第四章 姉妹

第20話

 食事を終えると、理亜は言葉少なに移動を開始した。駅前のロータリーから乗り込んだバスは音羽の知らない街を走り抜けていく。

 時間帯のせいか、それとも元々そういう路線なのか乗客は少なかった。音羽は隣に座る理亜の横顔を見つめる。彼女は再びキャップを目深に被り、まるで何かを警戒しているかのような険しい表情を窓の外に向けていた。

 なんとなく話しかけられるような雰囲気でもなく、音羽はただ無言で彼女を見つめ続ける。そうしているとふいに理亜が手を挙げて降車ボタンを押した。窓の外は住宅街だ。


「ここで降りるの?」


 思わず訊ねると彼女は頷き「ほら、行くよ」と音羽に降りるよう促した。降り立ったそこは音羽の知らない住宅街。そのはずだ。しかし、なぜか見覚えがある。


「……ここって」


 理亜の後ろについて歩きながら音羽は記憶を探る。つい最近見た覚えがあるのだ。どこで見たのだろう。しばらく考え続けて、とある記憶が蘇る。


「あ……」


 思わず音羽は立ち止まった。それに気づいた理亜が「ん、なに?」と振り返る。音羽は「ああ、ごめん。なんでもない」と笑って誤魔化しながら再び彼女の後について歩き出した。

 そうだ。この風景は理亜のタブレットに保存されていた画像で見たのだ。どこの街ともわからなかった風景。それが、ここだ。


「ねえ、理亜」

「んー?」

「今はこの辺りに住んでるの?」


 訊ねると彼女は「うん」と頷いて立ち止まり、目の前の大きな家の門に手をかけた。


「ここに住んでる」


 彼女は言いながら門を開けて庭へと入っていく。音羽はその門柱に埋め込まれた表札を見て「え……?」と声を漏らす。そこに掘られているのは『香澄』という文字。


「ただいまー」


 音羽が立ち尽くしている間に、理亜はすでに玄関のドアを開けていた。音羽は慌ててその後を追って玄関の中を覗く。


「おかえりなさい。あら、お友達?」


 そう言いながら奥の部屋から出てきたのは三十代前半くらいの女性だった。


「あ、えっと、こんにちは」

「はい、こんにちは」


 彼女は音羽に柔らかく微笑みかける。整った顔立ちによく似合った薄いメイク。艶のある長い黒髪は細く、彼女の動きに合わせてサラサラと揺れた。

 音羽はそんな彼女から目を離すことができなかった。理亜にとてもよく似ていたのだ。


「珍しいわね。お友達を連れてくるなんて」


 彼女はそう言いながら視線を理亜へ向ける。理亜は笑みを浮かべて「ちょっとね」と音羽を見た。


「久しぶりに会ったから」

「そう」


 理亜によく似た女性は、ほんの少しだけ嬉しそうに微笑むと音羽に「ゆっくりしていってね」とその笑みを向けた。そして理亜に視線を戻す。


「ママ、ちょっと出てくるけど一人で大丈夫?」

「大丈夫。ゆっくりしてきて」

「うん。じゃ、行ってきます」


 彼女はそう言うと音羽に会釈して出掛けていった。ドアが閉まるのを待ってから、理亜は「さ、上がって。二階の部屋だから」と先に階段を上がり始めた。


「今、ママって言ってたけど……?」


 音羽は彼女の後に続いて階段を上がりながら訊ねる。


「うん。そうだね」


 理亜はそう頷いたが、それ以上は何も言わないまま「ここがわたしの部屋」とドアを開けた。


「すごい……」


 部屋を見て音羽は思わず声を漏らす。その部屋は寮の二人部屋よりも広かった。しかし置かれている家具は少ない。ベッド、勉強机、テーブル、ノートパソコン、テレビ、本棚。

 部屋の入り口に立ってグルリと室内を見渡していた音羽は、本棚とドアの間にぽっかりと空いたスペースに目を留めた。あまりにも不自然なスペース。床には、何かが置かれてあったのだろう痕跡が残っていた。


「そこ、ピアノがあったんだってさ」


 音羽の視線に気づいた理亜がテーブルの前にクッションを置きながら言った。


「そうなんだ。今はないの?」

「うん。弾けないからね」


 理亜は無表情に言いながらクッションの上に座った。音羽はそんな彼女を見つめる。


「そうだよね。理亜はピアノ習ったことないもんね」


 しかし彼女は乾いた声で笑った。そして両手を床について少しだけ身体を反らしながら「わたしは香澄美琴だよ」と笑みを残した表情で言う。


「さっき出掛けて行ったのはわたしのママ。ここは香澄の家なの。表札にも書いてあったでしょ」

「でも、あなたは香澄美琴じゃない」


 音羽が語気を強めると彼女は「ふうん」と顎を引いて音羽を見つめた。


「本当に?」


 試すように彼女は言う。


「本当にわたしは香澄美琴じゃないって言える? ママは実の娘を間違えてるってことになるけど」


 たしかに実の娘を他人と間違えるなんてあり得ないと音羽も思う。けれど目の前にいる彼女は音羽のことを知っている。あのタブレットのことも知っている。音羽が理亜と呼びかければ答えてくれる。あの寮の部屋で過ごしていたときと同じ口調で、同じ表情で。

 だから絶対に……。


「あなたは宮守理亜だよ。死んだのは理亜じゃない。香澄美琴なんでしょ」


 音羽は彼女を見つめる。彼女もまた、音羽のことを見つめていた。

 どれくらいそうしていただろう。彼女はフッと笑って「まあ、座りなよ」と床をポンと叩いた。音羽は頷き、テーブルを挟んで彼女の向かいに腰を下ろす。その間も、理亜の顔を見つめたまま。

 彼女は困ったような表情でため息を吐くと「そんな見つめないでよ」と肩をすくめた。


「まあ、音羽の言う通りなんだけどね」

「……香澄美琴って誰なの」

「誰って、音羽が前に言ってた通りだよ」

「前に……」


 音羽は眉を寄せる。


「双子? でも、理亜が見せてくれた戸籍謄本には――」

「うん。載ってない」


 そのときインターホンが鳴り響いた。理亜は動きを止め、表情を強ばらせる。


「誰だろ」


 そう言った理亜の声は緊張しているように聞こえた。彼女は「ちょっとモニタ見てくるから」と立ち上がる。


「わたしも一緒に行く」


 思わず音羽も立ち上がると、理亜と一緒に部屋を出て階下に向かう。その間に、もう一度インターホンが鳴った。


「……警察はいなかったと思うけど」


 呟く理亜の声が聞こえた。そのときようやく音羽は納得した。

 彼女が目深にキャップを被っていたのも険しい表情で周囲を見ていたのも、全て警察を警戒してのことだったのだ。音羽に警察が接触してきたから、もしかすると音羽の近くに警察がいるかもしれない。それを警戒しているに違いない。

 そう理解した途端、音羽も不安になってしまう。もし警察がここに来てしまったら理亜はどうなるのだろう。香澄美琴として振る舞っていれば見逃されるのだろうか。いや、こんなにそっくりなのだ。きっと色々と調べられるに決まっている。そうなったら――。


「大丈夫だよ」


 ふいに理亜の柔らかな声がして視線を向ける。彼女はリビングの入り口で音羽を待ってくれていた。


「そんな顔すんなって。平気、平気」


 何も根拠がない言葉。それでも彼女は音羽に微笑んでくれる。音羽は頷き、理亜と一緒にリビングの壁にあるモニタの前に立った。そしてそこに映る人物を見て「え……?」と声を洩らす。理亜も目を丸くして「なんでだよ」と呟いた。

 そこに映っていたのは瑠衣だった。

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