第15話 やめるか迷ってんだよね
太陽が傾きかけた頃、私達は浅川さんのバイクが停まった駐車場へと戻ってきた。
「もうちょっと粘れよなぁ……」
ヘルメットを被りながら、浅川さんはぼやく。
結局、再訪したハシビロコウは、五分と経たずに羽ばたきを始め、私の目の前で空中を飛んだ。
自分は一時間も待ったのに、たった五分で飛翔する姿を私に晒したことがどうやら面白くないらしい。ハシビロコウが飛んだ瞬間の、「え~」という浅川さんの拍子抜けした声を思い出すとなんだかおかしくなる。
家まで送ってくれるとのことで、私は帰りも彼女の腰にしがみつくことになった。
バイクは獣のように空に吠えながら、夕暮れの街を疾走していく。
ビルも、車も、人も、世界は等しく茜色に染まっていた。
来た時に比べると、少しだけ余裕を持って辺りを見渡すことができた私は、赤信号で停まった瞬間、同級生の背中に呼びかけた。
「あの、今日はありがとう」
浅川さんはちらりと後ろを振り向いて私に尋ねた。
「楽しかった?」
「あ、うん。動物園なんて久しぶりだったし。ハシビロコウが飛ぶのも見れたし」
急に聞かれて一瞬戸惑ったが、とりあえず今の素直な感想を告げる。ヘルメットを被った浅川さんは上機嫌なのか不機嫌なのかわからない表情で頷いた。
「じゃ、これで貸し借りなしな」
そういえば、そういう話だった。
「うん。あと――」
言いかけた時、信号が青に変わり、バイクは再び唸り声をあげて加速する。
そのまま十分近く走った後、次の赤信号で浅川さんは前を向いたまま声を出した。
「何?」
「え?」
「さっきなんか言いかけただろ」
「あ、ううん、大丈夫」
私が首を横に振ると、しばらく沈黙した後、浅川さんはそのままの姿勢で言った。
「学校さ、やめるか迷ってんだよね」
どきん、とした。
私が不登校のことを尋ねようとしたのを察したようだ。
「もともと婆ちゃんのために行ってたようなもんだけど、婆ちゃん死んじゃったしな」
「そう、なんだ……」
信号が変わり、バイクはまた獰猛な獣へと変容する。
スピードが速い。私は振り落とされないように浅川さんの腰にまわした手に力を込めた。
次の信号で、浅川さんは淡々とした様子で続きを口にする。
「うち小さい頃に母親が死んで、婆ちゃんに育てられたんだ。婆ちゃん中卒だったから、あたしにはどうしても高校に行って欲しかったみたいでさ」
しかし、その祖母も孫の高校入学を見届けた後、五月に亡くなったと言う。
その後は母の妹である叔母が保護者という扱いにはなっているが、今はアメリカに住んでいる上に、もともと疎遠だったみたいで、あまり連絡を取ることはないようだ。
「それは、悲しいね」
浅川さんは中間テスト明けから学校に来なくなった。ずっと二人で暮らしてきた祖母が亡くなったのだから、ショックを受けても仕方がない。
そう思ったが、浅川さんは予想外にからからと笑った。
「まあ、悲しいっちゃ悲しいけど、それまでムカつくくらい元気だったのにある日ぽっくり逝ってさ。突然すぎて悲しむ間もなく色々過ぎた感じで、婆ちゃんらしいって言うか、あたしも死ぬ時はああいうのがいいね」
何十年後になるかわからないが、私達もいつか必ず死ぬ。
そして、人類最後の世代である私達に、悲しんでくれる遺族はいない。
「でも、それで急に気が抜けたっつーか。多分、婆ちゃんがあたしを高校に行かせたかったのは、頼れる相手を作って欲しかったんじゃないかって思うんだよ。先のない時代だし、友達くらいいないと本当に一人になるからって。だけど、あたしこんなんだから、高校行ったところで友達できる訳じゃないし」
「……」
私が無言になると、浅川さんは自身がまたがったバイクをぽんと叩く。
「ま、悪いことばかりでもないけどな。不登校になったおかげでこれが取れたし」
「これ?」
「免許取りに行ってたんだ。十六になったから」
「は?」
不登校の意外すぎる理由が明らかになったところで、バイクは何度目かの加速を始める。
「免許? 免許を取るために学校来なかったの?」
「これもともと婆ちゃんのバイクだったんだよ。他人に売り渡す気にならなかったし、廃車にするのも勿体ないじゃん。前からバイク乗ってみたかったし、ちょうどいい機会だなって」
「お婆ちゃんのバイク……」
随分と豪快なお婆ちゃんだったらしい。
次の信号で、浅川さんはさも当たり前のように言った。
「もともと高校卒業したら、金貯めて世界を旅してまわるつもりだったし、それが早まったって考えればいっかって」
唐突に語られた壮大な目標に私は息を飲み、ようやく次の一言を発した。
「で、でも、今じゃなくても」
「甘いぜ、委員長。そんな悠長なこと言ってたら、何もできなくなるぞ。飛行機だっていつまで飛ぶかわかんないしさ」
ただ、祖母の願いは叶えてあげたいという気持ちも残っていて、高校退学を決めかねていると浅川さんは言った。前期の授業料は祖母が生前払っており、学校に籍はある。まだ高校に残る可能性もあるため、私にバイトのことを口外しないように頼んだのだと。
「ま、でも、現実的に厳しーな。金に余裕ないし。それに頑張ったところで未来がある訳でもないし」
「……」
どこか諦念を含んだ物言いに対し、何かを返そうとしたが、私はうまい言葉を見つけられなかった。
世界中の国が、今はいずれ新世代が誕生するための準備期間だと謳っている。イブ計画は必ず上手くいくと説明している。だが、電気の供給エリアは毎年狭まり、電車の本数はどんどん減り、都内でやっている動物園はいつの間にか上野だけになっている。
「もうさ、人の時代は幕が下りる一歩手前に入ってるんだよ」
彼女の言葉に呼応するように、天蓋を覆う黄昏が濃さを一層増していった。
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