境界線は歪んで濁る

濁残り

第1話 帰還

 魔王城。本来は崖の上にそびえ立ち、上部が月光に照らされた神秘的な景観の城だったが、によって上層階が瓦礫の山となってしまった。城内は魔族、魔物の死体で溢れ、臓物と血の海と化し、最早見る影すら無くなっていた。


 崩壊が酷く、更に血の海が広がり、歩く場所すら無さそうな廊下。そこを1人の少年が歩いている。この惨状を見ても少年は何一つ怯える様子もない。それもそうだろう。彼こそがこの惨劇を引き起こした張本人なのだから。


 勇者。その名は誰も知らず、何十年もの間、勇者として魔王を殺し続けている。そんな勇者である彼が向かう場所はただ一つ。魔王城の最奥、玉座の間である。


 勇者が扉を開けるとそこには不思議な光景が広がっていた。魔王城が崩壊し、玉座の間もそれらしき跡地があるだけになったというのに玉座と城の主は傷一つ付かずに存在していた。


「…全く、城を破壊するとはどんな教養を身につけてきたのだ?程度が知れるな」


 魔王は皮肉を交えた発言で勇者を煽り、杖を構える。それは宝玉が先端に着けられている至ってシンプルな見た目だが、柄の部分も魔力をよく伝える性質のある魔銀を使用したかなり高性能な杖であることがわかる。


「生憎、魔族に対する常識は持ち合わせてはいない」


 勇者は剣を構える。その鈍く光る聖銀製の刀身には金細工の装飾がいくつか入っていて荘厳さや神々しさを感じさせる。


「もう一振りの方は抜かないのか?」


 勇者の腰を見ると確かにもう一本、刀と思しき剣が見られる。だが、彼は柄に触れる素振りすら見せない。


「…お前程度に、コレを使う必要は無いと判断した。さて、話は終わりだ。ここらでご退場願おう」

「舐めるでないぞ小僧!」


 魔王が杖を地にかざすと玉座の間を埋め尽くさんとばかりに魔力で構成されたソフトボールほどのサイズの球体が生成されていく。


「フフフ、フハハハ!冥土の土産に教えてやろう。我はな龍脈の力に適応し、干渉できるようになったのだ。まあ、これを言ったところで使貴様には理解できないだろうがな!」


 今の魔王はテンションが絶頂状態、俗に言うハイになっている状態だ。そのため魔力球に含まれる魔力も常に増幅している。


「今の私ならばこういうこともできるのだ!」


 瞬間、魔力球の色が7色に輝いた。見た限りだと火、水、風、土の基本四属性に加え、氷、雷、鋼の亜属性も確認できる。


全属性魔法師フルカラーズで更に無詠唱と来たか。中々に厄介だな」

「余裕をこいている暇はあるのか?」


 魔王が指を鳴らしたと同時に様々な属性の魔力球が合成を始める。複合属性魔法はたったの二属性だけでも宮廷魔法師にとって至難の技と言える領域にある。つまり、全属性の複合属性魔法というのは人智を越えた最高にイカれた魔法なのである。


「勇者よ!貴様に複合属性魔法の真理というものを見せてやる。これが我の歩む道だ!『創世天地ワールドクリエイト』!」


 世界が揺れる。海は沸き立ち、山は割れる。さらには龍脈エネルギーが地表に溢れ始める。その光景を一言で表すなら『世界のリセット』と表現するのが適切だろう。


 魔王は跡形も無くなった魔王城で消し炭になったであろう勇者を笑う。それもそうだろう。魔族にとって最大の障害となる勇者を倒せたのだから。


「フフフ。ようやくだ、ようやく我等魔族の悲願である世界の統一を行える!」

「そりゃ素晴らしい夢だな。まあ、残念ながらそれを叶えることはできないがな」


 一瞬の出来事だった。大量に合成された魔力球は全て砕け散る。


「ナニッ!?」

九重ここのえ


 …黒き九つの剣閃が走り、。魔王の首が地面に転がる。残った身体からは血が噴水のように噴き出ている。


 勇者は黒き刀身から血を拭い取る。


「…使ってしまった。力量を見誤ったか。誇るといい、お前は強かった」

「…強い、か。ククク、フハハハ!我は勇者に見定められるような器ではなかった様だな!それだけでも分かれば充分だ!」


 魔王はその言葉を最期にこと切れてしまった。その死に顔は憎しみや怒りではなく心底嬉しそうな表情をしていた。


「終わったか。…これでようやく」


 勇者は終始表情を変えることは無かったがどこか重そうな雰囲気で城の跡地を去っていった。


 グレイシア王国。綺麗に整えられた城下町と丘の上にそびえ立つその白亜の城は芸術的にも防衛的にも優れた建造物であることが窺える。


 大門をくぐると沢山の民衆が勇者を出迎える。衛兵たちが抑えてくれているが今にも溢れ出んばかりに人がごった返していた。そんな中、1人の男が飛び出してくる。


「勇者の兄ちゃん。よく帰ってきた!いやあ勇者の兄ちゃんがウチの装備を使って魔王討伐をしたって考えると感慨深いものがあるな!」


 急に肩を組んできた大柄の男はたしか王都で鍛治屋を経営していた男だろう。勇者も装備をいくつか買っていたことがあった。…全て破損してしまったが。


 また1人、民衆の中から飛び出してくる。衛兵たちは現状を維持するのに手一杯になっている。


「勇者様。よくぞご無事で。あれ以来、グレイシアでは一度も疫病による死者が出ておりません。これも勇者様のおかげです」


 次に話しかけてきた女性は前まで辺境の地で薬師をしていた者だ。グレイシアで大規模な疫病が流行った際に、唯一効果のある薬を作れるということで、勇者が素材集めや彼女の護衛をする形で協力したことがあった。どうやらその後、国に正式にお呼ばれし、王都に店を構えることにしたらしい。


 その後も続々と衛兵たちを押し退けてくる民衆に揉まれながらも勇者は城へ向かう。彼は揉みくちゃにされていく衛兵たちに同情した。

 

 王城にて、玉座の間へ向かう道中、10人程の集団で話しかけてくれる者がいた。


「勇者様、お久しぶりです。勇者様が旅立たれて以降、グレイシアが窮地に立つことは一度としてありませんでした。前線へ出陣している者も多くここに居ない者もいますが彼らの分も代弁して言わせてください。我らの国を、いや、我が故郷を守っていただきありがとうございました!」


 彼らはこの国の騎士団に所属する者達だ。

皆、古傷や気配からして歴戦の猛者たちなのだろう。勇者は時間があまり無いことを伝えると騎士団の者も理解したようで軽い会釈などをして去っていった。


 勇者が玉座の間の前まで来ると守衛の大柄な騎士たちは快く扉を開けてくれる。彼らは鉄製の重厚な扉に力を入れてゆっくりと開けていく。扉が開いていくと玉座の間には国王と近衞の騎士だけでなく何人か貴族たちも並んでいた。貴族たちの顔ぶれも爵位など関係なく、勇者が魔王討伐の際に協力してくれた者たちのようだ。


「勇者よ。よくぞ魔王を討ってくれた。感謝する」


 間の中央、絢爛豪華な玉座に座る老人。名をオーフクレイラング・フォン・グレイシア6世。このグレイシア王国の国王だ。


「もったいなきお言葉。光栄であります」

「後日、式典にて褒賞と褒美を与えよう」

「ハッ!これ以上ない幸せ、恐悦至極に存じます」

「皆、今日は勇者を讃え、国を挙げての宴じゃ!今夜限りは無礼講じゃ!」


 ウオオオオ!!!

 王の言葉によって玉座の間は騎士達による歓声に包まれる。


 その夜、勇者は国王とその他仲の良い貴族との酒の相手を終えると早々に宴を切り上げて大聖堂へ向かった。


「ようこそダーアファング大聖堂へ。おや?勇者様ではありませんか。貴方様は宴の主役でしょう?早く戻るべきではありませんかな」


 神父の名はレアル・サラメダ・ファング。世界的に信仰されている宗教、『メーア教』の大司教の地位についている。


「ああいや、お祈りを捧げたくてな」


 レアル大司教は感心したような表情で勇者を奥へ連れて行く。


「いやはや、最近の者達はろくにお祈りへ来ないのですよ。勇者様のようなお方が信心深い方だと我々もとても安心できます」


 ギイッという音とともに荘厳な装飾が施された大扉が開けられる。部屋の中心には女神像が置かれており、神聖さを感じさせる。


「ありがとう。行ってくるよ」

「メーア神の加護があらんことを」


 勇者は女神像の前に行くと片膝をつき手を合わせて祈り始めた。


 彼が目を開けるとそこは先程までいた礼拝堂ではなく、薔薇の生垣が迷路のようになった庭園だった。


「薔薇か。この世界じゃ滅多に見なかったから凄い光景に思えるな」

「そうでしょうね。ただ、ここの薔薇は全て私のイメージで作り出した仮想の存在なのよ。とても残念よね」


 庭園の奥から出てきたのは北欧神話などで見られるようなドレスを身に纏う女性だった。


「お久しぶりです女神様。ご機嫌いかがでしょうか?」


 勇者は自然と笑みを浮かべる。だが、よく見ると表情筋がプルプルしてるのでどうやら必死に作り笑いをしているようだ。


「もっと素の状態で接してくれませんか?その話し方、とても気持ち悪いですよ」


 彼はその場でため息をついたかと思うと先程までの誠実そうな雰囲気から一転、とても気怠そうな雰囲気になる。


「魔王は殺した。もう帰らせてくれ」

「いきなりですね。そういうのはもっと後に言ってほしいのですが…」

「そう言っているうちにまた新たな魔王が現れて俺に殺してくるよう命令するんだろ?魔王を殺すのは今回で100人目だぞ?いい加減にしてくれ」

「ですがね界渡りというのはとても力を使うから怠いと言いますかなんというか…」

「…お前の事情など知らない。元の世界に帰らせろ」


 勇者の途轍もない殺気を喰らってしまい、

 流石の女神も気圧されてしまう。


「…いいでしょう。ですが、私には過去へ戻れるような能力はありません。あくまで世界を渡ることが出来る能力だけです」

「つまり、今戻っても俺が異世界にいた分の時間は経過しているのか」

「その通りです。ですが幸いこの世界は時の流れが早く、貴方が来てから1000年程経過していますが、向こうでは10年程しか経過しておりません」

「そうか。なら好都合だ」


 彼はニヤリと笑う。


「好都合とは?」

「10年経っているのなら俺の顔を知る者も少ないだろう。それに俺の身体は既に成長や老化が止まっている。少し変装すればだいぶ自由に行動出来るだろうな」

「なるほど、そういうことですか」


 一通り話終えると彼はソワソワし始めた。表情もどこか緩まり、何も反射することの無い目にも少しばかり光が宿っている。


「それで、転移にはどれくらい掛かるんだ?」

「ざっと20年程で…」


 瞬間、勇者の視線にとてつもないほどの殺気が篭る。


「…いえ、今すぐにでもできます」


 女神は感情を押し殺したように、そのにこやかな表情を消してしまう。


「ならいい。早速始めてくれ」

「…分かりました」


 その瞬間、彼は一瞬で身体を


「…ふむ、次元クラスの転移魔法は死ぬのをトリガーとして発動するんだな」


 痛みは無いものの、刻まれた筈なのに平然とした様子で喋る彼に女神は思い詰めた表情から呆れたような表情に変わる。


「はぁ、相変わらずですね、貴方は。これから一旦死ぬんですよ。怖くないのですか?」

「別にそこまでだな。何というか生への執着が薄れたというか…」

「それとても危険な兆候なのでやめてください。もっと命を大切にしてください」


 女神からガチトーンで説教を喰らってしまい、流石の勇者も従うしかなかった。


「さて、そろそろお時間です。仲間にお別れ…ってそういえば貴方、仲間は?」

「死んだよ。奈落の底でな。アイツらの遺体は今もあそこにある。弔ってやれなかったのが唯一の心残りだ」

「…そうでしたか。それではまたこの世界に来たときにでも正式なお墓を建ててあげたらどうですか?」

「それはいいかもしれないが、出来ればもう異世界に行くような機会が無いと嬉しい」


 勇者の身体が光に包まれていく。


「じゃあな女神。新しい魔王が出てもそっちで何とかしてくれよ」


 その言葉を最後に勇者はこの世界から消える。


 自分しか居なくなってしまった神界にて女神は呟く。


「貴方とまた出逢う日はそう遠くないでしょう。少しの間だけの平穏を是非楽しんでいて下さい」


 女神は邪悪な笑みを浮かべ、薔薇園に消えていくのだった。


 雨の降る路地裏、勇者…いや一人の少年が血塗れになりながらも笑みを浮かべている。


「帰って来た。…やっと戻れるんだ。いつもの日常へ…」


 少年は掠れた声で何かブツブツと呟く。そして刻まれて機能しなくなった左足を引きずりながら路地を出ようとする。そこへ一つの足音が近づいて来る。他の通行人に比べてかなり異質な気配、いや殺気というべきだろうか。彼が顔を上げるとそこには先程の気配の主が立っていた。


「そこの貴方。何故血塗れで歩いているのかしら?」


 返り血を拭い目を開けるとそこには人形の様に綺麗な白銀色の髪、宝石の様に綺麗な赤眼の美少女が傘を差していた。幼いながらも完成されたその美貌に少年は一瞬見惚れてしまう。


「…」

「そう、答えないのね。私はリフィア・ラッハ・白華しろばなをしているわ」


 その小学生のような見た目的に探偵とは考えられなかったため、少年は少し驚いたような表情をした。数秒後、彼は少女、白華を一瞥するとため息をついた。


「探偵か…悪いが子供のお遊びに付き合っている暇はない」

「な!?遊びじゃないわよ!事務所もあるわ!」


「森の中の秘密基地とかか?小さい頃何度か作ったことがあるけど特別感があって楽しかったな」

「全然違うわよ!…全く揶揄わないでちょうだい」


 白華はため息をつき、深呼吸をすると落ち着いたトーンで話し始める。


「まあいいわ。それで貴方に話があるのよ」

「今疲れてるんだ。また明日出直してくれ」


 出鼻をいきなり挫かれるが白華は何事も無かったように話を続ける。


「貴方、私の助手にならないかしら?」

「だから話は後でって…は?」

「私の助手になってくれない?」

「待て。何故俺を助手なんかに…ウグッ!?」


 突然、少年は頭を抱えて蹲ってしまう。かなり酷い痛みなようで必死に悶えている。


「(の影響か!?頭が、われ、そうだ)」

「…だめね、意識が朦朧としてるみたい。答えは次会った時にでも聞くわ」

「ま、ちや、がれ…」


 少年は手を伸ばすも空を切る。彼の視界は暗転し、意識が途絶えてしまった。

            

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