り進められる穴の深さは明確ではないが、土の山はどんどん大きくなっているようだった。


 しかし、正直に言うとそんなことよりも。


「ひ、ヒューノット……!」

「あ?」

「もうむり、つらい、しんじゃうっ」


 私の体力が、限界に近かった。

 一方、穴を掘り続けているグラオさんの体力は無限っぽい。ゲルブさんに至っては速いんだか遅いんだかわからないけど、本当にずっと追いかけて来てる。フェルト人形に体力も何もあったものではないのかもしれない。

 限界を告げると、肩越しに振り返ったヒューノットは心底から面倒臭そうに眉を寄せた。そんな表情、現実ではなかなか向けられるものではない。メンタルに来るから、正直に言うと本気でやめて欲しい。

 ぜぇぜぇ言いながら振り回されていた途中、不意にヒューノットがスピードを緩めた。そういうことじゃない! と、叫びたくなったところで抱え上げられて絶句する。お姫様抱っことか、そんなものじゃない。たわら抱えというやつだ。

 いや、違うのかな。肩の上ではなくて、小脇に抱えられている。そう気が付いたのは、ヒューノットが先ほどの比ではないくらいにスピードを上げた時だった。


 さっきの走り方でも加減していたのだとしたら、ヒューノットは本当にスタミナお化けとして紹介していいと思う。というか、私を抱えて走る時点で怪力は確定だった。そもそも怪力キャラなのかどうか。まあ、でも、たぶん、肉体派っぽいし、いや、やっぱり脳筋で間違いないかもしれない。


 状況が飲み込めずにいると、目の前に大きな山が出てきた。

 いや、違う。これは、地面のくぼみを掘り進めたグラオさんが作り上げた土の塊だ。激突する――と目を閉じそうになった瞬間、頭突きで弾き飛ばされた時にグラオさんが倒れていた場所、ちょうど十本ほどの木が折り重なった部分に放り投げられた。

 フェルトの木だから痛くはないけど、いや、ちょっとは痛いけど、何してくれやがる。


「――はっ!?」


 何事かと頭の回線が繋がらないうちに、埋もれた木々の間で顔を上げた時だ。

 盛り上がった土の山を踏み台にして、人間離れした高さまで大きく跳躍したヒューノットの姿が見えた。

 そして宙を蹴るようにして体の向きを変えると、ぐるりと一回転をして


「――邪魔だ!」


 一喝した。

 土塗れのグラオさんが慌てて穴から飛び出したのと、ゲルブさんがヒューノットの真下までやって来たのはほとんど同時。

 即座に状況を判断して減速することができないらしいゲルブさんが穴に到着した瞬間、ヒューノットは真上から落下する勢いそのままにその首後ろに思い切り蹴りを叩き込んだ。


 バランスを崩したゲルブさんが穴に落ちると、全力で体重を掛けていたヒューノットも同じように落下していく。一瞬にして、ふたりの姿が視界から消える。かと思えば、ものすごい音を立てて地面の穴が更に大きく陥没した。お前は、どこかの戦闘民族か。


「げるぶ!」

「ヒューノット!」


 私とグラオさんが同時に叫ぶ。

 慌てて穴を覗き込もうとすると、ゲルブさんの異様な巨体を踏み台――というか、もはやトランポリン扱いにして跳ね上がったヒューノットが涼しげな顔で穴の外に着地した。

 ステータスを身体能力に全振りしているとしか思えない。身体能力は、性格の良さと引き換えなんだ。きっとそうだ。

 ヒューノットが飛び出したせいで、私は後ろに転んで尻餅をついてしまった。そして、遅れてグラオさんが大急ぎで穴を覗き込む。しかし、穴の中から何かが動く気配はしなかった。


「げげげげ、げるぶは、げるぶは、げるぶはっ、いったい、どうなってしまったんだ。ああっ、なんということだ。げるぶ、ああ、げるぶ。きみたち、げるぶは、ぼくのたいせつなおとうとは、どうなってしまっ――――」

「うるさい。手伝え」


 動揺のあまり、正常に喋ることすらままならなくなったグラオさんに低い声を叩き付けたヒューノットは、ずんぐりむっくりの身体を後ろから蹴り飛ばした。

 ああぁああーっと間の抜けた声を上げながら、グラオさんが穴へと落ちて行った――と思ったら、直後にはヒューノットも飛び込んだ。

 ゲルブさんよりも小さいとはいえ、グラオさんも他のフェルト人形と比較すれば、相当な巨体ではある。

 ぐえぇっと、潰れたカエルのような声がした。

 カエルを潰したことなんてないけど。そもそも、カエルはそんな声を出さないかもしれないけど。


「ちょっ、何して――」


 慌てて穴を覗き込むと、ゲルブさんの上にグラオさんが、そしてその上にヒューノットが乗っているという状態だった。

 うつ伏せの巨体、その背に倒れ込んだずんぐりむっくり、その上に立っている隠れマッチョ。

 どういう光景だ。悪夢か。

 現実が受け止められずにいる私なんて、すっかり蚊帳の外だ。


「……?」


 困惑から立ち直り始めた頃、声を上げているのがグラオさんではないことに気が付いた。穴の縁に身を屈めて、できる限り近くで様子を眺めてみる。

 すると、不意に顔を上げたヒューノットと目が合った。

 彼は何も言わなかったが、グラオさんの嵩の分だけ高さが増していた位置から軽く跳ねて手を掴んできて――そのまま、私をグラオさんの上に放り投げた。


「はぁああっ!?」


 いきなり何をするのかと文句を言う暇すらない。驚愕と困惑と、色々な感情が入り交ざった声を上げるだけで精一杯だ。


 今度こそ衝撃に備えて目を閉じたものの、着地したという感じは全くない。落下して辿り着いたと同時に、ぽいんっと軽い調子で身体が跳ねた。そして、パァンッと弾けた音がして、慌てて顔を下へと向ける。


 すると、再び落ち始めた身体を、ヒューノットに抱き留められた。と思ったら、目の前でグラオさんが穴の外へと弾き飛ばされる。たぶん、こいつ、また蹴った。

 驚きのあまり固まっている私は、一応グラオさんよりは丁重に穴の外へと放り投げられた。足か手かの差だけで、扱いのひどさは、そんなに変わらないと思う。


 受身なんて取れるはずもなく無様に地面を転がった私とグラオさんは、互いを見た。その直後、一瞬にして周囲を明るくする程の強い光が弾けたものだから、私たちはほぼ同時に穴へと視線を向けた。


 直視するには眩いくらいの光が穴の中から天へと向かって飛び出た直後に、キラキラとした銀色の光が勢いをつけて噴出する。

 帯状の淡い光の中に、別の光が混ざり込む光景は自分で見ても意味がわからない。

 強いていえば、ラメのような銀色だ。それか、あれ。部屋の中に日光が差し込んだ時に、ホコリがキラキラするような感じ。だめだ、例えが悪すぎる。


 時間にすれば、一分か。長くても三分程度だったことだろう。

 光の帯は次第に薄れ、弾かれた光の雫が周囲に散ったり、消えてしまったり、騒がしい光景も程なくして終わる。

 それでも、私とグラオさんは動けず、その場に留まっていた。


 怖いという感覚はあったけど、それよりも何が起きたのかを理解できなくて動けない。頭の方が追いついていない感覚が大半を占めていて、全くもって考えるどころの騒ぎではなかった。

 互いの戸惑いを感じ取って、グラオさんと再び目を合わせてしまうほどだ。

 そんな、困惑に思考を停止させた私達を現実に引き戻したのは、穴の中から出てきたヒューノットの存在。そして、その逞しい両腕に抱えられている、ずんぐりむっくりな体型のフェルト人形。


「――え、ヒューノット。それって……」

「げるぶ!!」


 今度は、一足先にグラオさんが声を上げた。ヒューノットに抱えられたゲルブさんは、さっきまでの巨体っぷりが嘘のように縮んでいる。グラオさんより、少し大きいかな、程度だ。

 意識がないらしく、動かないゲルブさんは本当にただの人形のように見えた。

 でも、グラオさんとお揃いのシャツにネクタイをしていて、黄色い髪もそのままだ。

 グラオさんにゲルブさんを押し付けたヒューノットは、濃紫の髪も黒い外套もひっくるめて全身が銀色のラメ塗れになっていた。

 笑えばいいのか、心配すればいいのか。ちっともわからない。


「ああ、げるぶ! おかえり、げるぶ。ああ、やっと、やっとだ。ようやく、かいほうされたんだね。げるぶ、ぼくのたいせつなおとうとよ。このひを、どれほど、まちこがれたことか! ああ、だいじんたち、きみたちにはかんしゃするよ。いっしゅんでも、きみたちをうたがったことを、どうかゆるしてほしい」


 いつ疑われたんだろう。

 いや、疑われるどころの問題ではないことは、割りと、どのタイミングでもしていたけど。主にヒューノットが。


 大袈裟なまでに声を上げるグラオさんに、私は半笑いの表情を浮かべていた。ヒューノットの方は、特に何も感じていない様子で掌大の大きな水晶をひとつだけ拾っている。


 つまり、さっきの銀色の何かは星だった、ということだろう。

 ヒューノットは星の残骸塗れになっているけど、それはいいのだろうか。水晶を片手に持った彼は、黒い外套の惨劇に気がつくなり、こちらのことなど構いもせずにバッサバッサと衣を揺らして銀の粉を振り払った。


「グラオさん。ゲルブさんは、その、そんな状態でオッケーってことですか?」


 依頼は達成した、ということでいいのだろうか。


「いまは、つかれてねむっているようだね。ぼくが、かわりにおれいをいうよ。ほんとうに、かんしゃしている。ああ、きみたちにたのんで、ほんとうによかった!」


 思いきり感謝された。

 ヒューノットはグラオさんを散々蹴って穴に放り込んだり放り出したりしていたけど、それはいいのだろうか。兄弟もろとも、足蹴にされていたけどな。


「ぼくは、ぼくだけではすくえないおとうとを、どうすればよいのか、ほんとうにこまっていたんだ。たいせつなんだ、ほんとうに。うしないたくなかった。そんなけつまつは、みたくなかったんだ。もちろん、ぼくからも、おれいをいうよ。ありがとう」


 寝ているんだか、死んでいるんだか、そもそも人形は息をしているのか。

 グラオさんがそう言うのなら、ゲルブさんは無事なんだろう。


「ヒューノット」

「あ?」


 名前を呼んだだけなのに、めっちゃ睨まれた。ああいう目つきなのかな。いや、睨まれたな。


「……ええと、あれで大丈夫?」


 短く問い掛けると、ヒューノットは呆れたように眉を寄せた。

 それから溜息をついて肩を竦め、顎先でグラオさんたちを示す。


「星を吐き出させてやった。その後の事まで知った事か」

「ああ、うん……」


 それもそうだね、という気持ちは確かにある。

 私も別に善人ではない。できないことがあっても、力不足だったとしても、その結果が悪い方向に転がったとしても、仕方がないだろうと諦められる。

 自分の手が届かない範囲までカバーしようなんて、そんな情熱はない。でも、星を吐き出させることが出来たのなら、それでクリアで良いだろう。

 ほぼ球体に近かったゲルブさんの身体から、かなり暴力的とはいえ星を追い出せたのだから私たちの勝ちでいいはずだ。


 最初は意味がわからなかったけど、グラオさんが心配したのはもっともだったのだろう。ゲルブさんはあのまま、どんどん巨大化していっていたような気がする。放置していれば、凶暴さが増していた可能性だってある。体力は推定無限大だし、そんなのが大暴れしたら、フェルトの街なんて数日と持たず壊滅だろうと想像がつく。


「戻るぞ」


 ゲルブさんに寄り添うグラオさんに背を向けたヒューノットは、あっさりとした調子で言い放った。

 一応、行動を共にする相手として、本当に一応だけど、認められてはいるらしい。

 さっきは放り投げられたり引っぱり回されたり、散々でしかなかったけど。


「やよいちゃん、ひゅーのっとくん」


 視線を向けると、ゲルブさんを抱えたグラオさんがこっちを見ていた。


「ありがとう、ほんとうにありがとう。のみこんだほしに、たべられてしまうところだった。ほんとうに、ありがとう。いつか、きちんとおれいをさせていただきたい。きみたちがこまったときは、どうか、えんりょせずによんでくれるといいよ。ぼくら、こびとは、おんをわすれないんだ」

「……え? いや、でも、さっきリンゴをもらったから……」

「そんな! どうか、えんりょなさらず! ぼくらは、きみたちのちからになりたいんだ!」


 大声で叫ばれた。


「ぼくのたいせつな、たったひとりのおとうとを、ひっしになってすくってくれた。ぼくには、けっしてできなかったことを、なしとげてくれたじゃないか! そんなきみたちがこまっているときは、こんどはぼくらが、きみたちをたすけるばんにちがいないよ。いつか、なにかがおきたとき、ぼくらをよぶといい。いつでも、だ。いつでも。ぼくらは、それを、かぎのひとにゆるされているのだから!」


 確かにフェルト人形たちは小さいけれど、グラオさんから小人という単語を聞いても微妙に納得できない。もちろん、その気持ちは嬉しいから頷きを返しておくけれど。

 ヒューノットは特に何を言うでもなく、そのまま来た道を戻り始めてしまう。


 私はグラオさんに頭を下げてから、ヒューノットを追いかけた。

 フェルトの木々は大半が薙ぎ倒されていて――まあ、追いかけっこのせいなんだけど――森は、ひどい有様だ。

 疲労感でいっぱいになっている脚を叱咤して、ヒューノットの斜め後ろまで追いつく。彼は、別に振り返りもしない。ただ、何となく歩調は緩めてくれたようだ。単純に疲れたのかもしれないけど。


 振り返って、グラオさんに腕を振ってみた。

 そうすると、短い腕で一生懸命に振り返してくれる。


 それをかわいいと思ってしまって、ちょっと悔しかった。

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