25.子ども部屋で勉強を
両親の留守中は穏やかな日々だった。
両親がいないことにふーちゃんもまーちゃんも気付いていて、ふーちゃんは食事の席で両親を探していた。
「まっまー? ぱっぱー?」
「お父様とお母様は国王陛下の生誕の式典に行っています」
「わたくしとお姉様が一緒だから、ふーちゃんは寂しくないですよ」
「えーねぇね、くーねぇね、いっと」
わたくしが小さい頃にもエクムント様も両親も、小さいからと馬鹿にせずに分からないことは何でも説明してくれた。その説明がわたくしに理解できていたかどうかは疑問なのだが、説明されると自分が一人置いて行かれるような気分から救われてわたくしは安心したものだった。
ふーちゃんにもわたくしとクリスタちゃんで説明すると、一生懸命頷いて納得してくれていた。
リップマン先生の勉強の休憩時間にも、わたくしとクリスタちゃんは子ども部屋に来ていた。ふーちゃんは窓の外を指差してヘルマンさんに話しかけている。
「まっまー、ぱっぱー、いったった」
「奥様と旦那様は今王都に行かれていますね」
「ふー、えーねぇね、くーねぇね、いっと」
「エリザベートお嬢様とクリスタお嬢様がいるから安心ですね」
「ふー、ねぇね、だいすち!」
可愛いことを言ってくれているのを聞いてわたくしの頬が緩む。にやけてしまっていると、ふーちゃんがわたくしとクリスタちゃんに気付いて駆け寄って来た。
「えーねぇね、くーねぇね、あとぼ!」
「少ししか時間がありませんが遊びますか?」
「何がいいですか?」
「ちゅっぽ!」
列車のおもちゃで遊びたいというふーちゃんに、わたくしとクリスタちゃんは木のレールを敷いてあげて列車が走れるようにした。ふーちゃんは列車のおもちゃを手で持ってレールの上を走らせて楽しんでいる。
「ぱっぱー、まっまー!」
「お父様とお母様がいる王都の駅に着いたのですか?」
「あい! ぱっぱー、まっまー!」
ふーちゃんはふーちゃんなりに両親の不在を理解しているようで、王都の駅に列車が着いた想定で遊んでいるのが成長を感じられた。
休憩時間が終わったので急いで勉強室に戻ると、リップマン先生が微笑んで迎えてくれた。
「フランツ様とマリア様のことが気になるのですね。お二人が集中できるのであれば、今日は子ども部屋で勉強をしますか?」
「いいのですか?」
「フランツはお父様もお母様も出かけていて不安だと思うのです。少しでもそばにいてあげたいのです」
わたくしとクリスタちゃんで言えば、リップマン先生は勉強を子ども部屋のソファのローテーブルでできるようにしてくれた。隣国の言葉を書き取って、綴りを確認してもらう間、ふーちゃんはわたくしとクリスタちゃんの見える場所で遊んでいた。
視界にわたくしとクリスタちゃんがいれば安心するようだ。
まーちゃんも最初は泣いていたが、わたくしとクリスタちゃんがいることに気付いて、泣くのをやめてじっとわたくしとクリスタちゃんの方を見ていた。
「ふーちゃんとまーちゃんはわたくしが守るのよ」
「寂しくないようにそばにいて上げましょうね」
言い合うクリスタちゃんとわたくしに、リップマン先生が提案する。
「隣国の言葉に幼い頃から触れるのもいい経験です。午後からは物語の朗読をしましょう」
「フランツに物語を読んであげるのですね」
「言葉は分からないかもしれないけれど、絵を見てフランツは楽しめるかもしれないわ」
リップマン先生の優しい提案にわたくしとクリスタちゃんは深く感謝していた。
両親の不在期間は三日間。
その間、わたくしとクリスタちゃんは子ども部屋で勉強をして、食事をわたくしとクリスタちゃんとふーちゃんの三人で食堂でして、自由時間にはまーちゃんを抱っこしたり、絵本を読んであげたりして過ごした。
「わたくし、ハインリヒ殿下が欲しいものがないかと言われたときに、クリスタちゃんがネックレスを欲しがるかと思ったのですよ」
「わたくしも少しは欲しい気持ちはありました。けれど、ネックレスはお姉様みたいな素敵なレディになれたら、ハインリヒ殿下が渡したくなるものだと思ったのです。自分から欲しいと言ってもらうようなものではないと思ったのです」
クリスタちゃんとは一年半くらいしか年は変わらないのだが、クリスタちゃんにとってわたくしは素敵なレディに見えているようだった。
「お姉様はエクムント様に『ネックレスが欲しい』と言っていただいたわけではないでしょう? エクムント様はそろそろお姉様にネックレスが似合う時期だと思ってくださったのだと思います。それって、とても素敵なことではないですか?」
クリスタちゃんに改めて言われると、わたくしは頬が熱くなる。エクムント様はわたくしが欲しがらなくてもネックレスをくださった。わたくしがそろそろアクセサリーを身に着けてもいい時期だと考えてくださったのだ。
そう思うとネックレスをくださったエクムント様の気持ちがますます嬉しく感じられる。
「クリスタちゃんと話していると、わたくしはとても幸せな気分になりますわ」
「わたくしもお姉様と話すのが大好きです。お姉様は初めて会ったときから、ずっと親切で優しくて、わたくしはお姉様の妹になれてとても幸せなのです」
クリスタちゃんの言葉を聞いていると、わたくしはそんなにいい人間ではないのだが、クリスタちゃんを劣悪な環境から救い出せたことは誇りに思える。
初めて会ったときに、クリスタちゃんはお茶会でお腹が空き過ぎてがつがつと軽食やケーキを食べて、元ノメンゼン子爵の妾に引き摺られるように会場から連れ出されて、お手洗いで扇で叩かれていた。
汚れた格好をして酸っぱい匂いのするクリスタちゃんのドレスの袖に隠された腕には、叩かれた痕がたくさん残っていた。
しみじみと思い出してクリスタちゃんの腕を撫でると、クリスタちゃんは不思議そうな顔をしている。
「わたくし、本当はクリスタちゃんが元ノメンゼン子爵の妾に叩かれている現場にいたのです。でも、わたくしは小さくて弱くて、助けに入ることができなかった……。クリスタちゃんが叩かれているのを見てショックを受けて泣くことしかできなかったのです」
クリスタちゃんと出会ってもう五年目になるのだろうか。初めて告白できた言葉に、クリスタちゃんはショックを受けていなかった。
「お姉様が見ていてくれたから、その後、お姉様の助けで、わたくしはディッペル家に引き取られたのです。お姉様、本当にありがとうございます」
前世でも今世でもひとが叩かれている場面なんて見たことがなくて、恐ろしくて何もできなかったのをクリスタちゃんは責めることはなかった。それどころかわたくしに感謝してくれている。
わたくしは手を伸ばしてクリスタちゃんを抱き締める。
クリスタちゃんもわたくしの背中に手を回してしっかりと抱き付いた。
「クリスタちゃん、わたくしたちは、ずっと姉妹で、大事な家族です」
「お姉様、わたくしもそれを言いたかったのです」
前世を思い出したときには、クリスタちゃんとは極力関わり合いにならないようにして、わたくしが悪役として辺境に追放されるようなことがないようにしようと考えていた。
けれど、それは無理だった。
クリスタちゃんが虐待されていることを知って、わたくしは見捨てておけなかったのだ。
あのままクリスタちゃんに関わらなければ、クリスタちゃんはノメンゼン家からバーデン家に移されて、バーデン家で教育を受けて不作法で奔放な少女になって学園に入学してきたことだろう。
そのときにわたくしと出会えば、わたくしはクリスタちゃんの不作法を指摘するしかない。
クリスタちゃんが主人公の物語では、その行為はクリスタちゃんを公衆の面前で馬鹿にしたとみなされて、わたくしは悪役になる。
あのときに決断してクリスタちゃんをディッペル家に引き取り、バーデン家の企みを潰したからこそ、わたくしとクリスタちゃんには平穏がある。
この平穏を長く続けるためならばわたくしは何でもするつもりだった。
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