第32話 貴重な体験できたじゃんか

 耳の奥で風が唸り、風景は一瞬のうちに遠ざかっていく。


「ねえ、結局どこに行くの?」


 予想通りバイクに乗せられた私は、しがみついた背中に向かって呼びかけた。


 すみれの愛車は陽射しをきらきらと照り返しながら、陽炎の立ち昇るアスファルトを駆け抜けている。


 人口減少とともに幹線道路の交通量は年々減り続けており、遮るもののない夏の景色の中を、風と一体化して走るはなかなか爽快だ。


「あそこ」


 ヘルメットを被ったすみれは顔を前方に向けたまま、大きな声で答えた。


「あそこ?」

「もう見えてる」

「え?」


 夏の空気に、潮の香りが混ざっている。カモメが数羽、羽を広げて大空を漂っていた。


 左に目を向ければ、真っ青な水平線が空と海の境界線を描いており、そこに緑の繁った島が横たわっている。


「もしかして……江ノ島?」 


 無言の背中が、私の問いかけを肯定していた。


 島の中央付近からはろうそくのような形をした建造物が、天に向かって聳え立っている。


 江ノ島シーキャンドル。旧時代に建てられた、この島を象徴する展望灯台だ。


「そっか……江ノ島……」


 江ノ島は湘南海岸から相模湾に向かって突き出した島で、日本百景にも選出されている景勝地だ。旧時代は一大観光地として広く国民に認知されている島で、神奈川県民からすれば馴染みの場所ではあるが、それゆえに実際に足を運ぶことは意外と多くはない。


 バイクは想像通り、島へと繋がる江の島大橋を渡っていく。


「さ、行こうぜ」 


 島の駐車場にバイクを停め、すみれは颯爽と歩き始めた。


 海風が強く、黄金色の髪が波打っている。私はその様子をぼんやりと眺めた。


「あれ? 江ノ島、嫌だったか?」

「ううん、風が気持ちいい」


 流れる髪を耳にかけ、私はすみれの後に続いた。


 観光案内所の脇を抜け、風雨に晒された青銅色の鳥居をくぐると、そこは江ノ島弁財天仲見世通りだ。


 江島神社に続く参道でもあり、道の両脇には旅館や飲食店、土産物店などが所狭しと軒を連ねている。既に廃業している店も散見されるが、私達以外の観光客の姿もそれなりにあり、国内観光地の中ではまだ活気を残しているほうだろう。


 露店で買った顔よりも大きなたこせんべいと奮闘するすみれを笑いつつ、私はラムネ色のソフトクリームを頬張った。清涼感のある爽やかな甘味が喉に抜け、なんだか江ノ島の海を味わっているようだ。


「ねえ、すみれ。たこせん食べたことないけど美味しいの?」

「ん」


 すみれが一部を割って、私に差し出した。


 音を立てて端を齧ると、少しピリ辛い醤油風味で、磯の香りが口の中に広がる。


「あ、香ばしくて美味しい」

「そっちもらっていいか?」

「あ、うん」


 私からソフトクリームを受け取ると、すみれは大口を開けてかぶりついた。顔を上げ、親指をぐっと立てた直後、こめかみを押さえる。  


「おぉぅ、頭が……」

「あはは、がっつきすぎ」


 二百メートルほど続く仲見世通りの終点は、鮮やかな朱色の鳥居だ。ここは江島神社の入り口でもある。


「ところで、どうして江ノ島なの?」

「んー……海に来たかったんだよ。家だと暑いし、夏と言えば海じゃん。江ノ島は昔婆ちゃんによく連れられて来てたし」


 確か江島神社に祭られた弁財天は、芸事の神様だったはず。すみれに歌を仕込んだお婆ちゃんがここを好んだのはわかる気がする。


 私達はそのまま階段を上がり、のんびりと参道を歩いた。島頂まで向かう江ノ島エスカーというエスカレーターもあるのだが、すみれは有料のエスカレーターは受け付けないらしい。江島神社には辺津宮、中津宮、奥津宮の三つの宮がある。私達は最初に位置する辺津宮の社殿にお賽銭を投げ、手を合わせた。 


 イブ計画がうまくいって世界が発展しますように、と公益的なお願い。


 そして、期末試験で努力した分の結果が出るように、と個人的なお願い。


 私は目を開けて、社殿を見上げた。


 ただ、もし本当に神様がいるのだとしたら、むしろ逆に尋ねてみたいことがある。


 あなたは、どうしてこういう世の中にしたのですか。

 ゆっくりと滅びゆくこの世界を、どういう思いで眺めていたのですか。


 参拝を終えると、すみれは少し離れた場所に立っていた。


「すみれは何をお願いしたの?」

「ま……それなりに元気でやってるから大丈夫って伝えといて、って言っといた」


 神様に伝言を頼むとは、なかなか斬新だ。


 それが、天国のお婆さんに伝わるといいな、と私は思った。


 二番目の中津宮は朱色の可愛らしい社殿だが、通りから少し逸れた場所にあるため、来たのは初めてだ。それを言うと、すみれはにやりと笑った。


「だったら、おみくじ引いてけよ」


 賽銭箱のそばにおみくじの入った箱がある。促されるまま硬貨を入れて、一枚を取り出した。ほんのりした緊張感とともに中を開くと―― 


「あれ?」


 願い事、旅行、商売、学問、などの枠は用意されているが、言葉は何も書かれていない。


「え、なんで?」


 戸惑う私を楽しそうに眺め、すみれは顎を軽くしゃくった。


「つぼみ、あっちだ」


 社殿の脇に水琴窟と書かれた看板があり、その先に小さな龍の彫像がひっそりと佇んでいる。龍の口から流れ落ちた清流が、下の手水鉢に溜まっていた。


「つけてみ」

「え、これ?」


 私は手にしたおみくじを水に浸してみた。


 すると、あぶり出しのように、紙面に黒い文字が浮かび上がってくる。


「わ、なんか出て来たっ」

「水みくじって言うんだよ。買った時には白紙で、水につけると出てくるんだ」

「へえ、面白……」


 発しかけた言葉を私は飲み込んだ。おみくじの上部中央、丸印の描かれた部分に不穏な文字が浮かび上がってきたからだ。


 凶。


「ええぇ~」

「あっはは、ここで凶出んの初めて見た」


 すみれは大笑いした後、へこんだ私に気づいて、ぽんぽんと肩を叩く。


「ま、いいじゃん。逆に貴重な体験できたじゃんか」

「あんまり嬉しくない……」


 学問の項目は、努力すればよろしとある。遊びに来ている時点で、十分な努力ができている気はしない。


 そして、願い事の項目は、二つの願いを一度に叶えようとすると良くないと書かれている。今しがた神様に二つ願いをしたばかりだというのに。


 肩を落とす私を見て、すみれはいまだ笑いを堪えるような顔のまま、明るい調子で言った。


「じゃ、海行ってみようぜ」

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