第8話 壁ドンですね!

 翌日の放課後。

 鞄に教科書を詰め込む私の肩に、幼馴染の手がぽんと乗せられた。


「どうしたの、つぼみ。今日元気なさそうじゃん」

「え、そうかな。そんなことないよ」


 答えると、葵は私の肩をそのままもみもみと揉み始める。


「あ、わかった。そういえば昨日浅川さんのとこ行ったんだよね。何か事件があったんだ」

「事件なんてないって」


 右肩を揉み揉み。硬直した筋肉が徐々にほぐされていく。


「本当に? もしかして因縁つけられた?」

「プリント届けに行っただけだから」


 今度は左肩を揉み揉みされる。葵はつぼを押さえるのが上手い。


「かつあげされたりしてない?」

「いつの時代の話よ」


 私は苦笑しながら言った。


 男がいた時代。とりわけこの国がまだ元気だった頃には、街を歩けば奇抜な格好をした男の集団に金を脅し取られる事件も少なくなかったようだ。戦争を起こし、暴力を振るい、金をむしり取る。そんな無秩序な生き物が放し飼いになっていた時代があったというのが今では信じられない。


 葵は私の肩から手を放し、小首を傾けた。


「ならいいけどさ。それで、浅川さん結局どうして学校来てないの?」

「んー、よくわからない。そのうち行くとは言ってたけど」


 かつあげはされていないが、邪険にされたのは確かだろう。彼女にとって私は招かざる客だった。


 一応、担任の松永先生には、昨日の来訪についての報告はしてある。不登校の理由は聞き出せなかったことも伝えたが、先生は落胆することなく私に労いの言葉をかけ、とりあえず無事が確認できてよかったと安堵していた。近いうちに自ら訪問してみるらしい。


「ふぅん……ちなみに、つぼみは今日も部活だよね?」 

「うん、まあ……」

「あれ、急に声に力がなくなった。もしかして元気がないのは報道部が原因? 部長にかつあげされた?」 

「もう、葵」


 私は肩をすくめて、昨日の部長の思いつきを説明した。


『誘惑★アフタースクール』を鞄から取り出して見せると、葵はそれを興味深そうにぱらぱらとめくる。


「あ、これ、私知ってる」

「そうなの? 有名?」

「有名有名。主人公の相手が、それまでの王道だった王子様系じゃなくて野獣系男子だったというので話題になったんじゃなかったっけ。確かドラマ化もされてたはず」


 葵は意外と旧時代のサブカルチャーに詳しい。私は何度か瞬きをした。


「野獣系……男子?」 

「うん、野獣」

「野(の)の獣?」

「そう、野の獣」

「それがいいの? なんで? 普通に危なくない? 檻に入れておかなくていいの?」

「檻って。昔の女子は、その危ない感じがよかったみたいだよ」


 葵はそう言うと、両腕を高く持ち上げ、ずいと私に近づいた。


「がおーっ! 食べちゃうぞ!」


 幼馴染の様子がおかしくなった。帰り支度をしていた他のクラスメイトから戸惑いを含んだ視線が注がれるが、葵は仁王立ちする熊のように両手を広げたまま微動だにしない。


「ええと……葵?」


 両腕を目一杯持ち上げた葵は、しばらくその姿勢でいた後、ようやく表情を崩した。


「どう? どきどきした?」

「し、しない……」

「しませんか~」


 葵は息を吐いて腕を下ろし、机に置いた『誘惑★アフタースクール』を私に差し出す。


「残念ですが、つぼみさんは野獣系男子に適性がないみたいです」

「わ、わからないけど……そうかも」


 と言うか、適性ある女子なんているのか。だって野獣だぞ。


 当惑する私を眺めて、葵はつぶやいた。 


「それにしても、あの部長が恋愛を知りたいだなんてねぇ」

「う~ん、あくまで記者としての好奇心からみたいだけど。部長いつも突然変なことを思いつくから」

「でも、なんか面白そう。ね、今日は私も報道部に顔出していい?」

「葵も部員なんだから勿論いいと思うけど、バド部は?」

「今週は休みになった。部長の気が乗らないんだって」


 葵はさらりと当校の自由な校風を口にする。

 放課後の廊下を進み、二人して部室のドアを開いた。


「え?」


 そこで目にした光景に私は思わず声を出す。


 壁際に小柄なあやめの姿。彼女はまるで凶暴な猫を前にした鼠のように怯えきった顔をしている。そして、彼女の正面には、肉食獣のごとく獰猛な表情を浮かべ、あやめに覆いかぶさるかのように両手を壁についた上背のある女の姿があった。


 肉食獣、もとい大橋部長の視線がこちらを向く。


「やあ、花守君。今日は幽霊部員の榎本君も一緒か」

「はい、幽霊部員も来ました!」

「あの、部長。何やってるんですか?」


 思わず尋ねると、奥の席にいる水野先輩が呆れた調子で言った。 


「恋愛を知るために、少女漫画と同じ行動をとってみるんだって。馬鹿みたいでしょ」

「ふん。道を切り拓く者は、常にその道中は嘲笑の対象になるものだ。だが、私は気にしない。その手の話では、大体最後は開拓者を笑った奴が不幸になって死ぬ」

「ちょ、ひどっ」


 水野先輩が口を尖らせる前で、葵が嬉しそうに右手を挙げた。


「私、わかりました! 部長がやってるのは壁ドンですね!」

「そうだ。榎本君やるじゃないか」


 部長はにやりと笑って頷く。


 確かに『誘惑★アフタースクール』にもそういう描写があった。


 部長の目が再びあやめに向いた。


「さあ、どうだ、海老沢君? 恋愛感情が生まれたか?」

「い、いえ、怖いですぅ」

「よーし、いいぞっ。それこそが恋愛感情だ」

「ほ、ほ、本当ですか?」

「ああ、本当だ。海老沢君は吊り橋効果を知ってるか?」

「し、知りませぇん」

「吊り橋のような危険な場所で告白すると、うまくいきやすいという旧時代の習わしだ。恐怖と恋愛感情は紙一重。故に海老沢君が今感じているのは実は恋愛感情――」

「いや、どう見ても海老沢が感じてるのは純粋な恐怖だって」


 冷静に横やりを入れる水野先輩をじろりと睨むと、部長は渋々腕を下ろした。


「やはり、そう簡単にはいかないか……」


 部長の包囲が解けると、あやめは這うようにしてその場を離れる。


 残念そうに溜め息をつき、椅子に座った部長は、今度は私に目を向けた。


「で、花守君。課題図書は読んだか?」

「あ、はい、一応」


 私は頷いて、鞄から『誘惑★アフタースクール』を取り出した。


「恋愛について理解できたかね」

「それが、あまり……」


 部長は回答を予測していたのか、特に落胆する様子はない。


「まあ、そうだな。さすがに漫画を読んだ程度で理解できるとは私も思っていないさ」

「部長。もし恋愛について知りたければ、少女漫画を頼るより親世代に詳しく尋ねてみるのはどうでしょう」


 男のいた時代に生きていた彼女達は、恋愛を経験した者も多いだろう。過去にお姉ちゃんとお母さんがそういう話をしていたことはあったが、私は現実的がなくあまり興味を持って聞いていなかった。


 しかし、大橋部長は緩く首を振った。 


「それも考えたが、せっかくの未知の感情だからな。経験者への取材で下手な先入観を持つ前に、まずは自ら経験してみたいんだ」

「だからって、旧時代の少女漫画の真似事しても仕方なくない?」


 水野先輩の突っ込みに、部長は軽く鼻を鳴らす。


「私はそうは思わないな。少女漫画は当時の女子の憧れの恋愛を凝縮したものだろう。そこには何かしら重要なエッセンスが含まれているはずだ。そもそも批判はやってみた者だけが口にすべきで、開拓者を嘲笑う者は決まって最後は不幸に――」

「わかった、わかったわよ。だからその不吉な予言やめてよ」


 部長と水野先輩がいつものようにやり合っていると、葵がもう一度右手を高々と挙げた。 


「面白そう。部長、私も少女漫画の真似やってみていいですか?」

「勿論だとも。サンプルは多いほうがいい」

「ちょっと、葵」


 幼馴染をたしなめると、彼女はにこにこと笑いながら答えた。


「いいじゃん。何事も経験だって。それで部長、次は何をするんですか?」

「ふむ、そうだな……」


 部長は『誘惑★アフタースクール』を手に取り、ぱらぱらとめくった。


 そして、主人公と不良男子が初めて外に出かけるシーンを開いて、こちらに見せた。


「デート、というやつでもでもしてみるか」

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