第34話

 宮守家を出て音羽は深く息を吐いた。隣に並んで歩いていた瑠衣が眉を寄せる。


「なんだよ、でっかいため息だな」

「そりゃため息の一つも吐くでしょ。ウソはやっぱり慣れないから……」


 すると瑠衣はニヤリと笑みを浮かべた。


「なんだよ、音羽。ウソなんてついたのか? 悪い奴だなぁ」

「はいはい」


 音羽は適当に瑠衣の言葉を流すと後ろを振り向いた。宮守家はもう屋根しか見えない。


「……これで、言ってくれるかな。警察に」

「さあ。どうだろ」


 瑠衣は笑みを消してまっすぐ前方に視線を向ける。


「たぶん母さん一人じゃダメだろ。父さんと相談して、それで決めるんじゃないかな」

「そっか。そうだよね」


 では、今度はあの母親自身が夫に話して聞かせるのか。理亜が自殺に至るまでの経緯を。何に悩み、どうして自殺したのかということを。

 それはきっとあの人をさらに苦しめることになるのだろう。音羽にとってはウソでも、あの人にとってはそれが真実なのだから。もうすでにあんなにも傷ついているというのに。


 ――わたしのせいで。


 音羽は歩きながら顔を俯かせる。


「……そんな顔すんなよ」


 瑠衣が横目で音羽を見ながら言った。


「これは必要なことだったんだ。理亜を助けるために」

「――わかってるよ」


 そのとき、背後から「あれ、崎山さんじゃないです?」と女の声が聞こえた。思わず立ち止まって振り返ると見覚えのあるスーツ姿の女が近づいてくるところだった。


「げ、あいつ……」


 同じように振り向いた瑠衣が嫌そうな声を上げる。そんな瑠衣を見て女は「お? 瑠衣ちゃんも一緒かぁ」と笑みを浮かべた。その笑みは寮の来客室で見た笑顔よりも子供っぽく見える。


「えっと、たしか、坂口さんでしたっけ。どうも」


 音羽は子供のように笑う彼女に軽く頭を下げた。坂口は「こんにちは。偶然ですね」と音羽の前に立つ。


「先日はありがとうございました。お時間を頂いて」

「ああ、いえ」


 そのとき、瑠衣が音羽の服の袖を引っ張った。見ると彼女は嫌そうな表情で「早く行こうぜ」とそっぽを向いていた。


「お二人って仲が良かったんですか? なんか、ちょっと意外な組み合わせ」

「そうですか?」

「そうですよ。だって瑠衣ちゃんって誰にも懐かない野良猫ってイメージだったから」

「野良猫……」


 音羽は瑠衣へ視線を向ける。彼女は眉を寄せて音羽を見ていた。


「なんだよ」

「いや、なるほどと思って」

「でしょう?」


 坂口はまるで友達と話しているかのような雰囲気で笑った。そんな彼女を不思議に思いながら見つめていると、彼女は「どうしました?」と首を傾げた。


「ああ、いえ。なんだか寮でお会いしたときと雰囲気が違う気がしたので」

「あ……」


 坂口はハッとしたように呟くと、急に表情を引き締めた。


「すみません。瑠衣ちゃんがいると、つい」

「俺のせいにすんな」

「ほら、彼女って相手が誰だろうとこういう態度だから、こちらも気取ってるのが馬鹿らしくなってくるというか。そんな感じで」


 坂口は言って肩をすくめた。音羽は苦笑する。


「わかります」

「わかるなよ、そんなこと」


 瑠衣は大きく舌打ちをした。坂口はそんな彼女に優しい眼差しを向けてから音羽に「それで」と言った。


「今日は瑠衣ちゃんの家へ遊びに? あれ、でも平日ですよね。学校は――」

「お前は何の用だよ?」


 坂口の言葉を遮って瑠衣が彼女を睨む。


「この辺を彷徨いてるってことは、また俺の家に行くのか?」

「うん。もう一度、お母様に理亜さんのことを聞いてみようと思ってね」

「やめろよ、もう」

「……なにを?」


 坂口は首を傾げる。


「わかるだろ。迷惑なんだよ。理亜のことを何度も掘り返して聞かれるの。母さんだって、もう乗り越えようとしてんだから」


 しかし坂口は「それはできない」と首を横に降った。


「わたしは調べるのが仕事だから。それに、あなたのお姉さんのことでしょう。本当のことを知りたくないの?」


 そう言った彼女の瞳は、さっきまで見せていた優しさだけを含んだものではなかった。何かを探るようなそんな鋭いものを感じる。瑠衣はそんな彼女を睨むように見つめて「何したって、変わらないだろ」と低く言った。


「何を聞いたって、何を調べたって理亜は帰ってこないんだ。だからもう、母さんと父さんを苦しめんなよ」


 その言葉に、坂口は一瞬だけ悲しそうな表情を見せた。そして何かを言いかけたとき「坂口先輩!」と男の声が響いた。視線を向けると、コンビニ袋を手に提げたスーツ姿の若い男が手を挙げていた。


「何してるんですか?」

「ごめん、いま行くから!」


 彼女はそう答えると、一つため息を吐いて瑠衣に視線を向けた。


「それでも、わたしたちは調べなきゃいけないの。それはわかってほしい」

「――わかんねえよ」


 瑠衣の微かな声が坂口に聞こえたのかわからない。彼女は目を伏せると背を向けて去って行く。瑠衣はそんな彼女の姿が見えなくなるまで、じっとその場から動かずに見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る