6-2【憧れのあなたに誇れる為に】
階段を駆け下り、崩壊した中庭へ向かったアデーレ。
そこには変わらず空を見上げる二人。
「お嬢様! メリナさん!」
二人の後姿に、アデーレはたまらず声をかける。
その声を受けて、二人が驚愕の表情で彼女の方を振り返った。
「アデーレ! あなた……っ」
最初に声を上げたメリナが、アデーレの姿を前にして涙を流す。
「ああ……」
隣にいたエスティラも、五体満足のアデーレを前に目を丸くし、声を漏らす。
アデーレは息を切らしながら、二人の前まで駆け寄る。
が、突如エスティラが両腕を上げながらアデーレの前に詰め寄り、アデーレの両腕を掴む。
「アンタ!!」
先ほどまでヴェスティリアに向けていた笑顔から一転。
怒りに満ちた表情を浮かべ、アデーレを睨みつけるエスティラ。
しかし、一言怒鳴りつけたところで言葉を詰まらせ、顎を震わせる。
「無事だった……無事だったんなら、もっと早く…………バカッ!!」
言葉を選ぶ余裕もなかったのだろう。
アデーレの身体を渾身の力で揺さぶりながら、エスティラは子供っぽい罵倒を繰り返す。
「私に心配かけるなんて……百年早いんだから…………」
そして、アデーレを抱きしめるわけでもなく、そのまま突き放す。
離れたエスティラは顔を見せないよう、そっぽを向いてしまった。
先ほどまでとは正反対の態度。
そのギャップに、アデーレの顔に笑顔がこぼれてしまう。
だが、それでいい。これが互いの関係なのだから。
最悪の出会い。
突然訪れた再会。
覆ることのない身分の差を突きつけながらも、その端々で見えてくる人柄。
二つの姿を持つからこそ、知ることの出来た本心。
「ありがとうございます」
心配してくれたエスティラに、アデーレは礼を述べる。
今の彼女に、エスティラに対する苦手意識は存在しない。
逆境の中でも行動を起こそうと立ち向かい続ける彼女を。
自分と同じように、ヒーローに憧れる彼女を。
ヴェスティリアとして交わした約束を、決して違えたりはしない。
自分の手が届く限り、守るための戦いを諦めない。
それは紛れもなく、彼女の前で誓った決意なのだから。
「アデーレ!!」
突如アデーレの身体を襲う衝撃。
感極まり、声を上げたメリナが抱き着いてきたのだ。
「め、メリナさんっ?」
「良かった……ホント、無事で……よかったよぉ……」
「……うん」
アデーレを強く抱きしめ、頬を寄せ合って泣きじゃくるメリナ。
そのぬくもりが、彼女が守り通したものが何なのかを実感させる。
二つと存在しない、尊きもの。
(……少しは、近付けたのかな)
アデーレは……良太は思う。
卒業後の進路を考えたとき、真っ先に思い浮かんだ将来の夢。
その夢を与えてくれた、フィクションの中のヒーロー達。
そんな彼らに対して、誇れる存在になれただろうか。
震えるメリナの身体を抱き返す。
彼女の肩越しに見るエスティラは、ただ何も言わずにこちらを見つめている。
今までアデーレに見せたことのない、優しい笑顔を浮かべながら。
魔女の襲撃から二日後。
夏の日差しが照らすロントゥーサの港に、衛兵や使用人に囲まれたエスティラの姿があった。
使用人たちは各々荷物を船に積み込み、衛兵たちは周囲の警戒に余念がない。
そんな人々の中で、制服を着込んだアデーレとメリナ、そして見慣れた正装のロベルトが、エスティラの傍についていた。
戦いの直後から、屋敷の修繕は始まった。
しかしそれは一朝一夕で終わるものではなく、また今回の件における王党派の所業を告発するため、エスティラはシシリューア島へ戻ることを自ら決めた。
自国民の命を脅かし、有力貴族を狙うという蛮行を重ねた魔女との繋がりが公となれば、王党派の瓦解は免れないだろう。
だがそれも一筋縄ではいかない。
魔女と王党派を結びつける物的証拠が、今のところ存在しないというのだ。
ならば王党派も、魔女との繋がりの一切を否定するに違いない。
そんな膠着状態の中に、一石を投じる。
状況を動す可能性と覚悟をもって、エスティラは身の危険を顧みず、渦中の島へ帰ろうというのだ。
『人と人の間でのいざこざならば、彼らの方が専門だよ』
同行すべきか悩んだアデーレに対し、アンロックンはそう告げた。
ヴェスティリアのまま一日中エスティラの傍にいるわけにもいかないし、急な襲撃に対応することは出来ない。
結局、人間同士の策謀が巡る問題に対して、ヒーローの力は無力なのだ。
それでも、アデーレはエスティラの無事を願わずにはいられなかった。
「さて、しばらくはこの島ともお別れね」
修繕中の屋敷の方を見つめながら、エスティラがつぶやく。
そう、彼女はこの島に戻る気でいるのだ。
その理由をアデーレがそれとなく尋ねたとき、エスティラは胸を張ってこう話していた。
『ヴェスティリアは手の届く場所に必ず現れる。なら私は、そこで彼女を追いかけ続けるのよ!』
例え傍にいることは出来なくても、追いかけ続けることは出来る。
そんな決意の込められた言葉に、ただただアデーレは驚かされた。
このお嬢様は、想像以上にたくましいと。
さて、エスティラが帰還するということで、アデーレには一つの問題が残される。
季節は夏。未だ畑の不作は続き、狭い島では仕事がない。
せっかく紹介してもらった使用人の仕事も、仕える者がいなくては続けることも出来ないだろう。
最初はアデーレも、共にシシリューア島へ向かうことも考えた。
しかしそれは他ならぬエスティラに却下され、使用人として雇われた島民は、例外なくロントゥーサ島に残るよう命じられた。
こうなると、アデーレは再び少ない職を求めて狭い島を歩き回らなくてはならないだろう。
十六歳の職探し。
見送りに来たというのに、アデーレはそのこともあってか、どこか上の空だった。
「それで……アデーレ」
そんな彼女へ、エスティラは凛とした声で呼びかける。
アデーレは慌てて身を正し、エスティラと向かい合う。
「アンタ、実家の畑が不作だから使用人になったって言ってたわよね」
「ええ、そうですけど……」
「うんうん。それじゃあアンタ、私が留守にしている間、他の子達と屋敷のことよろしく頼むわ」
まるで当たり前と言わんばかりのエスティラの言葉に、アデーレは目を丸くする。
そんな彼女の顔を見て、エスティラは呆れ顔でため息をついた。
「というか、アンタが期間限定の使用人なんて、今更私が許すと思ってるの?」
エスティラが腰に両手を当て、いつものようにアデーレに詰め寄ってくる。
小柄ながらも威圧感のあるその姿を前にすると、どうしてもたじろいでしまう。
「いい? アンタは私が許すまで使用人を続けなさいっ。絶対に逃がさないわよ」
「え、えぇー……でも実家の畑が」
「そんなの私が何とかするわよ! 大体、まだちゃんとアンタに主従関係を叩き込めてないじゃない!」
アデーレの鼻先に指を差し、エスティラは不敵に笑う。
今回の事件を受けて、アデーレとエスティラの距離はかなり縮まったと思われる。
しかし彼女にとって、主従関係をはっきりさせるという当初の目的だけは、何があっても譲れないらしい。
結果として、仕事は失わずに済んだ。
しかしアデーレの心労は今後も続く……というより、いつ解放されるかが分からなくなった。
嬉しいやら悲しいやら。ただの農家の娘に戻れる日は、相当先の未来になりそうだ。
「なぁにがっかりしてるのよ。私の傍にいられること、光栄に思いなさいよね!」
「……はい」
もはや言葉もない。
アデーレは肩を落としつつも、その胸中は不思議と安堵に包まれていた。
屋敷を駆け回り、エスティラの世話をする使用人の日々。
新しい日常は、この先も続いていくのだ……。
――そんな時間を破壊するかのように、沖の方から巨大な水柱が立ち上がる。
海からの轟音に、周りにいた全ての人が、音の方へ顔を向ける。
水柱が晴れたその中にいたのは、巨大な襟を広げたウミヘビのような魔獣だった。
「ま、魔獣っ!? 魔女は倒したはずじゃ!!」
まさかの存在の出現に、周囲の人々達は恐れおののく。
アデーレも予想外の事態を前にして混乱気味だ。
(何で、今頃になって魔獣が?)
(イェキュブの置き土産か、もしくは他の魔女が現れたのか……これは僕も驚かされたよ)
脳内で、アンロックンとの会話を繰り広げる。
「えぇい、どちらにせよ討伐だ! 兵士達よ、武器を取れぃ!!」
船の前に立っていた指揮官がサーベルを抜き、空に掲げる。
とはいえ、巨大なウミヘビは到底人間の手に負えるものではない。
まず距離が遠すぎる。
こうなると、頼れる人物はただ一人というものだ。
「お嬢様、ここは危険です。陸の方へ避難しましょう」
「私が先導します。お嬢様、ついて来てくださいっ」
ロベルトがエスティラの背後に、メリナが前に立ち、その場からの避難を始める。
アデーレは三人に付き添うふりをしつつ、人目に付かない場所を探し始める。
「アデーレさん」
隣にいたロベルトがある場所を指差す。
そこには、無人の貨物船が停泊していた。
あそこならば、どさくさに紛れて入り込めば変身も出来るだろう。
「よろしくお願いします」
ロベルトがそう言うと、エスティラを急かすように早歩きでその場を去っていく。
アデーレはその後ろ姿に頭を下げ、周囲の人に紛れて貨物船へ。
案の定そこに人はなく、アデーレが船に忍び込んだことを知る者もいないはずだ。
「ロックン」
スカートのポケットから、アンロックンを取り出す。
左手には、既に竜神の鍵が握られている。
「うん。始めようか、アデーレ」
錠前を前に突き出し、鍵を指し込む。
そして、憧れのセリフと共に、鍵を回す。
「……変身ッ」
貨物船の甲板からほとばしる、赤い閃光。
そこから飛び出してきたのは、紅蓮のコートを纏った火竜の巫女。
「ヴェスティリア!」
閃光に気付き、脚を止めたエスティラが声高らかに呼びかける。
周囲の人々もその姿を見つけ、歓声を上げる。
その歓声もすぐさま遠ざかり、アデーレと魔獣の距離はみるみるうちに縮まっていく。
「魔女を倒したヴェスティリア。しかし彼女の戦いが終わることはなく、新たな魔獣が姿を現した! それは果たして、新たな物語の始まりなのか!」
「……はい?」
「次回、海の魔女出現! 今度の敵は、手ごわいぞ!!」
「いや……何それ?」
フラムディウスから響く突然の口上に、アデーレが目を丸くする。
「何って、君も好きだろう? 次回予告っていうんだっけ?」
「ああ……」
アンロックン……ヴェスタは特撮番組の次回予告をやりたかったらしい。
どれだけ人の個人情報を知り尽くしているのかと、アデーレは不信感を募らせる。
ともあれ仕方ない。この依り代は魂の半分で造られ、深く結ばれてしまっている。
しかし、今回ばかりは意見の相違がある。
「次回予告、そんなのはいらないよ」
目前へと迫るウミヘビの魔獣。
アデーレは飛翔の勢いのまま両手でフラムディウスを構え、そして高らかに掲げる。
「こんな戦い、さっさと終わらせたいからッ!!」
終わらぬ平穏を願って。
ヴェスティリアの一閃が、魔獣を斬る。
了
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