第2話 彼氏はいたんですかぁ?

「事の発端は十七年前の今日だった」


 黒板の前に立つ教師の声が、朝の教室に朗々と響き渡った。


 担任の松永みのり先生。


 さっぱりとした短髪に、きりりとした眉。これぞ体育教師の制服と言わんばかりに、いつも同じ柄のジャージを着ている。


「午前八時五十六分。アリゾナ州の南部に小さな隕石が衝突した」


 松永先生は生徒達一人一人の顔を見回しながら言った。


 毎年この日のホームルームは、十七年前に起こった出来事を、担任が解説する時間に当てられている。


 当時は名前すらついていなかったその隕石の衝突は、落下場所が砂漠だったこともあり、幸い人類に直接的な被害は与えず、少しだけ珍しい日常の一つのニュースとして過ぎ去っていくはずだった。 


 だが、宇宙からの飛来物は、実はとんでもない死神を運んで来ていた。


「それが、KYウイルスだ」


 担任は敢えてゆっくりしたトーンで、その名を口にする。


 砂塵とともに巻き上がったのは、隕石に付着していた未知のウイルス。厳密にはウイルスとも断定しにくい謎の病原体らしいが、便宜上ウイルスと呼称されている。


 人間の遺伝子は二十三対の染色体で構成されており、その中で性を決定づける性染色体というものがある。性染色体はXとYの二種類があり、XXの組み合わせならば女が、XYならば男が生まれる。


 このウイルスは人間に広く感染するが、発症にはY染色体が関与しているらしく、数ヶ月という長い潜伏期間の後、男にだけ発症して宿主を死に至らしめるものだった。


 ちなみにKYウイルスというのはキラーYウイルスの略らしい。外国で命名されたので仕方がないが、もう少し他の名前はなかったのかと思う。まあ実際、一切空気を読まずに人類の半分を奪い去っていった訳だが。


「異変に気づいた時には全てが手遅れだった。ウイルスは既に空気感染で世界中に広がっており、隕石衝突から一年も経たないうちに世の男性性を持つ人類は絶滅した」


 そうして、人間の世界には女だけが残った。


 松永先生は、生徒達をもう一度見渡して言った。


「ま、私も君達も、二分の一の確率で今こうして息をしている訳だ」


 教室は静かだ。


 漂う空気に混じるのは、驚きによる緊張というより、慣れによる弛緩。


 恐怖の大魔王たるウイルス襲来は、歴史の転換点になった大事件だが、子供の頃から何度も聞かされてきた話なので今さら誰も反応しない。特に私達の世代はお母さんのお腹の中にいたので、男という生き物を直接見た記憶がないのだ。


 生まれた時からこういう世界だったから、極論すれば歴史の授業で大化の改新や明治維新を習っているのと大差はない。


 実際、隣の席の葵は、両手で頬杖をついている。


 色素の薄いショートカットの髪。猫のような癖毛が、六月の陽光を浴びてきらきらと輝いていた。


 あ、今、大きなあくびをした。   


「おい、榎本。いい度胸だな」


 松永先生の鋭い声が飛ぶ。


 葵は咄嗟に左手で口を押さえ、言い訳するように右手を挙げた。


「あ、すいません。その、昨日は徹夜で勉強してて~」

「それはいい心がけだ。では、この後、社会にどういう影響があったのかよく知っているな」

「ええと…………なんか、色々大変だった」

「よく勉強しているな」


 松永先生が嘆息し、葵は首を小さく引っ込める。


 一瞬目が合い、彼女はぺろっと舌を出した。


「では、花守。代わりに答えなさい」

「あ、はい」


 急に当てられて、私は顔を教師に向ける。


 一応、委員長という役職についているせいで、こういう時には高確率で指名が来る。


「それまで主に男性が担っていた仕事が滞って、社会が機能不全に陥りました」

「その通りだ。最初の数年は、まあひどい混乱ぶりだった。なんせ世界人口の半分が短期間で消えてしまった訳だからな。特に日本は多くの組織が男中心に運営されていたから、他の先進国と比べても社会が安定するのに随分と時間がかかった」


 今は当然ながら全ての社会活動は女によって担われているので、男が中心に社会を回していたと言われてもあまりピンとこない。


「要は色々大変だったんですよね。大体合ってるじゃないですかぁ」


 葵が不満げに抗議したが、松永先生は無視した。


 政治や経済、技術職に建築業、農業、漁業、畜産業に至るまで。男達はそれらの知識や技術を女達に十分に継承する間もなく、この世界から姿を消した。


 当初は火葬場も墓も足りず、やむを得ず放置された遺体で街は地獄絵図と化し、その後もあらゆる産業で人手が不足した。電気や水といったライフラインの供給が滞り、道路のひび割れ程度は放置され、トイレやエアコンの修理は遅れに遅れ、医療の世界では多くの手術が予定通りにできなくなった。スーパーに並ぶ食材は極端に減り、しばらくは肉や魚がまともに手に入らず、危うく強制的にベジタリアンになるところだったと担任は笑った。   


 この辺りの混乱は、幼児だった私達も多少は経験しているはずだが、あまり記憶にない。それ以前の世界を知らないため、そんなものだと受け入れていたのだろう。


「きつい仕事や、危険な仕事、そういった役回りを男達が担うことで社会のインフラが保たれていたことを、我々は思い知る訳だが、それでも彼らが担っていた仕事を少しずつ学んで、分担して、徐々に暮らしを立て直し、なんとか女だけの社会を作り上げていった」


 松永先生は黒板の前をゆっくり歩きながら口を開いた。


「いまだに混乱はあるが、いい変化もあった。戦争が終わり、犯罪が減ったことだ」


 隕石衝突前は、四六時中あちこちで争いが起きていたが、兵士を根こそぎ失った国々は戦争どころではなくなり、暴力事件も激減した。


 そもそも人類が半減し、男が死滅したことで繁殖もできなくなった。人口が右肩下がりの世の中で、もはや争う意味もない。当時のイギリスやドイツの女性首相、アメリカの女性副大統領などがリーダーシップを取り、世界に調和と友好を呼び掛けた。


 そんな世の中で女達が選択したのは、普通に生きる、ということだ。


「朝起きて、自身の勤めを果たし、食事をして、よく眠る」


 無論、人口減少に合わせた各種制度や法律の調整は随時行われているが、古来より営んできた人間としての生活を可能な限り続ける、というのが国家の方針だ。


「今も世界中の科学者が研究に明け暮れている。お前達の次の世代が誕生するのもそう遠くはないはずだ」


 その日のために、未来の子供達のために、私達は学び、働き、この世界を維持する。


 実際、イブ計画と呼ばれる国際研究チームによる次世代の生命誕生プロジェクトが佳境を迎えているというニュースは耳にするが、未だに人類に新たな世代が産まれたという話は聞かないし、私達は依然として終末の世代のままだ。


 松永先生は壁の時計を確認した。


「最後に何か質問は?」


 隣席の葵が、おもむろに右手を挙げた。


 さっき怒られたばかりなのにめげない娘だ。


 松永先生が面倒臭そうに指名すると、葵はおずおずと口を開いた。


「あのぉ、先生が私達くらいの時は、世界に男がいたんですよね」

「計算上はそうなるな」

「彼氏はいたんですかぁ?」 

「質問時間はもっと有効に使え」


 松永先生の軽い叱責の声と同時に、街にサイレンが鳴り響いた。


「黙祷――」


 担任の合図で、私は記憶にもない異性というものにどういう感慨を抱いていいかもわからないまま目を閉じる。


 男の絶滅後には世界の全てが変わったと教科書には書いてある。


 戦争や紛争はほとんどなくなった。


 殺人事件や暴行事件も激減した。


 窃盗事件やクレームは今でもちょくちょく耳にする。


 女が支配し、女が動かす社会。


 生まれた時からそうだから、これといって思うところはない。


 ただ――


 花は育ち、実をつけ、咲き誇り、散った後は土に還り、次の命の糧になる。


 だけど、私達の後に、咲く花はないのだ。


 咲いて、散って、そして――後に一体何が残るというのだろう。

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