第3話「揺らぐ平穏」

 紅戸区こうとくは一言で言うと総廻市そうかいしにおける若者の街だ。

 渋谷のようにファッションや流行の発信地でもあるこの街には、総廻市の中で最もヒーロー事務所が集中している地域でもあり、その関係から周囲に何度かヒーローたちによるライブイベントなども行われたりしている。


『間もなく紅戸カルチャーセンター前です。降りる際はお足元にご注意ください』

「着いたー! ほら行こ、誠くん!」

「わかっている」


 二人が住んでいる五切区いつぎりくから市営バスに乗り、紅戸区にやってきた。彩羽はスマホからの電子決済で支払いをするが、誠は財布から小銭を出し支払いする。


「今時、現金でお支払いしているの? 電子決済の方が便利なのに」

「個人的には現金の方が安心するんだよ。なんというか、手元にお金があるという感覚があって、なにかあっても使えるって感じがな」

「うーん、私は財布がかさばるから電子決済の方がいいんだけどなぁ。特典とかもつくし」

「まぁ、僕はこっちの方で性に合っているからいいんだよ。それで、例のイベントをやっている所ってどこ?」


 適当に話題を変え、誠は彩羽に聞いた。


「ここから歩いて20分の所にあるショッピングセンターでイベントがあるの。今日参加するヒーローは、ホットスプリングとか、レディ・エアー、ブリザーウルフとか、今注目のヒーローがたくさん参加しているんだよ!」


 彩羽は興奮しながら言った。彼女の口から出てきたヒーローたちはここ最近活躍中の注目ヒーローの名前だった。


「ショッピングセンターって、シャインのことか? ……そう言えば、銀司の今日の仕事はヒーローショーとか言っていたな」

「うん、そう! 誠くんも銀司さんのショーとか興味ないの?」

「普段の銀司を知っていたら、盛り上がりも冷めるぞ。というか、銀司がやっているパフォーマンス、僕も一緒に考えたりして手伝ったりしているから、内容がわかっちゃうだよ……」

「あ、そういえば、そうだったね……」


 銀司のパフォーマンスは確かに多くの固定のファンがつくほど人気があるのだが、その肝心のパフォーマンスを考えるのが苦手で仕事から帰ってきた時に一緒にパフォーマンスを考えてくれと頼みこんでくることがよくあるのだ。

 それに何度も付き合っているおかげで誠は「ブリザーウルフ」が出演するヒーローショーの内容をほとんど把握してしまっているため、純粋に中々楽しめないのだ。


 ちなみに彩羽もその現場に遭遇したことがあるので知っている。


「でもすごいね。ヒーローはみんなに人気であれば人気があるほど、悪い奴らが出てきた時に強くなったりするんだって」

「ああ、偶像崇拝の原理でそうなるというヤツだろ? そう言われるとそれを考えた人ってある意味天才だよな。ヒーローはみんなの声援で強くなるとか、昔のテレビ番組みたいなことが本当に起きているわけなんだから、世の中なにがあるかわからないな」


 ヒーローはメトゥスを倒すための手段である力、異能ミュトスを魔力というエネルギーを燃料に引き出し、能力として戦うものだ。

 基本的に魔力は異能者だけではなく、異能ミュトスを持たない一般人、果ては生物も持っている。そして天地自然にも魔力は満ち溢れており、そこから魔力を供給することも出来る。


 だが、ヒーローが力を発揮することが出来るのはその魔力だけではない。


 ヒーローは人々に望まれ、求められ、彼らからの応援、熱狂、崇拝を受けることで魔力とは違う目に見えない力「レリジョン」が送られ、彼らは更にその力を発揮することが出来るのだ。

 そういった関係から、ヒーローたちはメトゥスや犯罪者と戦うだけではなく、芸能活動などを通して「ファン」を増やすことも大切なのである。文字通り「応援の数だけ強くなれる」を体現したのが、現実に生きるヒーローなのだ。


「そういう言い方、ロマンがないよ。誠くん。そこは“そんなすごいことがあるんだ!”みたいな気持ちでいた方が楽しいよ」

「そういうものなのかな。僕としては、身近にヒーローがいるもんだから、あんまりわからないけど」

「そういうものなの! 昔、それまでは物語の中だけのお話だったのが、実は本当にそうなって、世界を一度救ってくれたんだよ? 今だってたくさんのヒーローが困っている人たちを助けてくれている。それって、とても素敵なことじゃない?」

「……そうだな。そういう素敵なものだけが、この世にあったらどれだけいいんだろうね」


 明るく言う彩羽に対して、誠は複雑な表情を浮かべる。

 今も憧れ続け、その夢への道を歩み続ける彩羽。

 憧れの現実を視たことで夢に潰され、進むべき道を見失った誠。

 聞きがたく、視たくもない「現実」を知ってしまった誠と、そのことを何も知らない彩羽とではヒーローに対する考え方はあまりにも違いすぎる。


「あ、ここから真っすぐ進んでいけば、『シャイン』までもうすぐだよ」


 少し狭い歩道を見た彩羽を指さして言った。

 通勤時間は既に過ぎているため、出勤する通行人の数は少なく、歩きやすくなっている。


「近道という割には人通りが少ないな。『シャイン』で行われるイベントじゃ、結構な数のヒーローが来るんだろ?」

「SNSで見たけど、場所がショッピングモールだから車が来る人が多いんだって。そこだけじゃなくて、他の場所でもイベントやっているから、分散されているのかも。『シャイン』のイベントだけだったら、もっと人が多かったかもしれないけどね」

「そんなものなのか。あまりこういう所来ないから、知らなかったよ」

「ふっふーん。私はこう見えて何度も来ているからね! 情報収集はヒーローファンの基本なのです!」

「いや、そういう情報収集は割と基本だろ……」


 苦笑いしながら、誠と彩羽は車両侵入禁止の歩道を歩く。

 開けた場所で小さな店が経営する道は人の通りが少ないこともあって歩きやすかった。

 「シャイン」までの道は彩羽が知っているので、誠はそれについていくだけ。それでもこうして二人で歩くのは久しぶりで新鮮さがあった。


「ねぇ、誠くん」

「? なんだ、急に改まって」


 彩羽に前触れもなく聞かれ、誠は彼女の方に顔を向ける。


「もしもの話になっちゃうけど、さ。もしも、私がピンチになったら、助けに来てくれたりする?」

「な―――――、何を、いきなり」


 そんな事を突然聞かれ、誠は不意打ちを食らったように変な声が出た。

 あまりにも突然の質問に誠は一瞬どう答えたらいいのかわからなかったのだが、そこまで深く考えることではないかと思いなおす。


「……いや。なんでもない。そうだな、ピンチの時って、例えばどんな?」

「そうだね……。私が悩んでいる時とか、困っている時とか……」

「ありふれたものだな。人間、誰だってそういう時もある。相談ぐらいなら、いつでも乗れるよ」

「ち、違うよ。私が言いたいのは、その……」

「?」


 どういうわけか言いよどむ彩羽に誠は頭に疑問符が浮かぶ。ごく普通の悩み事や相談の手助けの話をしているのかと思っていたのだが、どうやら彩羽にとってはそうではないらしい。


「えっと。もしも、私が悪い奴らのせいですごく困っているみたいなことがあったら、助けてくれる?」

「――――――」


 彼女の質問に対して、何か特別な意味合いを持っているわけではない。幼馴染で身近にいる大切な人という意味なら、誠にとって大して悩むことではないはずだった。


「……それは」


 悩む必要もない。考える必要もない。理屈とかそういうのもないはず。

 それなのに、どういうわけか言葉にすることが出来ず、上手く口に出せなかった。


「……わからない。僕は未熟だし、異能ミュトスもない。魔術だって平凡だし、もしかしたら彩羽の方が強くなって僕の助けなんかなくても大丈夫な気がするんだけど」

「もう。そんな風に考えることはないんだって。こういうのって気持ちの問題でしょ? どうなの?」

「どうなのって……」


 顔を近づけて言われ、誠は何とも言えなくなってしまう。


「まぁ、いきなりこういう質問されても困っちゃうよね。でも、私は誠ならきっと助けてくれるって信じているよ」


 そう言う彼女の表情は真っすぐな目で、心の底から信じているという噓偽りのない眼差し。


「そりゃあ、どうも。ご期待にそえるようにするよ」


 そんな眼差しを向けられて照れ隠しをするように、誠はサラっと流すような言い方で返事した。


「むー、やっぱりロマンがなーい! 返事が淡泊すぎるー! こういうのってマンガの主人公みたいに決める所じゃないかなー!?」

「いや、それ言ったら台無しだろ……」


 身も蓋もない言葉に誠は思わずツッコミを入れる。


“でも、僕は……”


 ……先ほどの質問に彼女の望むような返事をすることは出来なかったが、それは彼女が望む答えに対して出来る保証がないから。

 いつか、彼女に対してそう言い切ることが出来るのだろうかと思いながら、誠の脳内に刻まれた。


「きゃああああああ!!」


「!?」


 突然、女性の大きな悲鳴が上がり、誠と彩羽は驚く。


「今のって……!」


 彩羽は悲鳴が聞こえた方に走り出した。


「ま、待て! くそ!」


 走り出した彩羽を追いかけて、誠も走り始めた。

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