4-5【生物と結晶】

「皆さんっ、ここから離れてッ!!」


 鬼気迫る表情で叫ぶアデーレ。

 騒々しい中でも通る凛とした声は、自然と周囲の人達からの注目を集めた。


 その直後、人だかりから少し離れた位置にあるテントが爆散する。

 アデーレが上空で見たそれが、テントの上に落下してきたのだ。

 布を引き裂き地面を砕く破壊音が轟き、大発見に浮かれていた人々が悲鳴を上げる。


「うわああぁっ!」

「まっ、魔物だ! 逃げろぉ!!」


 飛来してきたのは、カラスを思わせる高さ四メートルほどの鳥型魔獣だった。

 赤黒い羽毛は鉄鎧のような光沢を持ち、翼を広げた姿は強烈な威圧感を人々に与えてくる。

 白目のない金色の目は血走り、黒いくちばしを開けば雄叫びが大地を揺るがす。


 遺跡に集まっていた人々が、一斉にその場から逃げ出す。

 その場から生きて逃れようと必死な人々が前方や足元を気にするはずもない。

 遅れる者は押しのけられ、倒れた者は踏みつけられる。

 阿鼻叫喚の状況を前にして、アデーレは舌打ちをした。


 しかしアデーレはすぐに踵を返し、遺跡の方へ駆け出す。


「お嬢様っ!!」


 アデーレが声を張り上げる。

 その声を聴き反応したのはロベルトとエヴァだった。

 しかし困惑した様子の二人はアデーレと穴の下を交互に見やり、傍にエスティラの姿はない。


「は、離せっ! 私はここを離れんぞ!」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょうッ!」


 エスティラの声は、穴の下から聞こえてきた。

 アデーレが急いで中の方を確認すると、そこにはダニエレを背後から羽交い絞めにして階段を上るエスティラの姿があった。

 ダニエレの方は遺跡の入り口から引き離されることに抵抗しようと必死にもがいているようだ。

 だが所詮は老人だ。若いエスティラの方が力が上回っているようで、成す術なく遺跡から引き離されている。


 おそらく騒ぎに反応し、エスティラが真っ先に行動に出たのだろう。

 それこそ、ロベルトやエヴァが止める間もないほどに。


「お嬢様っ、後は私が!」


 さすがに主人に無茶はさせられない。

 ロベルトも急いで階段を駆け下り、エスティラからダニエレの体を預かる。

 それを見届けたエスティラは、腰に手を当て小さくため息をついた。


 そんな彼女の傍にアデーレが駆け寄る。

 エスティラは彼女の顔を見るや、眉を吊り上げ怒りを露わにした。


「アデーレっ、あなたまた勝手にどこか行って!」

「そ、傍にいましたってっ。それより早くここから避難を!」

「分かってるわよ! ほら、さっさとエスコートしなさいっ」


 差し出されたエスティラの手を取るアデーレ。

 そのまま彼女と手を繋ぎ、ダニエレを抱えるロベルトと並んで階段を上る。


「教授っ!」


 地上まで到着すると、そこに心配した様子のエヴァが寄ってきた。


 心配するのはいいが、ダニエレに手を差し伸べたりはしないのかとアデーレは疑問に思う。

 だが都会育ちでこういった状況の慣れていなければ、足がすくんで動けなくなることもあるだろう。

 むしろ真っ先に駆け出すエスティラの方が異常とまで言える。


「ええい離せッ、あの遺跡は私が見つけたんだ!」

「今はそんなことを言っている場合じゃありません!」


 ロベルトからダニエレを預かり、その場から離れようとするエヴァ。

 しかしより一層暴れるダニエレに手を焼いてしまい、なかなか走り出すことが出来ずにいるようだ。


 その間にも周囲からは悲鳴と破壊音が立て続けに巻き起こる。

 立ち上る土煙の中に目をやると、先程よりも数を増やしたカラス型魔獣の姿が確認できた。

 アデーレの目からは、少なくとも二十羽程は確認できる。


 ロントゥーサ島では久々の大規模な魔獣の襲撃。

 既に発掘現場の人々に被害が出ている可能性も考えると、今すぐにでも変身して対処しなければ悲惨な結果になるだろう。


「まずいわね……ロベルト、あなたは先に行って手を貸してやりなさい!」

「か、かしこまりました」


 エヴァの様子を見かねたエスティラに指示され、ロベルトがダニエレの避難に手を貸す。

 そして今度はエスティラがアデーレの手を引き、その場から立ち去ろうと駆け出す。


「ほら、私たちも早く逃げるわよ!」

「あっ、ちょ、待ってくださいっ」

「待てるわけないでしょうがっ! 何言ってるのよアンタは!」


 エスティラの意見はごもっともだ。

 だが主人が使用人の手を引き率先して行動するというのは、体裁としてあまりよろしくない。

 そもそもアデーレはこの場に出現した魔獣に対処しなければならない立場だ。


 幸いにも結晶魔獣ではなく通常の生物魔獣だ。

 数は多くともアンロックンの言う通り、これらの魔獣ならば一人で対処することも可能だろう。


 しかし、そこに至るまでの状況がかなり厳しい。

 周囲は物陰の少ない荒地の上、どのような理由を繕っても現状エスティラから離れるのは厳しい。

 協力者であるロベルトも、エスティラの指示とあってはダニエレの方に注力せざるを得ないだろう。


 だがアデーレに苦悩するいとまは存在しない。

 エスティラが彼女の右腕を強く引き、安全な場所まで移動しようと走り出す。


「お、お嬢様! せめて誘導は私がっ」

「甘く見ないでよっ、これでも私だって色々勉強したんだから!」


 「ヴェスティリアのために」と付け加え、エスティラがにやりと笑う。

 緊急時にこれだけの余裕があるのは、半年前の経験があっての成長といえるだろう。

 一体どういう勉強したのかということはあえて問い詰めようとしなかった。


 以前よりもたくましくなった主人には素直に感銘を抱く。

 問題はその状況がアデーレにとってかなり都合が悪かったことだが。


「というか無駄話なんてしてる場合じゃないわ。早くこの場から離れないとっ」


 こうなってしまったら、一度エスティラと共にこの場から離れざるを得ないだろう。

 被害を及ぼす魔獣たちを見逃すことに無念を感じつつも、アデーレは素直にエスティラの後に続く。


 だが幸いにも、魔獣たちは人間よりも周辺のテントや道具を執拗に攻撃しているように見える。

 それが放置していい理由になるわけではないものの、わずかでも猶予が生まれることはアデーレにとって都合がいい。


 アデーレはエスティラに従いつつも、周囲の状況を警戒しつつ先を急ぐ。

 しばらく進めば馬車の停車位置まで辿り着くだろうが、アデーレはどうにか隙を見て変身する機会はないかと伺っていた。

 その雑念が注意力を散漫にしてしまったのだろうか。


「えっ?」


 突如頭上に影がかかり、アデーレが空を見上げる。


 トラブルというものは、得てしてこちらの不意を突いてくる。

 こちらへ飛び掛かってくるカラス型の魔獣と目が合ってしまったのだ。


 それでもすぐにアデーレの中でスイッチが入り、その場で地面を強く蹴る。


「失礼しますッ!!」

「あ、ちょっ、アデーレ!?」


 エスティラを両手で抱えつつ前方に飛び退く。

 直後、二人のいた場所をカラスのくちばしが穿つ。


 地面に倒れ込むアデーレとエスティラ。

 大量の破片と土煙を舞い上がらせながら、その魔獣は大きく翼を羽ばたかせた。


「大丈夫ですかっ!?」

「え、ええ。ありがと……ッ」


 体を起こそうとしたその時、スカートから覗く右の足首に手をやるエスティラ。

 苦痛を訴える表情からも、足をひねった可能性が高い。

 命は助かっても、これではこの先逃げ延びるのは困難だ。


 アデーレは顔をしかめつつ、エスティラの体を起こして強く抱きしめる。

 変身は出来ずとも、彼女を抱えて走ることくらいならば可能なはずだ。


 エスティラの肩の後ろと膝の後ろに手を回し、立ち上がろうとするアデーレ。

 しかしその時、再び二人の頭上を黒い影が通り過ぎた。


(ッ! また魔獣が……えっ!?)


 文字通りの予想外。

 二人の頭上を過ぎたそいつは、二人の前に立つカラス型魔獣に衝突したのだ。

 再び土煙が舞い上がり、アデーレはエスティラの顔を自らの胸に抱きよせ、強く目を瞑る。


 顔に当たる砂の感触。

 それが風に流されて消えていくのを感じ……。



 ――目の前の光景に、アデーレが目を見開く。



 そこにいたのは、紫の結晶によって構成された結晶魔獣。

 先日戦った相手よりも大きな三メートルほどある寸胴の体と、太く鋭利な刃物のような形をした両腕が特徴的な魔獣だ。


 最も会いたくなかった相手が現れたことはアデーレにとって不幸なことだ。

 だがそれ以上に彼女を驚愕させる目の前の光景。


 新たに出現した結晶魔獣は、カラス型魔獣の胴体を自らの腕で貫いていた。

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