10.滝川先生との交流

 叔母の占いも終わって、僕は遂に滝川先生と話をする時間が来た。

 バッグの中から自分の本を取り出して、震えながら滝川先生に差し出す。


 ミステリーばかり書いている滝川先生が甘いロマンスなど読むか分からなかったが、僕はこれしか書けないので渡せる本はこれしかない。


「滝川先生のファンです。学生時代に滝川先生の本を大量に読みました。これ、僕の書籍化されてる本です。よろしければもらってください」


 憧れの作家さんに本を渡すというのは緊張するものだ。声も震えているし、手も震えている僕から、滝川先生は穏やかに本を受け取る。

 そして、叫び声をあげた。


「えぇー!? メープル先生じゃないですかー!?」

「は、はい。メープルシュガーです」

「嘘!? 千早さん、私、聞いてないんですけど!」


 何故か叔母が責められている。

 叔母は首を傾げて答えていた。


「うちの甥っ子も作家だって話はしたと思いますよ」

「メープル先生とは聞いていませんでした」

「言わなかったかもしれません。かーくん、恥ずかしがって、家族にも作品は買わないで欲しいって言ってるくらいなんですからね」


 そうなのだ。

 熊のような大男が女性向けのロマンスを書いているなんて恥ずかしくて、僕は家族にも叔母にも自分の本を買わないで欲しいと頼んでいる。

 祖父母はこっそり買っているらしいが、話題には出してこない。


 両親も兄弟も僕が書いているものは知っているかもしれないが、それは公然の秘密となっている。


「SNSでもものすごく女子力高い書き込みをするし、チャームとか、鞄とかものすごく可愛いし、ちょっと写り込んでる雑貨も可愛いし、メープル先生は可愛い女性だって噂だったのに」

「こんなんでがっかりしましたか?」


 僕が申し訳なく思いながら言うと、滝川先生は首を振った。


「逆に萌えるわ」

「へ? もえ?」

「これがギャップ萌えってやつなのですね。小説や漫画の中でしか経験できないものだと思っていたけれど、実際に体験できて嬉しいです」

「は、はい。ありがとうございます」

「可愛い千早さんの甥っ子くん、私も推していきます」


 それに、と滝川先生が続ける。


「次はロマンス小説を書けって担当さんが無茶振りしてきたんですよ。それでお手本で読んでみたのがメープル先生の作品だったんです。切なさの中に甘さがあって、最後はハッピーエンドですごくよかったです」


 学生時代から憧れている作家さんに、僕の作品を読まれていた。しかも絶賛されている。

 緊張と嬉しさで僕は目が回りそうになっていた。


「千早さんの文章と似ているなと思ったんですよ。語彙とか。私、千早さんの文章の大ファンなんです」

「私の文章は全然売れないですけどね」

「全私が大絶賛して、全私が読むと回復します」


 叔母が趣味で小説を書いているのは知っていたけれど、それのファンだと言い切れる滝川先生に驚いてしまう。

 滝川先生と叔母との仲はとても深いようだった。


 僕と寛のような仲なのだろうか。

 僕には寛というかけがえのない親友がいるので、気持ちは分かる気がする。


「これ、持ってるかもしれないけど、私の本です」

「全部持ってますけど、一部は実家に置いてるし、電子に変えたのもあるので、紙の本は嬉しいです。サインもらえますか?」

「サインなんて、売り物にならなくなるだけですよ。私もメープル先生のサインもらいたいんですけどね」

「お互い様ですね」


 滝川先生に本を返して、僕は自分の本を返してもらって、表紙を捲ったページにサインをしていく。

 単純に「メープルシュガー」と書くだけで、飾り気も何もないのだが、僕の字は女性のものに見えるらしい。


 滝川先生は「滝川」とサインをしてくれていた。


 サインが終わると本を交換する。

 僕だけのためにサインされた滝川先生の本を抱き締めてにこにこしていると、叔母と滝川先生が話している。


「予想以上に可愛かったです、甥っ子くん」

「小さい頃も可愛かったんですよ」

「話しは耳にタコができるほど聞いてます」

「まだまだ聞いてくださいよ。この子、大型遊園地に行ったときに、マスクチャームを作ってあげたら、つけて行ってくれたんですよ。寛くんも一緒に」

「それは可愛い」


 叔母が僕や兄や姉たちを可愛いというトークをし出すと終わらないので、僕が止めなければいけない。


「ちぃちゃん、滝川先生、今日はありがとうございました」

「そうだった、滝川さんには新幹線の時間があるんだったわ」

「メープル先生、お会いできて嬉しかったです。これからもお互いに頑張りましょうね」

「はい。困ったことがあったら相談してもいいですか?」


 編集の鈴木さんは僕が書きたいものしか書けないのを知っているから無茶振りしてきたりはしないのだろうけれど、少しだけミステリー要素のある話とか、僕にも挑戦したい物語はあった。

 僕が言えば滝川先生は笑顔で答える。


「もちろん、いいですよ。連絡先は千早さんに聞いてください」

「分かりました。気を付けて」


 滝川先生と叔母を送り出してから、僕はどっと疲れて座敷の座布団の上に座っていた。

 話が終わったのに気付いて、タイミングよく寛がお茶を持ってきてくれる。さっきまでは熱い緑茶だったが、今度は冷たいほうじ茶だ。

 緊張でシャツの下は汗をかいていて、喉がからからだった僕はそれを一気に飲み干した。


 僕の喉の渇きまで寛は把握している。


「緊張せずに喋れたんじゃないのか?」

「ちぃちゃんがいたからね。それに、不思議な話もいっぱいしてたし」


 ひとではないものが見えることに関しても、叔母はともかく、滝川先生まで全く気味悪がらなかった。これまで口にするたびに笑われたり、不気味な子だと思われたりしていたので、普通に扱ってもらえることがこんなに嬉しいことだとは知らなかった。


 座敷席から靴を履いて出ると、店の中に異様な雰囲気が漂っている。

 店の席の半分は、椅子からはみ出そうな巨体の男性たちだった。

 僕の目にはその頭に角が生えていて、乱食いの牙が生えている気がするのだ。


「寛、今日は……」

「満員なんだよ。後から来たお客さんを断らなきゃいけないくらいで。しかも、お代わりしてくれるし、昼間からお酒の注文もあるし、今日のランチは大繁盛だったんだ」


 それで途中から寛は座敷に戻って来られなかったのか。

 それにしても、ひとではないものがお客として来ると分かっていても、僕には怖い。

 震えていると、会計台に酔った風情のサラリーマン風の男性が立った。


「この店の料理は全然美味しくない。こんな料理に金が払えるか!」


 大声で言うサラリーマン風のよれたスーツの男性に、周囲がざわつく。

 席を見ればご飯の粒が少し残っているだけで、サラリーマン風の男性はお漬物まで全部食べ尽くしていた。


「料理の味が気に入らなかったのは申し訳ないのですが、食べた以上は料金をいただかないと」

「うるせぇ! この店の評判が落ちるように、SNSに書いてやろうか? 俺はインフルエンサーなんだぞ?」


 大声で怒鳴り散らす男性はマスクもしていない。そのことで迷惑が掛かるくらいならと、寛が苦渋の決断をしそうになったところで、巨体の角の生えた一団が立ち上がった。


 一人がサラリーマン風の男性の襟首を掴んで、外に連れ出す。

 一人が、会計台に立って支払いをする。


「あの男の支払いもしておいてやろう。あの男からはワシらが取り立てる」

「とても美味しかったぞ。また来るからな」

「あいつらにも、この店を教えてやらねばならんな。いやぁ、とても満足だ」


 反論する間もなく、巨体の男性は仲間一同全員分と、サラリーマン風の男性の料金まで払って店を出て行った。


「助かった、のか」

「そうみたいだね。よかったね、ゆーちゃん」

「お客さんと揉めるわけにはいかないからな」


 ほっとしたのは多分僕だけではない。

 寛も微笑んでいた。


「僕もお支払いするよ」


 会計台に僕が立つと、寛がマスクをしたまま笑う。


「お前の叔母さんが払って行ったぞ」

「え!?」


 僕の叔母は僕が何歳だと思っているのか。

 それでもそういう小さなことが嬉しかったりする。

 叔母に奢ってもらって、僕は足元に擦り付く二股の尻尾の猫と一緒に部屋に戻ったのだった。

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