12歳の君と淑女になれないわたし

9

 淡く小さなブドウの花が終わると、ブドウの実は日に日に膨らんでくる。

 雨や霧に気をつけながら大切に育てられたブドウは夏を前にするとすずなりの房となってきて、夏の太陽に焼かれるようにしてじりじりと色づいていく。

 マリはブドウ畑で管理人のバルや他の小作人たちと共にブドウの手入れをするのがすっかり日課となっていた。


(あつい)


 貴族の女性が外出するときはボンネットをかぶらなければならないらしい。でも、頭をすっぽりと布に囲まれる構造は風を通さないので尋常じゃなく暑い。本来なら日傘をさすのがレディのマナーだそうだが、畑仕事に日傘は邪魔だ。

 それに今は男物のシャツにズボン、紺色のジレを借りているからフリルの着いたボンネットが恐ろしく似合わない。

 バルが被っている麦わら帽子が欲しいのに、メイド長が許してくれなかった。


「おーい」


 畑の向こうで手を振る紳士が見える。暑さが見せる蜃気楼かと思ったが、見知った人だった。フェルナンだ。

 声に釣られて近寄ると、侯爵家の伊達男は生成りの三つ揃いでマリより涼しそうだ。いつもの帰領ならば彼ひとりだが、今日は後ろに日傘の美女を従えている。こちらも白い総レースのドレスを身につけていて、ブドウ畑を渡るさわやかな風を受けていかにも涼しげだ。


「妻のヴィヴィアンヌだよ。今回は一緒に来たんだ」


 夫に紹介され、美女は一歩前に進んでマリの前に立った。透けるような白い肌、銀色に輝くアッシュブロンドを丁寧に結い上げた完璧な貴婦人だ。宝石のような青い瞳がひたとマリを見つめると、品定めするような色が宿ったがそれも一瞬ですぐ朗らかに微笑んだ。


「お初にお目にかかります、聖女さま。フェルナンの妻ヴィヴィアンヌでございます。甥のロジェデリオン共々ご縁を結ばせていただいたこと、大変光栄に存じます」


 お手本のようなカーテシーで挨拶されて、マリも同じように返そうとするがあいにく今は男装だ。仕方なくボンネットを取って潔くお辞儀する。


「ありがとうございます、ヴィヴィアンヌさま。わたくしはマリと申します。こちらこそフェルナンさま、ロジェデリオンさまにはお世話になっております」


 視線を伏せていると観察されていることがよく分かった。でも正直何が正解かなんてよく分からない。

 顔を上げれば、元通りの笑顔の二人だ。


(こういうことがあるから貴族ってこわい)


 マリの一挙手一投足を見て彼らは判断していくのだ。有益か無益か、害となるか。


「ちょうどお昼ごはんだろう? マリもおいで。一緒に食べよう」


 フェルナンの言葉に「はい」とマリはうなずくが、密かに胃をおさえた。胃の痛い昼食になりそうだったからだ。



 フェルナン夫妻の来訪に料理人が張り切ったのか、昼食といえど手の込んだ料理が並んだ。夏野菜の前菜、野菜の冷製スープにローストビーフのメイン。

 マリの口に入るだけならおそらく今日はバケットに惣菜たっぷり挟んだサンドイッチになっていただろう。木陰でかぶりつくサンドイッチもきっと美味しかったはずだ。

 テーブルマナーを見よう見まねで何とか乗り切って、中座を許されたマリはあわてて厨房へ駆け込んで水を一杯もらった。正直食べた気がしない。

 コックやメイドの苦笑を背に、フェルナン夫婦のいるサンルームに戻りかけたが、ドアの前でつい立ち止まる。


「わたくしは反対です」


 はっきりとしたヴィヴィアンヌの声が聞こえたからだ。


「もちろん、功績は否定いたしません。かの方のご苦労はわたくしの想像を絶するものでしょう。その境遇にも同情を禁じ得ません」


 ですが、と彼女は通る声ではっきりと言い放つ。


「ロジェデリオンさまの婚約者にふさわしいとは思えません」


 いつかのマリの言葉がやまびこのように帰ってきたようだった。

──ロジェにはふさわしい人が必ず現れる。


「侯爵家の一員としてふるまうには覚悟が必要です。そのようなことを強いてまで一族に迎え入れる意義はあるでしょうか。加護が必要なら最大限の加護を、援助が必要なら親身に助けるのが、かの方にとっても良いことではないのでしょうか」


 どれだけ言い繕ってもマリは平民だ。生まれながらの貴族のロジェやフェルナン夫妻と違って、一族の血筋がどうなどということはイマイチ分からない。彼らにしたってそうだ。マリが毎日のように畑へ出掛けてブドウを育てる気持ちなど分からないに違いない。

 マリはじっと自分の手を見た。巡礼の旅のあいだは荒れ放題だったし、今も畑仕事で日に焼けている。ヴィヴィアンヌのような白い手にはもうなれないだろう。

 マリはこのまま中座することをメイド長に伝えて、また畑に戻ることにした。




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