第38話
自然と音羽と涼の視線が窓へと向く。するとそこには片足を窓の桟にかけてこちらに身を乗り出している瑠衣の姿があった。彼女は音羽たちに気づくと「あー……」と呟き、ヘラッと誤魔化すような笑みを浮かべた。
「お邪魔だった感じ?」
瞬間、涼が「なに? 誰? 不審者?」と声を上げた。そして動揺した様子で「通報! 通報しないと」と立ち上がった。慌てて音羽も立ち上がり、彼女の肩を掴んで「静かに」と口を塞いだ。涼は驚きのあまりか動きをとめ、目を大きく見開きながら音羽を見ている。そして苦しそうに表情を歪ませた。
「静かにして。いい?」
耳元で囁いた音羽の言葉に涼は呻きながら頷いた。それを確認して音羽はそっと彼女から手を放す。涼は荒く呼吸を繰り返しながら真っ赤な顔で音羽を見つめてきた。
「よっと……」
そんな音羽たちにかまわず、瑠衣は部屋の中に入る。そして脱いだ靴を窓の近くに置いていたビニール袋に入れた。
「なに? 誰なの? なんでそんな堂々と入ってきてるの? ねえ、崎山さん!」
まだ荒く呼吸を繰り返しながら涼が瑠衣を指差す。そんな涼を冷めた目で見ながら瑠衣は「なー、音羽。こいつ、うるさいんだけど。何なの?」と音羽の隣にドカッと腰を下ろした。
「何なのって。それはこっちが言いたいんだけど? ていうか、なんでそんな当然のように彼女の隣に座ってるの? あんた一体なんのつもりで――」
「下村さん、ちょっと落ち着いて。声、大きいから」
「でも……」
言いかけた涼はハッとしたように「崎山さん」と目を大きく見開いた。
「あなた、まさかこの男が原因で様子がおかしかったの? さっきの電話の相手もこの男?」
「え?」
音羽はきょとんとして彼女を見返す。彼女は「だって」と続ける。
「こんなさも当然のように部屋に入れて。わかってる? ここって女子校の寮なの。男子禁制なの! それなのに――」
「下村さん、ストップ。誤解が一つあるよ」
音羽は軽く手を叩いて彼女の言葉を止めた。そして瑠衣の両肩を掴んでグイッと涼の方へと押し出す。
「この子、こう見えて女の子だから。宮守瑠衣ちゃん。理亜の妹」
涼は眉を寄せて音羽を見つめ、そしてその視線を瑠衣へと移した。
「……妹? 誰が」
「今の流れで俺以外に誰がいる?」
涼はじっと瑠衣を見つめていたが、やがて眉間に皺を寄せながら額に片手をあてた。そしてぎこちない動きで瑠衣を指差し、音羽を見る。
「えっと、妹?」
音羽は頷く。
「そう」
「女の子?」
「うん。女の子」
「ウソ」
「なんでウソつく必要があるんだよ。俺は正真正銘、理亜の妹だよ」
「じゃ、ちょっと確かめさせて」
言うが早いか涼は瑠衣に近づくと彼女のジーパンに手を伸ばした。
「は?」
呆気にとられた瑠衣は彼女の手が自分の股の部分に触れている事に気づいて悲鳴を上げる。その声は紛れもない女の子のものだった。
「ほんと。女の子ね」
「おま、おまえ! な、なんてとこ触ってんだよ!」
跳ぶように涼から離れた瑠衣は音羽の背中にピッタリくっついて怒鳴った。顔が真っ赤だ。しかし涼はまったく悪びれた様子もなく「だって、胸触ってもよくわからなさそうだったし」と肩をすくめる。
「確かめるのなら下の方が確実でしょ?」
「……音羽、こいつヤバいぞ。気をつけろ。貞操の危機だ」
音羽の背中にくっついたまま震える声で瑠衣が言う。そんな彼女を冷めた目で見ながら涼は「それで?」と腕を組んだ。
「女子だってことはわかったけど部外者でしょ? どうしてここにいるの? まるで我が家かのように入ってきたけど」
「ああ、うん。瑠衣ちゃん、いまちょっと家出中で。行くところがないっていうから少しの間泊めてあげてたの。ごめんね、規則破って」
「……崎山さんって、そういう破天荒なところがあるのね。しかも反省が軽いし。一つ、あなたの新しい一面を知った気がする」
涼はため息を吐きながらそう言うと、キッと瑠衣に視線を向けた。
「あなた、中学生?」
「だったら何だよ」
「中学生で家出とか何考えてるの。早く家に帰りなさいよ。お姉さんのことだってあるのに。ご両親が可哀想でしょ」
「うるせえよ。他人が口出しすんな」
瑠衣は舌打ちをすると「んなことより、これ。あんたのスマホ?」とテーブルの上に置きっぱなしになっていた涼のスマホを手に取って、その場に腰を下ろした。
「そうだけど」
頷きながら涼も座ったので、とりあえず音羽も腰を下ろす。瑠衣は「なんでこの画像、お前が持ってんの」とスマホの画面を涼に突きつけた。そこには美琴の画像が表示されたままだ。しかし、涼は探るような視線を瑠衣に向けただけで答えない。瑠衣は舌打ちをして音羽を見る。
「喋ったのか? 美琴のこと」
「喋ってない」
「わたしが勝手に調べたの」
涼の言葉に瑠衣はピクリと眉を動かす。
「あなたも知ってるのね。香澄美琴のこと」
瑠衣は自分の失言を悟ったのか、大きく舌打ちをした。
「香澄美琴と宮守理亜。どういう関係なの?」
涼の口調は静かだ。瑠衣は無表情に彼女を見つめている。涼はそんな瑠衣を見返し、そして音羽へと視線を移す。音羽も瑠衣も、何も話さない。そう悟ったのか「いいわ」と涼は静かに立ち上がった。
「彼女に会いに行くから」
「やめろ」
低く、鋭い声。瑠衣は「さっきも言ったけどな」と涼を睨み上げる。
「他人が人の家のことに口出すんじゃねえよ。お前には何も関係ないだろ」
「なによ」
涼も瑠衣をにらみ返す。
「他人? だったら崎山さんは? 彼女だって他人でしょ」
「音羽は、いいんだよ」
瑠衣はチラリと音羽を見ながら言った。
「あなたが巻き込んだの? 崎山さんのこと」
「違う。音羽は理亜の親友だ。でもあんたは違うだろ」
「そう、違う。でも崎山さんの友達だから」
彼女はそう言って視線を音羽に向けた。何かを求めるように。彼女が望んでいる言葉はわかっている。しかし、音羽は今それを彼女に伝える気はない。
「わたしは大丈夫だよ、下村さん」
涼の表情が歪む。さっきまであんなに力強い表情だったのに、今にも泣いてしまいそうだ。音羽の胸がチクリと痛む。
「話してくれないのね?」
「……今は、まだ」
涼は泣きそうな表情のまま音羽のことを見つめていたが、やがて「わかった」と消え入りそうな声で言った。そして微笑む。
「でもね、わたしはあなたを助けたい。それだけは知っておいて。なんでも力になるから」
「うん。ありがとう」
音羽が頷くと、彼女もまた小さく頷いた。そしてドアに向かう。そのとき思い出したように「それから」と足を止めて瑠衣を振り返った。
「あなたは早く家に帰りなさい」
「は? やだね」
「寮母さんに報告するよ?」
「すれば?」
瑠衣は強気にそう答えると挑発的な笑みを浮かべた。
「問題になって怒られるのは俺じゃなくて音羽だと思うけど」
「……あなた、本当に宮守さんの妹なのね。その憎たらしい態度と笑い方がそっくり」
涼は顔をしかめながらそう言うと、視線を音羽に移して「明日の朝は迎えにくるから」と続けた。
「え、なんで?」
「だって、また勝手にどこか行くかもしれないでしょ。崎山さん」
「過保護か。つか、保護者か」
「うるさい! あんたは黙ってて!」
「こわーい」
瑠衣はからかうような口調でそう言うと音羽に抱きついてきた。そして涼に向かって「早く出て行けよ」と追い払うように手を振る。そんな彼女に涼は拳を握りながら「崎山さんから離れなさいよ! これ以上、迷惑かけないの!」と怒鳴った。
「おまえのでかい声のほうが迷惑だよ。バレたらどうすんだ」
「もう、ムカつく……っ!」
涼は堪えるように唇を噛むと、今度こそドアから出て行った。
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