第30話 思った以上にワイルド

 抜けるような青空に、白い入道雲が沸き立っていた。


 眩しいほどの陽射しと蝉しぐれが、まるでシャワーのように容赦なく頭上に降り注いでいる。


 翌日は絵に描いたような夏日だった。


 私は熱されたアスファルトを白いサンダルで踏みしめながら、すみれの家に向かう。デートじゃあるまいし、今日はカジュアルな服装を意識してはいるが、バイクに乗せられる可能性を考慮して、一応スカートは避けている。


 空は快晴で、蝉の声は賑やかだ。しかし、街にひとけはなく、ただ暑苦しいほどの夏の風景だけがそこにある。


 それでもまだ世界は滅んでおらず、私は待ち人に会いに行っている。十年後、二十年後、イブ計画で誕生するかもしれない子供達の嬌声を思い浮かべながら。


「ええと……」


 以前訪ねた時の記憶を頼りに路地を進んだが、すぐに迷いそうになったのでスマホを取り出して地図を確認した。


 少し戻って角を曲がると、幽霊屋敷のようなアパートが目に入った。甲高い金属音を鳴らしながら軋む階段を上がり、二〇二号室の前に立つ。ドア脇のチャイムを押すと今回はすぐにドアが開いた。


「うっす」


 今日のすみれは黒いTシャツに短パン姿。以前の訪問時と似たようなラフな格好だが、さすがにフライパンは持っていなかった。薄く微笑む私を見て、すみれは首を捻った。


「どうした?」

「ううん。今回はすぐにドアが開いたなと思って。前は全然反応なかったから」

「そりゃ約束してたんだから、当然だろ」

「そうだね」


 当たり前のことだけど、それがなんだか嬉しく感じる。


 すみれは一瞬訝しげな表情を浮かべ、ドアを大きく押し開けた。


「ほら。狭いとこだけど、入って」

「お邪魔します」


 玄関でサンダルを脱いで、中に足を踏み入れた。


「うわ~」

「なんだよ、うわ~って」

「いや、だって、思った以上にワイルドだったから」

「それ褒めてないよな?」


 間取りは1DKで、くたくたの布団が部屋の端に乱雑にたたまれている。その脇に洋服が下着も含めてまとめて積みあげられており、倒れ掛かった服の山の下に潰されるようにして、ノートパソコンらしきものが見える。


「これでもちょっとは掃除したんだよ」

「え、本当?」


 だとしたら、掃除前は一体どういう状況だったのだろう。戦々恐々としながら室内を見渡すと、ある一点で目が止まった。奥の壁に小さな神棚が備え付けられており、そこに一枚の肖像写真が飾られてあった。


 写っているのは、上品そうに微笑む老齢の女性だ。鮮やかなブロンドへアーに青い瞳、掘りが深くて、まさに英国の貴婦人といった様相である。


「あの人は?」

「ん? 婆ちゃん」

「えええっ?」


 私は思わず大声を出した。


「なんだよ、そんな驚くことか?」

「だって、全然そういうイメージじゃなかったから」


 中卒だったとか、バイクを乗り回していたとか、子供に演歌を仕込んだとか、旧世代の肝っ玉お婆ちゃんという印象で、まさか外国人だとは考えもしなかった。


「ま、性格はそこらのおばちゃんより豪快だったけどな。イギリスから来日したのも何十年も前らしいし。もう英語忘れたとかぬかしてたし」

「へえ……? ということは、すみれってハーフなの?」

「いや、婆ちゃんが外国人だから、あたしはクォーター」

「あ、そっか」


 クォーター。私はすみれをまじまじと見つめた。


「なんだよ?」

「いや、クォーターの人って初めて間近で見たから」


 そういえば、今日のすみれの瞳はうっすら青みがかっている。初めてここに来た時もそう感じた気がするが、動物園やバーガーショップで会った時は特に気にならなかった。


「外行く時は眩しくてカラコンつけてっから。髪も中学の頃は黒く染めてたし。普通あたしみたいなクォーターは目の色は青くならないらしいんだけど、遺伝の関係でそういうこともあるって」

「え、じゃあ、今の金髪は地毛なの?」

「ううん、地毛はもうちょっと茶色。今は逆に金髪に染めてる。学校行ってた時はいっつも黒くしてたから反動だな」

「……なんか、すごいね」

「別にすごくないだろ。あたしが努力してそうなった訳じゃないし」

「だって、会うたびに意外な事実が明らかになるんだもの。他にはどんな秘密があるの?」 

「いや、そんなのないって」


 手を顔の前で振りながら、すみれはぷっと噴き出した。


「どうしたの?」

「ああ。今までクォーターって言うと、微妙に距離取られることが多かったんだけど、他にどんな秘密があるかなんて聞かれたの初めてだからさ」


 さばさばとしたすみれの表情の裏に、ふとこれまでの苦労が見えた気がする。


 お母さんがいなくて、お婆ちゃんが外国人。集団に溶け込みにくいであろうことは、私にだって容易に想像がついた。祖母が自分を高校に行かせたかったのは、頼れる相手を作って欲しかったんじゃないか、と以前すみれは言っていた。


 私は極力いつもの調子で、鞄を目の前に持ち上げる。


「じゃ、ごめん。ちょっとだけ勉強させてもらっていい?」


 居間兼寝室には机がないため、私はダイニングのテーブルに勉強道具を広げた。


「あ、そういやエアコン」


 すみれは思い出したように居間に向かい、積み上げられた洋服の山を漁り始める。


「あの、何やってるの?」

「確かリモコンがこの辺にあった気がするんだよな。しばらく使ってないからさ」

「え、大丈夫? 電池ある?」

「そこは任せろ。昨日のうちに買っといた」


 すみれは得意げに親指を立て、ようやく発掘したリモコンに電池を入れた。 


 ぴっという電子音とともに、年代物のエアコンが長い眠りから目を覚ます。


 がががががが、と明らかに正常とはかけ離れた危険な音が送風口から漏れ出した。


 異音を垂れ流すエアコンを眺め、すみれは肩をすくめる。


「こんなんだっけな。ま、いっか」

「いや、絶対駄目でしょ……!」


 エアコンは明らかに故障していた。結局、私達は窓を全開にして、扇風機を使って暑さをごまかすことにした。


「悪い……」


 すみれはしゅんとした様子で、両手をこすり合わせる。

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