第25話 誰かに借りを作るのが嫌なんだ

「お……」


 バーガー屋で出会ったすみれは少し驚いた様子で顔を上げる。

 今日はよく会う日だ。


 アルバイトはもう終わったらしく、キャップ帽にジーパンというラフな格好をしている。


 葵が感激した風に、すみれに寄って行った。


「浅川さん。さっき挨拶できなかったけど、私同じクラスの榎本。めっっっちゃ歌うまいね。まだ余韻が残ってる」

「お、おお……」


 戸惑い気味のすみれに、次は水野先輩が声をかける。


「うちのお騒がせ女がごめんねー。大丈夫だった?」

「お騒がせ女ってのは私のことか? ほら、皆もう行くぞ。私は彼女なんか知らないし、見たことも話したこともない」


 部長はそう言って葵と水野先輩の手を引っ張る。どうやら約束を守ってくれようとしているようだ。すみれは何とも言えない顔で軽く頷き、キャップ帽を被りなおしてバーガーショップの二階へと消えて行った。


 外に出た後、立ち止まった私を葵が振り返る。


「つぼみ、帰らないの?」

「あ、ごめん、ちょっと先に行っといて」


 私は皆に言って踵を返し、バーガーショップの階段を駆け足で上った。


 目的の人物は奥の窓際席にいる。


「すみれ」


 声をかけると、すみれはハンバーガーを咥えたまま、軽く手を挙げる。


「をふ」

「ごめんね。あそこで働いてるなんて知らなくて」


 なんとなく声をかけそびれていたが、元々は私が歌で恋愛を知ろうなどと提案したことが発端だったため、一言謝っておこうと思ったのだ。 


「ああ、いや……あたしもうっかりしてたし」


 すみれはバーガーを口から離して、唇についたソースを手の甲で拭う。


 普段は厨房担当なので利用客とは顔を合わせないらしいが、今日はたまたま接客担当に休みが出て代役を務めることになったそうだ。運悪くそのタイミングで同じ学校の生徒と遭遇してしまったことになる。


「そっか……ごめん」

「いいって。つぼみのせいじゃないし」


 淡々と答える様は、本当にもう気にしていない様子だったので、私はそれ以上謝るのは辞めて、別のことを伝えることにした。


「それにしても、本当に歌上手いね。なんであんなに上手いの?」

「別に上手くないけど」

「上手いって。びっくりしたもん」


 部長と水野先輩が途中までデュエットしていた一曲目のロック調の音楽は、私が想像した通り少し低めなすみれの声がよく合っていた。二曲目のキラキラした曲も意外と見事に歌いこなしていたし、特に圧巻は三曲目の演歌だ。


「なんだっけ? 天城越え?」

「ああ、婆ちゃんに仕込まれたんだ。元々あたしを歌手にしたかったらしくてさ」


 また、新たな一面が明らかになった。


 恋愛の歌に妙に実感がこもっていると水野先輩が言っていたことを思い出す。あれは祖母による特訓の賜物だろうか。それとも――


 すみれは特に何でもないといった風に、食べかけのバーガーを手に取る。よく見たら肉が二重になったビッグサイズで、トレイには他にもLサイズのポテトも置いてある。こんなに食べて夕飯が入るのだろうかと一瞬感じたが、彼女は一人暮らしだったことに思い至った。


 祖母に歌を仕込まれていたという意外な事実をいまだ咀嚼できていないが、夕食を中断させるのも悪いので、私はその場を離れることにした。


「それじゃあ。部長はああ見えても約束は守る人だから安心して」

「つぼみ」


 名前を呼ばれて立ち止まる。振り返ると、すみれはバーガーを片手で持ったまま言った。


「学校……楽しいか?」

「え、どうして?」

「なんかカラオケで楽しそうだったから」


 ちょうど別の女子高生の集団がわいわいと話しながら二階にやってきて、すみれの最期の言葉はよく聞こえなかった。聞き取ろうと近づくと、すみれはバーガーをもう一度トレイに戻して窓の外に視線を向ける。


「終業式の日に、学校に行くよ」

「本当っ?」


 声を弾ませた私に、すみれは軽く頷いてこう続けた。


「で、辞めるって言おうと思って」

「え……」


 私は息を呑んだ。


 すみれは一学期の最初にいただけで、彼女のいない学校生活がある意味では当たり前になってしまっている。それでも、唐突な宣言に手足の先が少し冷たくなった気がした。ごくりと喉を鳴らして、私はなんとか言葉を継ぐ。


「あの……もうちょっと待ってみたら? 今日のニュース知ってる? イブ計画だって上手くいきそうなんだよ」


 私達の歩く先に道が続くのだとしたら、学校で学んでいることだって無駄にならない。


 どうせ世界が終わってしまうのだと、刹那的に生きる必要はなくなる。


 すみれはしかし、落ち着いた様子で淡々と口を開いた。


「叔母さんからアメリカに来るように言われてんだ」

「え……?」


 叔母さんというのは確か亡くなったお母さんの妹で、今の保護者だと聞いた気がする。そういえばアメリカに住んでいると言っていた。


「ただ、あたしと叔母さん、あんまり関係がよくなくてさ。世話になる気はないんだ。それ言ったら喧嘩になって、終業式の日に一時帰国して担任と三者面談することになった」 

「じゃ、じゃあ、アメリカには行かないんだよね? だったら学校は辞めなくても……」

「婆ちゃんの遺産だって沢山ある訳じゃないし、叔母さんに学費や生活費で迷惑かけたくないんだよ」


 誰かに借りを作るのが嫌なんだ、とすみれが動物園で言っていたことを思い出す。


「でも――」

「バイトの件も、本当はもう学校にばれてもいいんだけど、叔母さんに連絡がいくのが面倒なんだ。だから、ええと、あの眼鏡の先輩には黙ってくれることを感謝してるって伝えといてくれ」

「……」


 その後、自分がなんと言ったのかは覚えていない。


 気がつけば、外で待っていてくれた報道部のメンバーと合流し、帰り道を歩いていた。


 身体にまとわりつく息苦しいほどの熱気が、本格的な夏の到来を告げようとしていた。

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