7.さんぽすすんで?
仮面の人の名前が難しすぎて、全く覚えられる気がしない。
呼ぶ気がないのなら覚える必要もないけど、何となく残り続ける違和感の正体を考えれば、たぶん、そういう訳にもいかないのだろう。でも、しかし、だが、だけど、だからこそ。
言い訳がしたい。
「うぁあああ、すみません、その、ロードする気とか……なかったん、です……」
「しかし、君は私を呼んだからね」
「いや、もう、ホント、すみませんでした……」
出来心だったんです、みたいな。まるで万引きする寸前で捕まえられたみたいな気分だ。そんな経験はないけど。小さくなっている私に、仮面の人は笑うように僅かばかり息を弾ませた。
私が最後に見たあの瞬間は、いったい何だったのだろう。
一瞬、時間が巻き戻ってチュートリアル前からやり直しかと思ったけど、猛烈にこちらを睨みつけているヒューノットのせいで、その説は発生と同時に死んだ。いや、殺された。目で殺された。
そもそも、どうしてヒューノットに睨まれないといけないのか。怖すぎて、あっちを見られない。何なら、意図的に仮面の人をがっつり見つめることで、ヒューノットを視界から外した。
「発音が難しいなら、好きに呼んでくれて構わないと言っただろう? さあ」
「さあって、そんな。……ええと」
「シュリュッセル・フリューゲルだよ」
「本当にもう、何度もすみません」
思わず腰が低くなってしまうのは、ヒューノットの異様な威圧感のせいだ。あいつが悪い。万が一にも仮面の人によってあっちに放り投げられたら、今にも噛み殺されそうな気がする。何だよ、めっちゃ怖い。あいつ何なんだよ。
ともかく。ええと、何と呼ぼう。
呼びやすさで言うと"ゲル"なんだけど、それはさすがに申し訳ない。
セルあたりでもいいけど、何か違うキャラが思い浮かぶからやめておくとしよう。シリでもいいけど、呼ぶ時にどうしても「Hey」とかつけてしまいそうだから、これはこれで却下だ。
「……あー、もういいや。シュリさん」
「シュリでも構わないよ」
「じゃあ、シュリ」
おお。すごい。一気に距離が縮まったような気がする。
「さて。では、呼び名も決まった事だし、我々が君を何の為に呼んだのか説明しておくとしよう」
あ、うそうそ。全然、ちっとも、全く、これっぽっちも、距離なんて縮まった気がしない。
私が変な顔をしてしまったのだろう。仮面の人――シュリは、小首を傾げた。この人は、よくこの仕草をしている。可愛いとでも思っているのだろうか。あざとい。いやいや、あざとくない。可愛くない。
やばい。ヒューノットが怖すぎて、シュリがマシに見えてくる。マシなはずがない。だって、銀の仮面だもの。猫型の仮面しているんだもの。舞踏会かよ。
「まず、聞いておくとしよう。ヤヨイ。あっさりとがっつりでは、どちらが良いかな?」
「はい?」
いきなりの質問に面食らった。どういう意味なのかを先に説明してほしい。聞き返した瞬間にヒューノットの視線が鋭さを増した気がして、ちょっと動揺してしまう。あの人、なんでこんなに怖いんだ。
「えっと、ラーメンの話ですか?」
「らぁめん?」
「すみませんごめんなさいこっちの話です。……ええと、じゃあ、あっさりで」
私は塩ラーメン派だ。とんこつも嫌いではないけど、さくっと食べるのに適しているのは塩の方だろう。そもそも、ラーメンってさくっと食べるものだっけという気もしないではないが、そこはそれ。
「あっさりだね」
適当に思考が脱線している私を尻目に、シュリは小さく頷いた。
そして、ちらりとヒューノットを窺う。視線を向けたのかどうかわかりにくいけど、確かに見た気がする。
私の方は、相変わらずシュリから視線を外せていない。だって、その隣にいる人が怖すぎる。ずっと黙ってこっちを見ている時点で、もうどうにも怖い。
「では、あっさり説明するとしよう。君を呼んだのは、我々の為さ。以上」
「以上ッ!?」
「あっさりだと、こうなってしまうね」
あっさりすぎる。そんなばかな。しかも、やれやれと言わんばかりに肩を竦められてしまった。私のせいか!?と言いたかったが、ツッコミはなるべく控えよう。
そもそも、あの聞き方で説明方法の選択だなんて、誰がわかるというのか。いや、誰かがわかったところで、私にはわからない。わからないったらわからない。
「がっつりだね」
不満そうにしていると、シュリは呆気なく選択結果を変えてくれた。
確かにシュリ側にこだわりはないだろうし、スムーズだから構わない。
「では、がっつりと説明するとしよう。この世界は大変困っていてね。進むべき時間が絶たれ、一定の瞬間を越えるまで永久に前へと進む事が出来ない。それは物事の終わりでもあり、誰かの死でもあり、何者かの歩みであると同時に生そのものでもある。どの瞬間になるのか、この世界の者達には知る由がないんだ。永遠に停止し続けてしまう。勿論、始まりから終わりまで定められた時間は自由さ。だが、我々は前に進みたい。その為には、我々ではない何者かの手が必要なんだ。我々の足止めをしている何かを、君に突き止めて欲しい。一定の瞬間を越える為に、その手段を見つけ出して欲しい。これは君にしか出来ない事さ。この世界では、君を阻む者など何もないのだから」
相変わらずの立て板に水っぷりだ。
すらすらと流れるように出て来る言葉は途切れることもなく、そして迷いも感じられはしない。当然のように、次から次へと言葉が紡がれていく。
ただ、その内容は、やっぱりどうしてもわかりにくかった。私のせいではない、と、思う。あとさ、一気に言いすぎだよ。すぐには理解できないよ。やめてほしい。
「我々の為に君がいて、君の為に彼が在る。さあ、君が一歩を進めるというのなら、彼と共にあちらへ向かって欲しい」
"彼"と示されたヒューノットには視線を向けず、示されるがままの方向を見遣った。少し離れた位置にあるのは、赤茶けた扉だ。壁は見当たらない。平原の中に突然、ぽっかりと口を開いたように扉が立っている。
そういう色合いなのか、それとも錆びてしまっているのか。離れた位置にある扉は、その存在感の割には何となく頼りない感じだ。
「ここは全てを繋ぐ場所。何かがあった時、必要になった時、恐ろしくなった時、私を呼ぶといい。いつでも、君を此処に連れ戻そう。いつでも、君の存在を記録に残そう。いつでも応えるよ。――ここで待っているから、さあ、行っておいで」
シュリに視線を戻すと、胸元に手を当てた芝居がかった調子で一礼された。取り敢えず、今のところシュリはとても便利な存在だと覚えておく。
もうここがゲームの世界だか何だか知らないが、そういうところだというのは受け入れる。私は別に、このゲームの結末がどうのではなくて、単純に私自身の中にある違和感を消すために動くんだ。そう、それだけだ。
よし。そういうことにしよう。自分に嘘はつけない。
いつだってセーブできるんだから、チュートリアルよりはマシだ。あれ、チュートリアルが一番ハードっておかしくないか。
「君たちの力になってくれる者もいるだろう。勿論、その逆もいる筈さ。しかし、臆する事などないよ。君は、
シュリが色々と言っているけど、それより何より気になることがある。
進もうと思ったら、シュリが待っているとか言い出した。さっきそう言った。
つまり。
「…………」
ちらりとヒューノットを見ると、舌打ちをされた。
明らかに歓迎されているように思えない。どちらかというと、敵意むき出しだ。やめてよ。
また視線を逸らすと、ヒューノットが動き出した。
大股で歩み寄って来て、何かされるのかと思ったが、すぐ脇を通り過ぎただけだ。そして、十歩ほど進んだ先から「早く来い」と低い声で急かされた。シュリを見ると、既にゆらゆらと手を振っていてお見送りモードだ。ちくしょう。裏切られた気分。
諦めてヒューノットの背を追いかけた。
シュリと違って、やはりガッシリとした体格だということは後姿でもよくわかる。見るからに男らしいけど、こんなに短気だったらイケメンでも願い下げだ。
溜息が出そうになったところを、必死になって飲み込む。この距離で溜息なんてついてみろ。何をされるかわからない。
「…………」
扉までの道のりが暇で、ヒューノットを眺めてみた。
背が高くて、それなりに体格が良い。目つきが悪いのは知ってる。後ろ髪は刈り上げているみたいだけど、前髪はちょっと長い。
そして、歩幅が大きい。シュリと違って、私に合わせてくれる気配はない。
腕とかも、たぶん筋肉質だ。籠手のような装備品がある。
ただ、全身を黒色の外套で包んでいて、何というか、こう、不審者感が半端じゃない。まだ中のノーマルな服が見えていた分だけ、シェリの方がまともに思えてくる。あっちはあっちで、仮面さえ外せば大丈夫な気がする。
ヒューノットの腰あたりを眺めてみるけど、武器らしいものはない。まあ、外套の下にありますって言われたら納得だ。
アサシンなのかな、って思うくらい、足音がない。あ、そうなると、格好もアサシンっぽい。フードあるし。
扉の前に辿り着くなり、ヒューノットが振り返った。
どうかしたのかと思って首を傾げたら、「開けるのか、やめるのか」と問いが飛ぶ。わざわざ、どうしてそんなことを聞くのだろうと思っていたら、
「開けるのかッ、やめるのか。とっとと選べッ!」
めっちゃ怒鳴られた。
ぽかんとしてしまったのは、怖いとかいう以前に、いちいちそんなことまで選ばせようとするからだ。チュートリアルでフードを脱いでから、ヒューノットに寡黙な印象なんて全くない。どうして、こうも威圧的なんだろう。
そういうタイプの主人公だというなら、わんこタイプとかもいて欲しい。
選びたい。わんこタイプ一択で。
「……あ、え、あー、開けてください」
頼まれてきてやったんだぞ、こっちは!
とか言ってみたいけど、そんな勇気があったら自分で扉くらい開けている。ヒューノットは、思い切り舌打ちをしてから扉に手を掛けた。
一瞬、向こう側に草原があったらどうしようかと思ったけど、向こう側には街が広がっていた。
街、と言ってしまっていいのかどうか。
スケールは、ちょっと小さい。
布――いや、フェルト生地で作られた建物が並んでいて、同じくフェルト生地の人形達がとことこ歩いている。建物は私の背丈ほど。
歩く人形達は私の手にはめてドッペル遊びができそうなサイズだ。それらが短くて小さな足で、歩き回っている。身に着けている物や、手に持っている道具なんてものもフェルト生地のようだった。
「……おぉう」
めっちゃファンシー。
あまりに唐突なファンシーさに言葉を失った。
よくよく見ると、花や木などもフェルト素材らしい。
一足先に踏み込んだヒューノットは、私を促すために顎でしゃくってきた。もっとこう、主人公としてヒーローっぽくしていて欲しい。私は割りと王道な主人公が好きだ。ヒューノットには、熱血さが足りない。
赤茶けた扉は錆びているわけではなくて、元々からそういう色だったようだ。その扉を潜り抜けて、フェルトの街へと足を踏み入れる。
空を見上げると、大きなバルーンが飛ばされていた。
そこに繋がれた長い幕には、こう書かれている。
"ようこそ、ふえるとのまちへ"
センスは、迷子だ。
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