6.ゆーちゃんのお店で

 朝から店の仕込みに行くために、寛は早起きをする。

 元々寛は毎朝アラームもかけていないのに時間通りに起きて、寮生活でも僕を起こしてくれていた。


 僕が大学を出てライターの仕事を始めてからは、夜遅くまで仕事をしている場合があるので、朝には声をかけてくれるようになった。


「かーくん、平気か? 変なのに憑りつかれてないか?」


 僕も特に寝起きが悪いわけではないが、起きられない理由のほとんどが体の上にひとではない変な生き物が乗っていたりするためなので、寛は毎朝確認してくれるのだ。

 もぞもぞとベッドから起き上がり、僕は軽く手を上げる。首を回して、肩を回して、何の異常もないことを確かめる。


「何もなかったみたい。平気だと思う」

「それならよかった。まだ寝てるか?」

「朝ご飯ある?」

「あるよ」


 呆れた様子の寛だが、きっちりと僕の朝ご飯は作ってくれている。

 寛の作る朝ご飯は、海苔巻きと味噌汁だ。海苔巻きの中には必ず卵と高菜は入っていて、他にスパムが入っていることも、サケフレークが入っていることもある。


 小料理店に就職してすぐの寛が、太巻きを巻くための練習で作ってくれていたのだが、それだと僕も朝から食べられるので、すっかりと朝ご飯は海苔巻きになってしまった。


 まだ暖かさの残るご飯で巻かれた海苔巻きと、お出汁のいい香りがする味噌汁をいただく。みそ汁の具は豆腐と海苔に刻んだ大葉が入っていて海苔の磯の香りと大葉の香りが鼻に抜けていく。


「ゆーちゃんのご飯、美味しいな」

「プロだから当然だ」


 そう言いながら、寛が嬉しそうな顔をしているのが分かる。

 食べるのが遅くても、寛は僕が食べ終わるまでお茶を飲みながら食卓から離れなかった。


「いい鯵が入ったって、女将さんから連絡が入ってた。今日の昼はアジフライかな」

「アジフライ!? 行く!」


 食べ終えて食器をシンクに運んでいると、寛から言われて、僕は目を輝かせた。


 僕はどちらかと言えば肉よりも魚が好きな方だ。

 アジフライは特に僕の好物である。鯵や鯖、青魚が好きなのだ。


 昼ご飯も行くと約束して、僕は寛を送り出した。


 もう少し寝ようかとベッドに向かおうとして、僕ははっとして洗面所に向かう。

 まだ顔も洗っていなかった。

 顔を洗って歯を磨いていると、頭がすっきりして、目が覚めて来る。


 ノートパソコンを畳んでいるので何とか場所を空けた机の上にタロットクロスを広げて、タロットカードを混ぜる。

 逆位置がないタロットカードだと言われているが、僕は構わずにこのタロットカードをタロットクロスの上でぐるぐると混ぜて、逆位置も出るようにしていた。


 叔母は逆位置のないままで使っているようだが、僕は逆位置がある方が読みやすい気がしていたのだ。


 三枚カードを並べるスプレッドで見てみる。

 一枚目が過去、二枚目が現在、三枚目が未来で見る、スリーカードというスプレッドだ。


 一枚目はカップの九の正位置だ。

 意味は、願望。

 念願が叶うという意味がある。


「ずっと行きたかった遊園地に行けたことかな。ゆーちゃんと一緒で楽しかったなぁ」


 思い出すと本当に楽しかった気分が戻ってくる。

 寛と一緒にいるのは全く構えなくてよかったし、新幹線もバスも全部連れて行ってもらえて、間違わずに乗れて、行きも帰りも楽だった。

 遊園地のキャラクターのカチューシャもつけられて、周囲からは視線が痛かった気がするけれど、とても楽しかった。

 着ぐるみのアクターさんもたくさん見られてよかった。


 写真の資料を思い返しても、楽しさが胸に浮かんでくる。


 二枚目のカードはソードの七の逆位置だった。

 意味は、裏切り。

 この場合は逆位置なので、警戒していることが功を奏して最悪の事態を切り抜けられると出ている。


「これはもしかすると、人間じゃない案件かな?」


 ひとではないものが関わっているかもしれないと、警戒しなければいけない事案が起こりそうな予感がしている。

 これは早めに寛の店に行った方がいい気がする。


 三枚目のカードを捲ると、ワンドの八の逆位置だった。

 意味は、急展開。

 正位置ならばいい方向に向かうのだが、逆位置だと行き詰まりを感じる暗示がある。


「次の話は難航しそうかなぁ……アドバイスカード引いておこう」


 アドバイスに一枚カードを引くと、ワンドのキングが正位置で出て来た。

 意味は、豪胆。

 頼りになるひとという意味もあるから、寛のことだと分かる。


「ゆーちゃんに助けてもらうか」


 タロットカードを纏めて、僕は着替えて出かける準備をした。

 タロットカードはポーチに入れて、タロットクロスは丸めて、ノートパソコンもバッグに入れる。


 玄関でよれた革靴をはいて鍵をかけて出かけようとすると、階段の近くに黒い影が立っていた。


『うまそうなやつが来た……』


 悲鳴を上げてはいけない。

 こういうやつは自分が見えていると分かると行動が早くなるのだ。


 早く部屋を出てよかった。

 この黒い影は僕の部屋に向かって来ていたようだ。


 足早に逃げるように階段を降りて行って、小走りに寛のお店まで行く。

 まだ閉店の看板が出ていたが、引き戸を開いて中に飛び込むと、カウンターの中で掃除をしていた寛と目が合った。


「どうした、かーくん?」

「出た!」

「分かった。落ち着いて」


 カウンターから出て来てくれる寛に、僕は震えながら待っていると、僕の後ろから襲い掛かろうとする影を後ろから掴んだ誰かがいた。

 振り返ると、かなり大柄の僕よりも更に巨体の男性が立っている。


 着物姿で古臭い格好をしている男性は、赤い顔をしていた。


 人間ではない気がするのだが、男性は寛にも見えているようだ。


「まだ準備中なんですよ、すみません」

「そうか。いい店のようだな」

「ありがとうございます。十一時からランチが始まるのでよろしくお願いします。今日はアジフライですよ」

「あじふらい……よく分からんがうまそうだな」


 普通に会話を交わしているが、僕には着物の男性は人間ではないように見えている。寛にはどう見えているんだろう。

 巨体の男性が店を出て行ってから、僕は寛に近付いた。


「今のひと、僕を追い駆けて来た化け物を掴んで握り潰したよ」

「俺と同じ力のあるひとだったのかな?」

「寛にはあのひと、どう見えていた?」


 僕の問いかけに寛が首を傾げる。


「年季の入った着物を着てるし、身体はデカいなと思ったけど、普通のおっさんじゃなかったか?」


 そうだったのか。

 僕には頭に角が生えているように見えた気がするのだが。


 それでも、僕に危害は加えて来なかったから、それはそれでよかったのだろう。


 開店前だったが、僕はカウンターに座らせてもらって、パソコンを開いた。

 カウンターの中では寛が掃除をして、包丁を研いでいる。

 僕はパソコンで次の小説のプロットを書いていた。


 出来上がったプロットを提出したところで、寛が僕に声をかける。


「テーブル席に移ってくれるか? そろそろ開店だ」

「集中して作業できたよ。ありがとう」


 気付かない間にお茶を出してくれているし、そのお茶を僕は自然に飲んでいるから寛はすごい。


 二人用のテーブル席に座ってパソコンを片付けていると、寛がアジフライ定食を作ってくれる。

 揚げたてのアジフライに手作りのタルタルソースが添えてある。塩昆布で和えたキャベツが添えてあって、ご飯と味噌汁もついている。


 この店のタルタルソースは、和風なのでピクルスの代わりにラッキョウが刻んであって、それが卵とマヨネーズと絶妙に合っていてとても美味しいのだ。

 たっぷりとタルタルソースを乗せて、アジフライにさくりと齧りつく。

 じゅわっと熱い汁が溢れ出て、口いっぱいに広がる。


「刺身にもできる鯵を使ったからな。うまいだろ?」

「ものすごく美味しい!」


 笑顔で言えば、お客さんが入ってくる。

 忙しく働く寛とは話せなくなったが、巨体の男性が来ているのに気付いて、僕はそれが気になっていた。

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